第83話 だから僕は魔王に挑む~決意固めて
エスリアースの街を背にするキョウマ。その表情は顔を顰めてうなったまま。時は既に正午を回っている。キョウマの体力は既に完全回復。今は魔王の居所の情報取集に冒険者組合へと訪れた後の帰り道を行く。
(リナの様子がなんか変だ)
キョウマのやや後方を歩くリナは「う~っ」と唸ってジト目のまま腕に抱いたハクに顔を埋めている。それに何だか薄っすらと頬が赤い。
(今のリナ、ちょっとどころでなく可愛すぎて困る)
街中であろうと人目があろうと思わず抱きしめたくなる衝動をキョウマは必死になって抑える。頭を振り別の疑問点へと意識を向けた。
(リナだけじゃない。おまけにハクまでなんかおかしい)
いつもはじゅ~べ~の頭の上を定位置にしているハク。ところが今はリナの腕の中。更に言うとハクはリナに“ぎゅっ”と強めに抱かれるのが苦手。にも関わらず時折強めに抱きしめるリナに抵抗するどころか擦り寄り甘える仕草を見せている。
そんなやり取りを横目に眺めるじゅ~べ~は少々、寂しそうにしていた。まあ、それでもご飯の時間になればそんな気分も吹き飛ぶだろう。キョウマは特にフォローする気も起きず思案にふける。
(いや、まてよ。おかしいのは僕も……か?)
と、思い悩んだ末に結論付けた。
(けど、まあ。多分、これでいいんだろな。きっと)
一人ゴチるキョウマの頬は若干、緩んでいた。朝の出来事を思い浮かべ、自然と心が温まる。
(幸せ……。僕の欲しかったもの……)
キョウマには悪夢にうなされていた記憶が残っている。何もかも失い絶望し、最も大切な人を求め、ただただ闇の中をさまよい続けていたイメージが漠然としてある。どれだけの時間をそうしていたのかは分からない。けど、目の覚める瞬間に優しく温かいものが己の手を包みこんでくれた。
キョウマは額に手をあてる。悪夢から解き放ってくれた存在を懐かしみ優しく撫でる。
(あの時、おでこの辺りが何かが触れる感触があって、そこから温かいものが体全体に広がったんだよな。優しくて柔らかくて、そして愛おしい……)
目が覚めた時、キョウマの視界に飛び込んだのは柔らかに微笑むリナだった。キスできそうな距離だったのには驚いたけど、そのあと前髪のあたりをそっと撫でてくれたのを覚えている。目が合って数秒見つめ合った後、リナは顔を真っ赤にして飛び出していったけど……。キョウマはクルリと振り返る。見つめる先に映るリナは、やっぱり頬のあたりがまだ赤いままだ。
「ありがとう、リナ」
「ふぇっ!?」
急に礼を言われリナは間抜けな返事を返してしまう。朝の出来事を全て知るリナは、キョウマのお礼の意味を察してしまい当然、その時のことを脳内再生する。
「う~っ!」
恥ずかしさのあまり、リナの顔全体は茹蛸のように赤くなる。腕の中のハクを抱きしめ表情をできるだけ隠そうとする。ほとんど無駄なあがきなのはご愛敬だ。
(兄さん、おでこにキスしたの、気付いたのかな?)
