第29話 敗北
タイトル通りの回となります。
制する声も空しく、洞窟の奥深くへと姿を消すキョウマ。その背に向けてリナは必死に手を伸ばすも一歩届かず空を切る。おぼつかぬ足取りにもかかわらずキョウマの歩みは思いの外速い。
「兄さん!どうしたの!返事して!」
キョウマは何も答えない。洞窟の深い闇が飲み込むようにも見え、リナは焦燥に駆られる。
「待ってってば!」
——バチリ!——
「っ!」
再びキョウマを捕まえようとしたところで見えない何かに阻まれる。
「兄さん、本当にどうしたの?」
リナの声を無視するなど有り得ない。自惚れに見えるかもしれないが、リナにはその確信があった、だからこそ信じられない。
「っ!どうしてこの先に行けないの!早く兄さんの元に行かないと……」
——取り返しのつかないことになる——
「邪魔しないで!」
見えない壁を必死に叩いても何も変わることはない。
(……だったら!)
機転を利かせたリナはナビゲーション・リングを使い解析を試みる。
——孤独の回廊——
単独でのみしか立ち入ることが許されない。竜種の魔物が徘徊することから別名“竜の巣”と呼ばれる難攻不落の迷宮。
「『単独でのみ……』、今の兄さんを独りになんてしたら!」
何か方法はないかと、指輪の機能をフルに使って解析・検索を試みる。
「指輪……。これなら!」
——【指輪待機】——
発動時、リナは指輪の空間内に待機しその間、指輪はキョウマの装備アイテムとなる。
「わたしは兄さんの“だいじなもの”なんだよね?」
キョウマの所持品リスト——【だいじなもの】の先頭に浮かぶ【リナ・アキヅキ】の文字をリナは指でなぞる。
「お願い指輪さん、わたしを兄さんの元まで連れてって!」
【指輪待機】のスキルを発動しリナの体は指輪の虚空空間に吸い込まれる。宙に浮いたまま指輪は銀の光を解き放った。眩い光が洞窟の暗闇を照らしていく。やがて、光が収まると指輪の姿はどこにもなかった。
…………
入り口から一本道を真っ直ぐに進み、キョウマは洞窟内の大広間へとたどり着いていた。入り口付近とは打って変わって、微かな光が広間を照らす。天井が突き抜けているわけではなく、壁面が発光しているためだ。
『兄さん!良かった、上手くいって』
リナと共に姿を消した指輪がキョウマの首にかけられる。銀色の輝きは消失し、今は淡く明滅している。指輪越しにリナは必死にキョウマへ呼びかける。
——答えて!兄さん——
キョウマはやはり何も答えない。目は虚ろのまま焦点も合わせることなく、ただひたすら前へ前へと歩み行く。
『指輪さん、お願い。もう一度、わたしに力を貸して!』
リナの想いに応えるかのように指輪は再び銀の輝きを解き放つ。光は粒子となって人型の姿を形作った。リナの幻影がキョウマの前にふわりと降り立つ。
『兄さん……』
リナはキョウマを正面から抱きしめる。決して触れることの叶わぬ見せかけだけの抱擁。されど、その幻はリナの想いの結晶でもあった。キョウマを想う心の熱が粒子となって流れ込む。いつしかキョウマはその歩みを止めていた。
『お願い!私の声を聞いて!目を覚まして!!』
リナの叫びがキョウマの心に木霊する。冷たく凍り付いた魂を揺さぶっていった。
「リ……ナ?」
『っ!そうだよ、わたしだよ!リナだよ』
徐々にキョウマは意識を取り戻す。リナの涙交じりの声はより一層、覚醒を早めた。
「リナ!どうしたんだ、ここは一体!?」
『それはこっちの台詞だよ。でも、元に戻ってくれて良かった。いつもの兄さんだ』
「???」
『実はね……』
この場所がどういう場所なのか、キョウマに何があったかをリナは説明した。
「そういうことだったのか……。厄介なところに来てしまったみたいだな」
「兄さん、いったん戻ろうよ。ここにいたら危険だよ!」
リナの言葉にキョウマは一考する。洞窟の奥を一瞥し、後ろ髪引かれる思いで元来た道を振り返った。
「そう……だな」
——キシャァァァァァァァァッ!——
『兄さん、今の!』
「くっ!」
——ドクン!——
(まただ。この奥に何がある?いや、何がいる?)
