第53話 再会の子竜 後編 子ねこな子竜
真っ暗闇の通路をひたすら無我夢中で駆け抜ける。初めて訪れた場所、ということもあって、ここがどこだかわからない。が、あてもなく彷徨う中、どうしても大好きな人を求めてしまう。
(キョウマのにおい……)
勢いよくキョウマ達の元から飛び出した子竜——ハクはキョウマの寝室の前へと辿り着いていた。幸か不幸か扉は、わずかばかり開いている。微かに漏れる非常灯の灯りに、キョウマの頼もしさを重ねたハクは導かれるまま、くぐり抜ける。
「キュウ……」
周囲をキョロキョロ、と見回し隠れられる場所を探す。逃げ出した手前、求めているとはいえキョウマやリナとは顔を合わせにくかった。キョウマの部屋は私物が少なく、身を潜められる場所は限られている。希望に叶う場所は一つしかなかった。
「クウ……」
トコトコと奥まで歩き、ペタンと腰を落とす。一息ついたところで、きゅるる、とお腹が可愛く鳴った。小さな手を乗せて、さすったところで空腹は満たされない。低い天井を見上げて、思い浮かぶ光景は過去の穏やかな日々——キョウマとリナの幼き頃のこと。短い日々ではあるが、最も充実していた忘れられない時間……。
「きゅぅ……」
遠き日に想いを馳せる子竜の瞳に熱が帯び始める。
(昔はリナ、やさしく、いっぱいギュッ、ってしてくれた……)
いつも会うたびに優しく抱きしめてくれる。頭を撫でて、微笑みかけてくれるリナは幸せそう。見ているだけで、体の奥が温かくなって嬉しくなる。
「きゅう、きゅ~……」
なのに今は……。
『ダメ!!』
『“めっ!”、でしょ!!』
いつも怒ってばかり……。
——ぼく、ここにいたらダメなのかな……。
「クウ……キュウー……」
苦しくて、切なくて、寂しくて、ポロポロと溢れる涙が止まらない。キョウマもそして多分、本当はリナも優しい。二人が自分を邪魔者扱いするはずはない。分かっていても悪く考えてしまう。
(キョウマ……、あいたいよう……。リナ……、ギュッ、ってしてほしいよう……)
大きくなっても昔と変わらず遊んでくれた、ひと時。一心同体となったキョウマを思い浮かべてしまう。
「見つけた。なんだ、こんなところにいたのか……」
「キュイ!?」
夢か幻か、キョウマの声がするほうへと視線を向けるのであった。
◆
現世に顕現した今でもまだ、僕とハクはどこかで繋がっている。今、どんな気持ちでいるのか、どこにいるのか、と何となく分かることが僕とハクとの繋がりをより強く実感させる。
「ここは……、僕の部屋……」
相棒の気配を辿った先、終着点は僕の寝室だった。ハクは間違いなく、ここにいる。己の直感に従い扉を開ける。部屋の中は薄暗いまま、非常灯の灯りが微かな光を差し込んでいる。
(どこにいるんだ?)
僕の部屋はお世辞にも物が多いとは言えない。物陰となる場所も限られている。
(僕とハクは一心同体……。なら、僕がいつも何かを隠す場所といえば……)
心当たりは一つしかない。
(以前、リナにガサ入れされたんだっけ……)
苦い思い出のフラッシュバックに苦笑を浮かべつつ目的の場所——ベッドの下を覗き込む。流石にベッドの下の裏に張り付いていることはないはずだ。素直に奥のほうへと目を凝らした。
——いた!——
落ち込んでいるせいだろうか? 小さい体が余計に小さく映った。安堵の溜息に、ほっと胸をなで下ろす。
「見つけた。なんだ、こんなところにいたのか……」
「キュイ!?」
声をかけると、ビクッと体を震わせ、僕のほうへと顔を向けるハク。互いの視線が交錯する。ハクは驚きに固まったままだ。安心した、逃げることはないようだ。
「どうしたんだ? こんなところに一人で……」
「キュゥ……」
腕を伸ばして、丸っこい小さな体の両脇に手を添え、ベッドの下から抱き寄せる。床に座ったまま、膝の上に乗せ、その頭の上に手を置いた。僕を見上げる子竜の瞳は雨の中捨てられた、寒さに震える子猫のように潤んでいる。
「ハラ、減っただろ?」
両の頬を緩めて満面の笑みを僕は浮かべる。多少、ぎこちないことには目を瞑って欲しい。僕を瞳に宿したハクは、キョトンとしたまま僕を見上げている。怒られるものだと思っていたのだろう。僕は頭の上に置いたままの手で数回、撫でることにした。
「キューッ」
目を細めて、羽をパタパタさせている。少し、元気が出たようだ。
(いい頃合いかな?)
