第66話 ドラゴンの聖域~聖域の奥にあるもの
手の甲から伝わる柔らかで温かな感触。いつの間にか手放していた僕の意識が少しずつ呼び起こされていく。
「うっ、ううっ……」
「キュー……」
うつ伏せの状態から見上げると、ハクが小さな舌でチロチロと僕を舐めていた。子竜の瞳に僕の視線が重なり合う。ハクは舐めるのを止め一歩、後ろに下がり僕を見つめる。
「一体、何が……」
行き止まりの壁に浮かんだ魔法陣から溢れる光に包まれたことは覚えている。が、その後の記憶は酷く曖昧。頭を振って、静かに体を起こす。軽い立ちくらみに似た症状を覚えるも一瞬のこと。浮遊感のようなものは、すぐに消え失せ意識は鮮明になる。
辺りを見回す。草原の中、木々が所々に乱立している、と言っても“森”と呼べる程、立ち並んでいるわけでもなかった。おかげで、光は遮られることなく十分に行き届いている。
——光?
「ここは……どこだ? 孤独の回廊じゃないのか?」
ダンジョン特有の薄暗さは感じられず、まるで晴天の下にいるかのように明るい。見上げた先に陽の輝きはない。代わりに、と言うべきか空色の光を放つ天井が果てしなく続いていた。と、見惚れている場合ではない。
「リナ、無事か!?」
『う、う~ん……』
「よかった、その調子だと無事みたいだな」
『ふぇ?』
首から下げた指輪を振って呼びかける。明滅とともに聞こえる声は若干、寝ぼけ気味。苦笑しつつ、安堵の溜息が自然と口から零れ落ちる。
「ありがとな、ずっと見ていてくれたんだろ?」
「キュッ!」
地に腰を落とし、子竜の頭の上に手の平を重ねてそっと一撫で。返ってくる一鳴きは誇らし気に映った。僕とリナの意識がない間、見守ってくれていた子竜への労いには少々、物足りないかもしれない。後で猫缶を振る舞うとしよう。マグロかカツオか、はてさてサンマかカニか、否やっぱりマグロか、と悩む僕の服の袖をハクはくいくい引き始める。
「キュッ、キュキュ」
「この先に……行きたいのか?」
「キュッ!」
小さな手をぶんぶんと振ってハクは奥を指差している。リナはお約束通り、ハクの仕草に蕩けた声を漏らす。僕は肩を軽く竦めてから、相棒子竜を背中におんぶ。
「わかった、道案内は頼む」
「キュイッ!」
歩くこと十数分……。
「キュッ、キュッ!」
「了~解、真っ直ぐでいいんだな?」
「キュイッ!」
このようなやり取りは既に数回行われている。ハクが右に進みたい時は、僕の右肩付近をぽんぽん叩き、左の時は左肩付近を、曲がらず正面の場合は尻尾をぺちぺち、といった具合だ。
「やっぱり、ここはハクの故郷なんだろうな……」
『うん、わたしもそんな気がする……』
一瞬の迷いもなく行き先を示すハク。時折、辺りを見回しては遠くを見つめ、どこか懐かしんでいるように映る。しんみりとした雰囲気にならないのは……。
「キュキュキュ、キュキュキュ、キュッキュッキュー♪」
と、僕の背ではしゃいでいるからだ。背中から伝わる感触から無邪気に羽をばたつかせている様子が目に浮かぶ。相棒が喜んでいると僕も嬉しい。自然と頬が緩んでしまう。
「キュキュキュ、キュィッ!」
気付けば、ハクが僕の背中から身を乗り出して小さな手を伸ばしている。木の枝でも掴んで遊ぼうとしているのだろう、と思うもすぐに間違いであることに気付く。なぜなら、子竜の視線の先には、雪のように真っ白な果実が実っていたからだ。
「もしかして、あれが欲しいのか?」
「キュィッ!」
「了解だ。 なんかよく見ると“りんご”っぽいけど、そんなわけないか……」
『……えっ!? ちょっと待って、兄さん! 触っちゃ……』
白い果実へ向かって手を伸ばす。リナが何やら止めようとしているが、間に合わない。声に気付いた時にはもう掴み取った後のこと。
「ん? 何か問題あるのか?」
『なんとも……ないの?』