「どうやら、そう簡単には行かないようだ」
『嘘……、ワイバーンにレッドドラゴン!?』
広間には複数の分かれ道が混在していた。キョウマがここまで辿った道とは別の方向全てから竜種の魔物が押し寄せてくる。
正面からやってきたレッドドラゴンと目が合った。縦長の瞳孔を見開くと咆哮を上げキョウマへと襲い掛かる。
(速い!?これでは!)
——逃げられない——
覚悟を決めたキョウマは木刀を盾にして真っ向から臨む。大砲の如き突進をキョウマは辛うじて受け止めるも竜種の膂力は凄まじく、そのままの姿勢で壁面へと叩き付けられた。受け身を取り切れず、全身を激しい衝撃が襲う。腹の底から口の中にまで伝う鉄の味。赤色の液体は喉を通り越し、キョウマの口から吐き出された。
(このままでは……)
『兄さん逃げて!この魔物達、変だよ!』
回復魔法をかける傍ら、リナはキョウマに呼びかける。痛みが和らぎ胸中でリナへの感謝の言葉をキョウマは述べる。
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ワイバーン
状態異常 呪い・狂乱
LV 21
HP 754
MP 115
STR 330(165×2)
VIT 308(154×2)
AGI 456(228×2)
DEX 52(104/2)
INT 36( 36/2)
MND 68
LUC 13
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レッドドラゴン
状態異常 呪い・狂乱
LV 28
HP 1240
MP 549
STR 462(231×2)
VIT 426(213×2)
AGI 456(228×2)
DEX 95(190/2)
INT 57(114/2)
MND 107
LUC 24
~~~~~~~~~~~~
『この魔物だけじゃないよ。他の魔物も全部、状態異常に【呪い】と【狂乱】があるみたい。早く逃げて!』
(そうは言っても簡単には……)
既に眼前に迫っていたレッドドラゴン。爪を振り下ろし、鋭い牙がキョウマを襲う。
「グゥ……」
血みどろになるはずの獲物の姿がそこにない。赤き竜の猛攻は空振りに終わる。低く唸り声をあげ辺りを見回す。不意に頭上から大きく息を吐き出す音がした。ゆっくりと頭を上げると、そこにキョウマの姿があった。
「翼がなかったら今頃……」
間一髪のところで【アクセル・ウイング】が間に合ったキョウマは高く跳躍し回避に成功していた。
(あまり長くは飛べない。くっ、次は……)
『兄さん、後ろ!』
「しまっ……!」
空を飛べるのは自分だけじゃない。気付いた時には既に遅かった。二体のワイバーンがキョウマ目掛けて体当たりを仕掛けてくる。
体の向きを滑らせ木刀で捌き直撃は辛うじて免れる。
(ちぃっ!)
ワイバーンの攻撃はキョウマの翼を掠める。光の粒子が飛び散り、バランスが崩れ、頭から地へと落下を始めた。そこには口を大きく開き待ち構えるレッドドラゴンの姿がある。
落下の最中、竜の咢に魔力が収束されているのをキョウマとリナは目の当たりにした。
『火炎息!?』
「くっ、やられるか!」
光の翼から粒子が激しく放出される。
キョウマの翼から生み出される嵐の結界。そして竜の火炎息。
風と炎がぶつかり合う。
光の暴風が猛き炎を吹き飛ばせば、更なる灼熱が押し寄せる。両者、互いに譲らず拮抗を続けたところでキョウマに異変が起こる。
(くっ、力が……)
受けたダメージとこれまでの戦闘による疲労の蓄積により、キョウマの体は既に限界を迎えていた。光の翼が淡く明滅を始めた。キョウマから力が抜け、風の防壁は衰えていく。
『兄さん、負けちゃだめぇっ!』
リナの悲痛な叫びも空しくキョウマは競り負け火の海に包まれた。魔法の翼は完全に消失し、冷たき洞窟の地へと墜落する。
『いや、いやぁぁぁーーーーー!!』
火炎息の威力は衰えをしらず、地を転がる今もキョウマの身を焼いていく。
『ヒール!ヒール!!ヒール!!!』
リナは回復魔法を重ねて唱え続ける。MPのある限り……否、たとえ尽きようとも、キョウマの命を繋ぎ止めるべく何度も何度もその声はキョウマの心中に木霊した。
「うっ、ぐっ、……セル……イング」
ほんの一瞬、キョウマの背に光の翼が現れる。煌く風が身を焦がす炎を消し飛ばした。
(こんなところで、終わってたまるか!)