懐に反対の手を忍ばせる。目当てのモノを手に掴むと、ハクの目の前に取り出した。これは今の僕にとっての切り札。満を持してのお披露目だ。その名は……
【THE・ねこ缶伝説 ~大いなる“まぐろ”編】
その大層な名前の下にはサブタイトル、っぽく“まぐろを愛する全てのにゃんこ達のために……”とも書かれている。まあ、何かと言うと名が示す通り、何の変哲もない猫缶だ。どこから仕入れたのかは企業秘密。
「ハク、お前これが好きだったよな~」
「キュ、キューーーーーーーッ!」
すごい食いつきだった。
僕の撫でる手を離れては身を乗り出し、爛々とした眼差しを缶一点に向けている。パタパタと動く羽の勢いは更に増した。喉元からは涎を飲み込む音まで聞こえてくる。
「キュウッ、キュ、キュ、キューーーーーーーッ!」
「こらこら、今開けるから少し待ってくれよ、な?」
「キューーーーーーーーーーーッ!」
両手を上げ、飛び跳ねるハクは喜びを全身で表している。小さな手から爪を覗かせ、缶を引っ搔く光景はネコそのもの。幼い頃、僕が『ねこ……じゃないよな?』と疑ったのも頷ける。ちなみに、ハクはドッグフードが苦手だ。
(お前、一応はドラゴンだよな?)
苦笑を浮かべつつ、缶を開け小皿へと移し替える。フタを開けた瞬間、飢えた獣と化したハクを抑え込むのは骨が折れる。手足をジタバタさせ、僕の手ごと噛みつきそうな勢いだ。リナの言う通り、“お行儀”とやらを身に付けさせた方が賢明なのかもしれない。
「“いただきます”して、食べるんだぞ」
「キュッ、キュィッ!」
「よし! 慌てず、きちんとよく噛むこと!」
「キューーーーッ!」
“いただきます”をしなければ、食べさせてはくれないと理解はしているようだ。我に返って姿勢を正すと行儀よく返事をする。まあ、僕が離した途端、がっつき出したので、形だけと言っていいだろう。思わず苦笑を浮かべてしまう。
——ガツガツ!
―ムシャムシャ!
——パクパク!
——モシャモシャ!
そんな効果音を付け足しても違和感ない程、猫缶に夢中な我が相棒。
(にゃんこ顔負け……まっしぐら、だな……)
本当にドラゴンなのか、と疑いたくなるのは僕だけではないはずだ。
「まぐろ……、ウマいか?」
「キュッ、キュキュッ、キューッ!」
「おっ、そうかそうか。“大好き”、か……。ならもう一つ、食べるか?」
「キュッ! キューーーーーーーーッ!」
「わかった、わかったからって……。くすぐったいぞ、ハク。 ほら、口の周りがベトベトじゃないか……」
ハクは喜びの余りに、僕の手に頬ずりを始める。指周りに感じる水気に目を凝らすと、原因は直ぐに分かった。ハンカチを取り出して、ハクの顔の汚れをふき取る。ハクはくすぐったそうに目を細めて喜んでいた。「よし、よし……」と新たに取り出した缶を開け、小皿へ付け足すと「キューーーーーッ!」と鳴いて再び、食べるのに夢中となる。
「今日は大活躍だったよな、お腹もいっぱい減っただろう。まだ、食べられそうか?」
「キュッキュキュ、キューーーーッ」
「そ、そうか……、あと五、六缶は軽くいけるか……」
う~む。予想通り、とは言え、腹ペコ子竜の胃袋は実に侮れない。今に限って言えば好都合と言えるが、今後の食費に多大な影響を与えそうだ。うん、当分“巨大化”は控えよう!
「……」
(ヤバ、すっかり忘れてた……)
ハクとの触れ合いに夢中になっていると、背後からの視線に気が付いた。寂しいが半分、羨ましいが半分、と実になんとも言えない雰囲気を醸し出している。その正体はリナ。ハクの視界に入らないよう今は通路側で待機してもらっている。中々、部屋から出てこない僕達が気になって密かに覗いてみたのだろう。ちょっと可哀想になってきた。
「キュゥ、キュッ!」
思考の海に潜っていたところで現実に引き戻される。声のするほうへと目を向けると、空となった小皿を口に咥える相棒が映った。上目遣いに僕を見つめて、つぶらな瞳を震わせている。つまり、あれだ。多分、“おかわり”ってことだろう。つい今しがた「まだ、食べられそうか?」と尋ねたものだから、“まだ貰える”と考えてもおかしくはない。しばしの間、固まっていると小皿を咥えたまま、頬ずりまで始める始末。間違いない、明らかにハクは“更なる猫缶”を要求している!