その後、互いに言葉をかけることなく歩みを続けた。会話はなくとも、お互いの気持ちは通じていた。ハクは嬉しそうに目を細めている。その時、グースカ寝ていたじゅ~べ~だけは何も分からないままだった。
……
………
……………
拠点に戻ったキョウマ達。冒険者組合で集めた情報を整理する。ソファーに腰かけたキョウマは地図を広げる。どらごん達はキョウマの両隣に腰かけ興味深そうに地図を覗いた。飲み物の準備ができたリナは対面に座る。するとハクはキョウマの元を離れて、いそいそと歩く。リナの膝元に腰をかけると満足そうに目を細めた。あまりの懐きようにキョウマは首を傾げるも、すぐに視線を地図に戻す。
「話をまとめると、魔王とやらがいるのは、この辺りってことだよな?」
「そだね……」
ある地点を指差したキョウマは、リナの注いでくれたお茶に口をつける。その顔が得意げに見えてしまったリナは微かに顔を顰めた。
『昔から何とかと煙は高い所が好き、って言うだろ? 僕達を怒らせるような愚か者だからな。きっと魔王とやらも、どうせ高い山とか空とかにいるに決まってる!』
ついこの前、キョウマが述べた謎理論。魔王の居場所とされる地図の場所に視線を落とすと、そこは天にも届こうかという高さの山々を含む山岳地帯―つまり、キョウマの説が見事にハマった訳である。
「それで~? 結構、距離あるよ。道も荒れているみたいだし、兄さんのバイクだと厳しいんじゃないかな? 途中で洞窟を通って行かないといけないみたいだし……。行くなら、買い出しもきちんとして準備を万全にしないと」
リナは呆れた声でキョウマの無計画性を暗に指摘する。ジト目の視線から『ノリと思い付きだけじゃ、どうにもならないよ』の意をキョウマは敏感に察した。先程までの得意げな空気はすっかり失せている。
「そうだな……。じゅ~べ~かハクの背中に乗って飛んで行く、とかだと戦う前にエネルギー切れ……」
「そうそう……。まあ、兄さんの厨二マシンの中に空を飛んで行けるようなものがあれば別だけど」
「それだ!」
「???」
突然、手の平をポンと叩いて叫ぶキョウマ。急な出来事でリナは目を丸くする。
「サンキュー、リナ! その手があった!!」
「えっと、よくわかんないけど何とかなりそう?」
リナの肩に手を置く様子はやや興奮気味。リナは薄っすらと頬を赤らめつつも困惑の表情を浮かべる。リナの戸惑いを横にキョウマは「もちろんだ!」と自信をもって応える。かと言ってそれ以上先のことについてキョウマは一切答えない。「全ては明日のお楽しみ」とだけ言うと思考の海へとダイブした。時折、意味不明なことをブツブツと呟いている。
「なんか、嫌な予感しかしない……」
ハクを抱いたリナはそっと、溜め息を漏らした。一人の世界に入り込んだキョウマはリナの視線に気づかない。「やることができた」と言い出した後、早足でその場を立ち去った。取り残されたリナとどらごん達は互いに向かい合う。
「行っちゃったね。一体、何するつもりなんだろう?」
「キュゥー」
「が~?」
どらごん達は何も知らないらしい。リナは諦めて頬杖をつく。何気なく天井を見つめても、不安は拭えない。しばらく、視線をさ迷わせていると、袖をクイクイ子竜が引いている。
「キュッ!」
「ハクちゃん?」
ハクの小さな手には雪のような真っ白な色をした飴玉?のようなものが乗っていた。子竜と同じ色をしていて、うっかりすると見落としてしまいそうな程の白さだった。
「えっと、わたしにくれるの?」
「キュィッ!」
「励ましてくれるんだね? ありがとう、ハクちゃん。遠慮なくいただくね」
ハクの手から飴玉?を受け取ったリナは手に取って、じーっと見つめる。
「綺麗……」
「キュッ!」
「食べて、ってこと? なんだかもったいないな」
この時、リナにはハクの言葉が手に取るように分かった。
―食べて、元気出して。そうしたらきっと、リナは幸せになれるから―
情報解析するような無粋な真似は当然しない。そもそもハクを信じ切っているリナにそのような選択肢は思い浮かぶこともない。だから、じゅ~べ~が妙に慌ただしくしていることにリナは気付かなかった。
「甘~い。これ、すっごくおいしいよ」
「キュッ!」
飴玉?を口に含んだリナは、その美味しさの余りうっとりとした表情を浮かべる。ハクは『どういたしまして』と言わんばかりに「キュッ!」と鳴き、なぜかじゅ~べ~は肩を落としていた。
(もしかしたら、じゅ~べ~ちゃんも欲しかったのかな? ホントに美味しいもんね?)