手の平の上で収穫した“りんご?”を遊ばせる僕に、リナは指輪越しから不安げな視線を向けている。僕の手から果実を奪おうとして、じゃれつく子竜を適度に躱しつつリナの真意を考えてみるが、意味が分からない。
「別に何ともないって、見たことは……ないけど、りんごによく似た、ただの木の実だよ」
「そ、そう……」
「?」
「キュー」
「わ、悪いハク。ほら、これでいいか?」
「キュィッ!」
ハクの手に渡した途端、それまで真っ白だった果実は赤く染まりだした。
「色、赤くなったな……。う~ん、どう見ても“りんご”にしか見えないよな~。よし、決定! もう“りんご”でいいだろ?」
『それ、一応“ドラゴン・フルーツ”って名前らしいけど……』
「へ~、そんな大層な名前なのか“りんご”にしか見えないけどな~」
「キュッ!」
「それじゃ、ちょっと休憩しようか。そうだハク、ちゃんと食べる前に手を拭くんだぞ」
「キュィッ!」
子竜を背から降ろして、木陰に腰かける。おしぼりを収納空間から取り出し、小さな子竜の手をふきふき。ついでに僕の手も綺麗にしておいた。ちょこん、と僕の隣にハクは座る。同時に「キュキュッ!」と赤い果実を一目散に食べ始めた。しゃりしゃりとした食感が見ている僕にも伝わってくる。黙って眺めていると、渇きを覚えた僕の喉が潤いを求めて止まない。自然と立ち上がって、僕は別の果実を物色していた。
「美味そうだな。ちょっと僕も食べてみようかな……。確かハクは手に持った時、魔力を流し込んでたよな。こんな感じか?」
おっ、見事に赤くなったぞ。これで食べられる、ってことかな?
「それでは早速……、いただきます!」
『まっ、まって兄さん!!』
「……へっ?」
『もう食べてるし……』
リナの呆れた視線が突き刺さる。何かマズイことでもしたのか? まさか!?
「リナ、お前も食べたかったんだな?」
ゴクリと咀嚼物を飲み込み、首から下げた指輪を撫でる。そうならそうと最初にいってくれればいいのに。
『違います!! って、それより平気……なの?』
「何がだ? この“りんご”甘くて凄く美味しいぞ。食べてみるか?」
『わっ、わたし!?』
なにやらリナは驚いた声を上げる。さっきから何か様子が変だ。
「他に誰もいないだろ」
『……え、遠慮しておきます……』
「ふ~ん、珍しいな。甘いもの結構、好きだろ? いつもなら、真っ先に飛びつくのに……」
『そ、そんなことないもん』
「う~ん。まあ、別にいいけど……」
『……』
それ以上、リナは何も話さなかった。一体、何だって言うのだろう。もしかしたら僕の言動に何か問題があったのかもしれない。どこかで埋め合わせをしないといけないな。
「キュッ!」
——休憩終了
再び、子竜を背負い先へ先へと歩いていく。どれだけ歩いただろうか。ハクに言われるがまま奥へ進む度、辺りは殺風景になっていった。初めは緑豊かで穏やかな雰囲気だったのに今は岩肌が目立って何だか寂しい。
「なあ、ハク。この先に何があるんだ?」
「きゅぅ……」
『ハクちゃん、何だか元気ないね』
「そうなんだ。丁度、辺りの様子が変わってきた時くらいから元気がなくなったみたいなんだ」
「くぅ……」
理由を尋ねても背中の子竜は力ない声を返すだけで詳しい事情を語ることはない。少し心配だが、今はそっとしておくしかない。ハクも、そう望んでいる。
背負っていた子竜を前に抱え直し、時々背や頭を撫でながら歩を進めていく。元気がないながらも、ハクは「きゅっ」と小さな手を前に出して行き先を示してくれた。やがて、高くそびえる断崖に突き当たる。ハクの目指す場所はこの先のご様子。崖の上を見上げて一望したのち、肺から息を一つ吐き出す。二、三十メートル、ってところか? でもまあ大丈夫、この程度なら超えられない高さではない。屈伸して、一気に駆け抜けようとしたところで、首から下げた指輪が激しく明滅する。