「おかわり、だな? 実はもっとイイものがあるんだ」
「キュゥ?」
(……『まぐろより、おいしいものなんてあるの?』って……)
「まあ、まずは食べてみろって! リナ、入っていいぞ」
僕の呼びかけに応じ、リナはゆっくりとバツの悪そうに入ってくる。表情は先ほど感じた視線の通り。対するハクはリナの姿を見るや否や僕を盾にして身を隠し、顔半分を出して様子を伺う。すっかり警戒された反応にリナの表情には影が差した。
「ほら、リナ……」
「うん……」
立ったままいても何も始まらない。僕はリナを促す言葉をかけた。強張った面持でリナは頷くと僕のやや後ろに座り込む。
「さっきはゴメンね、ハクちゃん」
「きゅぅ……」
「これ……、ハクちゃんのために作ったんだ……」
「キュッ!」
ボウル大の大きさの皿を取り出し、リナはハクの前に置く。気になる中身は……。
(山盛りのハンバーグ……これ、僕の好きなやつだ)
焼き加減が絶妙で肉汁が食欲をそそる。リナ特製のソースは肉本来の旨味を損なうどころか相互に高め合う——それは味が奏でるハーモニー、と言っても過言ではない。鳴り出す胃袋の音を紛らわせるように、ハクの頭の上に手を置き語りかける。
「リナの作るハンバーグはすっごく、美味しいぞ! ハク、食べてごらん」
「キュゥ、キュッ」
僕の影から恐る恐る身を乗り出して、ゆっくりと山盛りハンバーグの前へと歩み寄っていくハク。漂う香りに、ゴクリと生唾を一度飲み込むと、小さな舌でチョロチョロと舐める。
「キュッ!? キュゥッ!」
その味を知れば、もう止まらない。ハンバーグの山に顔を埋めて一心不乱にモリモリと食べ始める。
「なんか……すげぇ……」
「はわわ……」
「キューッ♪」
みるみるうちにハンバーグの山が消えていく。開いた口が塞がらない、というのは正にこのことだ。僕とリナは茫然としたまま、言葉を失う。それにしても、あの小さな体のどこに入ると言うのだろうか? これも一つの神秘なのかもしれない。
「……あ、あんなに喜んで食べてくれて……よかったな、リナ」
「えっ! あっ、うん……うん!」
強引に意識を現実に戻しつつ、リナの肩にポンと手を乗せる。僕と同様に固まっていたリナの思考も無事に再起動を遂げた。やはり、自分の作った料理を美味しく食べて貰えるのは嬉しい様子。リナの表情には笑みが戻っていた。
ふ、と思う。リナの作る料理はどれも美味しい。料理は愛情、なんて言葉があるけれど、その通りなのだろう。
(実際、リナはスキルも持っていたよな。【料理は愛情!】ってやつ……)
もっともリナの場合、料理に愛をスパイスとして好き好き光線を注ぐことはしない……はずだ。誰々は濃い味が好き。薄い味が好き。野菜は小さく切る? 大きく切る? と、いったように相手のことを常に考えて料理をする。どうやったら美味しく喜んで食べてもらえるのか——何度も試行錯誤を繰り返すことで料理の腕を向上させてきた。僕はそのことを知っている。ずっと、ずっと前から見てきたから……。きっと、ハクにもリナの想いが伝わるはずだ。
「キュッ!」
半分近く食べ終えたところで食事を止めて、ハクは僕とリナを交互に見つめる。トコトコとリナの傍まで歩み寄ると「キュゥ、キュィ」と鳴いて、リナの手に頬ずりを始めた。
「ハクちゃん……」
と、嬉しさのあまり泣き出しそうな声を漏らすリナ。
「……『ごめんなさい』、それに『すごくおいしいよ、ありがとう』って……」
「うん、うん……、わたしもゴメンね、ハクちゃん。それに、“おいしい”って言ってくれてありがとう」
「キュッ、キュィッ」
「……『それから、野菜もちゃんと食べる』ってさ。よかったな、リナ」
「ハクちゃ~ん……」
小さな子竜を抱きかかえリナはぎゅっ、と抱きしめた。どちらからというわけでもなく、一人と一匹は互いの頬をこすり合わせる。リナは瞳を閉じて、子竜の背を優しく撫でる。ハクは気持ちよさそうに「キュー」と鳴いた。
「ハクちゃん……、こうしているとあったかいね」
「キュ? キュイ!」
「トクン、トクン、って聞こえるよ……」
「「~~っ!」」
「キュ、キュイッ!」
同じ答えに辿り着いた僕とリナは互いを見つめ合う。そんな僕達二人を交互に見上げたハクは小首を傾げている。
「そうだ、何でもっと早く気付かなかったんだ僕は……」
「ホントだよ、全く……。兄さん、何度もスキンシップしていたのに鈍感すぎるよ……」
目頭に熱いものがこみ上げてくる。悟られまい、と僕は顔を手で覆い隠して天井を仰ぐ。僕と違って、我慢する気はないリナは目元に伝う一滴を指で拭って笑みを浮かべる。
「ハクちゃんは生きてる! ここにこうして……わたし達と一緒に……」
「キュゥ、キュゥー」
「ありがとう、ハクちゃん。大好き!」
「キュッ、キュゥーッ!」
リナの瞳からは止まることのない涙が溢れ出す。抱きしめられたままハクはリナの頬をを小さな舌でチロチロと舐めた。
(……『なかないで、リナ。ぼくもリナのことがだいすき!』、か……。よかったな、リナ)
これ以上、耐えるのは少々厳しいな。
リナ達に気付かれないよう背を向ける僕の頬にも一滴の涙が流れていた。
お読みいただきありがとうございます。
子竜を可愛く描けるよう意識致しました。楽しんでいただけたなら嬉しい限りです。
次回から再び不定期投稿となります。
次話もまた、お読みいただければ幸いです。