この時のリナは、その味を堪能することに夢中で己の変化に気付かなかった。体の内側、魂の中から徐々にポカポカと温かくなっていることに……。
「あれ? なんだか少し眠くなってきちゃった。 ご飯支度、まだなの……に……」
急に覚えた眠気に逆らえずリナは瞼を閉じてソファーに身を預けた。どらごん達の見守る中、リナは静かに寝息を立てている。リナの幸せそうな寝顔を前にハクとじゅ~べ~もまた、つられるように眠りについた。
キョウマが戻ったのはそれから二時間後あまりのこと。収穫十分のためか表情は明るい。リナの視界に入れば即、何かしらのツッコミがなされることは間違いないだろう。
「ん? みんな寝てるのか」
ソファーに横たわるリナと寄り添い眠るハク。そして仰向けになって床に転がっているじゅ~べ~を交互にした後、キョウマは腰かける。自然とリナの対面に座り頬杖をついた。
「それにしても気持ちよさそうに寝てるな~。起こすのはやっぱ、可愛そうか」
仕方ないか、と付け加えキョウマは猫缶をいくつか取り出しテーブルに並べる。
「そろそろ、お腹の空くころだろ?」
フタを開けると匂いに釣られ、どらごん達が目を覚ます。大きな欠伸をしたかと思えば、まぐろを視界に映した途端、一目散に食事を始めた。
「『いただきます』くらいは言おうな」
「キュッ!」
「が~!」
返事だけは実に立派だ。やれやれ、とキョウマはどらごん達を尻目にリナの元へと歩み寄る。
「こんなとこで、寝てると風邪ひくぞ~」
「う、う~ん……」
リナの耳元で囁くも、やはりリナに目覚める気配はない。それどころか妙に色気のある返事&寝返りのカウンターが見事に炸裂。キョウマの頬は朱色に染まる始末だ。わざとらしく咳払いをし、キョウマはリナの頬をつつく。
「リナ~、起きろ~」
「いやぁ……」
起きるどころか拒絶されてしまった。それでも一応、呼びかけに対して返事はするようだ。キョウマは顎に手をあて結論付けた。
「起きないなら、お姫様抱っこしてリナの部屋まで運んじゃうぞ~。それでもいいのか~?」
「う、う~ん……」
キョウマの冗談半分本気半分にリナは小さく頷いた。場に妙な緊張感が漂いキョウマは生唾を飲む。もし、この場が二人きりなら更に尚、奇妙な展開になっていたかもしれない。二人にとって幸かそれとも不幸とも言うべきか今この場には、どらごん達がいる。まるで二人のことなど眼中にないかの如く、もしゃもしゃと食にふけるさまにキョウマの緊張はほぐれてしまった。
「それじゃ、行くぞ?」
返事を待たず、キョウマはリナを抱き上げる。
(軽い……。でも……)
柔らかく華奢な細身は予想以上に軽い。流れる黒髪が腕をそっと撫でいつも以上に“女の子”を実感してしまう。
(この細い身体で今まで頑張ってきたんだよな? 異世界に魔物に冒険……、つらいこともあっただろうに、ここまで一緒に来てくれたんだよな?)