『ねぇ! 兄さん、あれを見て!!』
「どうかしたの……って、これは!?」
リナの言う“あれ”とは断崖の根元のこと。ただの行き止まりかと思いきや、巨大な石碑のように何かが彫られている。上ばかり見ていた僕はまるで気付かなかった。駆け寄り、何かが刻まれた壁面へと注意を注ぐ。
『これ、伝承か何かかな?』
「う~ん。多分、そうなんだろうけど……」
僕とリナは揃って小首を傾げる。壁一面、くまなく調べてみるが文字はない。あるのは、魔物らしき集団に立ち向かう一人の戦士の図だけだ。
「こっちの角が生えて武器を持っている連中は魔物……かな?」
『多分、そうだよ。それで、もう片方の剣を持っているほうの絵は人なのかな? 魔物達に挑む“勇者”みたいな?』
「そう考えるのが妥当か……」
語尾に疑問符を添えたリナの歯切れの悪い台詞には理由がある。単身、立ち向かう戦士の様相は人型ではあるものの、かなり重厚な全身鎧を纏い人間らしさを感じさせなかったからだ。肩や膝、その他諸々に見られる突起物が更に拍車をかけている。僕の中では既に一つの仮説が浮かび上がっていた。リナも恐らくそうなのだろう。
『これじゃまるで“人”というより……。いいえ、そんなはず……』
「いや、リナの予想はそんなに外れてはいないと思う。この辺を見てくれ」
戦士たちの足元へと僕の指先は向けられる。
「こっちの小さいほうが“人”なんじゃないか?」
『……そう、だよね。
最初は影か何か程度の認識——というより、経年劣化による掠れとして気にも留めていなかった。それでも一度認めてしまえば、はっきりと分かる無数の小さな何かの正体。巨人同士の戦い、そして成す術なく逃げ惑うだけの人々。過去に起こった出来事なのか、作り話なのか、これから起こるだろう未来の予言なのかはわからない。けど、ハクに導かれて訪れたこの地であった、ということは僕達にとって無関係なことではないはず。言いようのない何かに僕の心と魂はざわついていた。
『兄さん?』
「いや、ちょっと……な?」
リナの問いに僕は一度だけ首を左右に振る。相変わらずリナは鋭い。僕の中で一つの可能性が浮かび上がったことに気付いたのだろう。
「これ、巨大ロボットだったり……なんて」
『はぁ~、何を考えているかと思えばそんなこと。人じゃないとは、わたしも思うけどロボットはいくら何でもねぇ……』
そんなこと、とは少々、傷つく。これでも真面目に考えた結果。溜息をつき、やれやれとばかりに首を振るリナの呆れ顔が目に浮かぶ。外に出られるならハリセンの一発でもあったかもしれない。
「そ、そろそろ先に進もうか」
『あ~、誤魔化した~』
指輪越しに突き刺さるリナの視線が痛い。
「失礼な。僕は単にハクが心配なだけだ」
『う~っ、それを言ったら、わたしだって……』
「なら決まりだ」
僕の腕の中で「きゅぅ……」と小さく一鳴きするハクを見て、リナは何も言えなくなる。僕は苦笑を浮かべた後、ハクを背負い直す。
「よし! 行くぞ!!」
膝を曲げ跳躍。途中、崖を二、三蹴り一気に頂上まで跳ぶ。背中から伝わる子竜の心音が妙に寂し気な分、努めて明るく振る舞ってみせる。
「よっ! ほっ! これで到着!」
特に突発的な事態もなく無事に頂上へ到着。崖の上から見渡す光景に僕とリナは絶句し、やがて重々しく口を開いた。
『ここって、もしかして……』
「そう……だな、ここは……」
見渡す限りに広がる夥しい骨の山。大小様々あるが、大きさに均一感はなく、むらがある。ただ、一つ言えることはどれも人のサイズを明らかに超えていることだ。
「ここは、竜の墓場……」
背中から伝わる子竜の震えが——痛いほどの悲しみが、それ以上の言葉を僕から奪っていた。
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