―ありがとう
異世界に来て以来、何度も抱いた感謝の意をキョウマは胸中、囁いた。
と、二人の世界に浸るのも束の間、何やら視線を感じてキョウマはグルリと横を向く。
「「……」」
「んで、そこのどらごん二人。じろじろ見てるけど、おかわり希望か?」
「キュッ!」 「ガッ!」
「ホント、返事はいいな。それじゃ置いておくから食べ終わったら歯磨き忘れるなよ」
「「……」」
「返事は? ないならおかわりはなしだぞ」
「キュッ!」 「ガッ!」
どらごん達は歯磨きがお嫌いなご様子。キョウマは心中、前言撤回。肩を竦めてリナの部屋へ向かった。
「やっぱ、緊張するな……」
扉の前につくもキョウマは入るのに躊躇いを覚え立ち止まってしまった。女の子、とりわけ“リナの部屋”なのだから尚のこと。だからといって、いつまでも立ちすくんではいられない。
(お邪魔します)
背筋をピンと伸ばし、恐る恐る入るキョウマ。なるべく辺りを見渡さないように、と考えるも杞憂に終わる。
「物が全然ない……」
ベッドとクローゼット一つ。他には特に何もない。思えばキョウマ自身の部屋も似たようなものだ。異世界に来て以来、そこそこの日数が経過したもののなんだかんだで忙しく家具を買い揃えたりするようなことはしてこなかった。
「落ち着いたら、ゆっくり買い物でもしよっか?」
「う~ん……」
視線を落とすとリナはスヤスヤ寝息を立てている。微笑ましくなる一方で“いざベッドに”となると名残惜しさもこみ上げてくる。
(いや、別にやましいいことは考えていないから……)
虚空に向かって言い訳を浮かべつつ、キョウマはリナをベッドに寝かせる。
「ホントはパジャマに着替えたいだろうけど、ゴメン。僕には無理」
と、考えたのがキョウマにとって不幸(ある意味においては幸福)を呼ぶ。リナのメイド服がキラキラと輝き明滅を始める。うっすらと透き通り始め、チラリと下着が見え隠れ。キョウマは慌てて回れ右。後々、己の理性を自画自賛することになる。もしも凝視し、尚且つリナに知られるようなことになればオシオキどころでは済まないだろう。
「これ、衣装変化の効果か?。あれ? でも、前に発動した時は光が強く透けてなんか見えなかったはず。なんでだ?」
首を傾げ、疑問が解決しないまま背中越しに光が収まったことを感じる。何気なく振り返ると同時、キョウマは愕然としてしまった。
「何故に、ワイシャツ一枚……。僕が望んだとでも? そんなことはない。ないはず。ないよ……な?」
下着の上にワイシャツ一枚。一度、寝返りを打ったリナはスヤスヤと寝息を立てている。道理で途中、透けて見えた訳だ。動揺し過ぎたせいか却って冷静さを取り戻したキョウマは「それじゃ僕も寝るか」と何も見なかったことにして踵を返す。衣装変化の効果―主の望む姿に……の下りは完全無視を決め込んだ。
「あれ?……」
最初の一歩目が何故か踏み出せない。よく見るとリナが服の裾を摘んでいた。熱を帯び潤んだ瞳でキョウマを見上げている。その表情はトロンとしていてどこか焦点も合っていない。
「わぁ~。兄さんだ~。えへへへ……」
「リナ、まさかとは思うが酔っぱらってないか?」
キョウマの脳裏に随分と昔、甘酒の匂いだけで酔っぱらっていたリナの姿と目の前のリナが重なる。
「酔っぱらってなんか……、いないれすよ~」
「そっか、酔ってるんだな?」
「えへへへ~」
(あっ、もうダメだな。これは)
キョウマは早々、匙を投げる。あとは、どうにかリナを寝かしつけて退散するだけなのだが、今やそれが最難関となった。
「にーいさーん~」
「うぐっ」
酔っているとはいえ、笑顔満開で腕を絡めてくる美少女を誰が振りほどけるだろうか。否、できるわけがない。
「兄さん……」
「ん? どうかしたのか」
「えっと……ね? わたしは兄さんのことが……」
「待った!!」
酔いに任せたリナの言葉をキョウマは声を上げて遮る。人差し指を口元で立てて、震えるリナの瞳を優しく見つめる。
「その先の言葉、今はまだ待ってくれないか? こんな酔っている時でなく、ちゃんとした場で僕から言わせてくれないか?」
「うん……」
リナは絡めた腕をほどきベッドに横たわる。キョウマはそっとリナの前髪の先を優しく撫でた。本当はずっと分かっていたお互いの気持ち。もう先延ばしになんてしていられない。静かに決意を固め、瞼を閉じ始めるリナを見つめる。
「ごめん……ね。わたし、……く、……て……」
「気にするなって。ありがとうな、リナ」
リナの瞳から溢れた一滴を指でそっと払い、キョウマは寝室を後にした。
――ごめん……ね
この時のキョウマはその言葉の真の意味を知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございました。
体調不良に生活環境の変化と続き更新が遅れに遅れているのが悔やまれますが少しずつでも書き続けています。
次話からいよいよ魔王城に突入。決着へと進めていきます。
よろしくお願いします。