リナの励ましに意識を首の皮一枚つないだキョウマは限界を迎えた己の体に鞭を打つ。木刀は火炎息で焼かれ既にない。渾身の力を奮い立たせ、膝を震わせながら起き上がる。
レッドドラゴンとキョウマの目が合う。万策つきているにも関わらずキョウマは口端を吊り上げ不敵に笑って見せた。
『兄さん、今のうちに星竜闘衣しないと!』
キョウマが笑った理由を“奥の手”を使うとリナは予測していた。この状況を乗り切る手段があるとすればその方法しかない。リナの考えは至極もっとも。ところがキョウマは首を横に振る。
(それはできない)
一つ、虫の魔物と交戦時に【星竜闘衣】を使ってから時間がそう経っていないこと。
二つ、星竜闘衣に耐えられる体力が今のキョウマにはないこと。
されど、キョウマは何も言わない。言えばリナが傷つくからだ。
(大丈夫だよ。約束だ。一緒に帰ろう、リナ)
リナもそれ以上は何も口にしなかった。“約束”と言葉にした以上、キョウマは必ず守る。指輪越しに兄の無事をただひたすら祈る。
「シャァァァァァァッ」
瀕死の獲物に狙いを定めた魔物達が一斉に向かってきていた。尾を振り、目を血走らせて駆けてくるレッドドラゴン。滴る涎をまき散らし飛来するワイバーン。
キョウマの体が爪に引き裂かれ、牙の餌食になる。噛みついたレッドドラゴンの隙間を縫ってワイバーン達が焼け焦げたキョウマの体を貪った。
…………
「グゥッ」
異変に気付いた魔物達が低い唸り声を上げる。蹂躙しつくしたはずの獲物の姿がどこにも見当たらないからだ。
顔を上げて辺りを見渡す竜種の魔物達。他に生き物はどこにもなく蒼の木の葉だけが舞い散っていた。
◇
「ハァ、ハァ……」
大きく肩で息を切らせる音が暗い洞窟の通路に響いた。
——蒼葉光刃心月流、葉隠——
闘気で作った像を残し、身代わりとする回避技。その技をもってキョウマは逃走することに成功した。
「げ……転移門」
赤い鳥居を呼び出し、倒れるように潜り抜ける。
「兄さん!」
拠点に到着してすぐにリナは【指輪待機】を解除し、キョウマの体を抱きかかえた。全身に広がる火傷と血の跡にリナの顔は血の気を失っていく。そんな危険な状況にもキョウマはあくまでいつも通りだった。
「服……、僕の血……で汚れ……るじゃないか」
「兄さん。今は!」
「ゴ……メン」
「えっ!?」
「謝るのは自分の方」と考えていたリナはキョウマの言葉に意表を突かれる。
「折角、リナに……買って……貰ったのに……」
キョウマは今日、買ったばかりの【レッドジャケット】のことを気にしていた。破れたばかりか焼け焦げて、どう見ても修復はできそうにない。
「そんな!気にしないで!兄さんが無事ならわたしは!」
「そうだ……な。おかげ……で助か……った」
火に対する耐性があったおかげで生き残ることができた。キョウマの想いにリナの頬には涙が伝う。
「泣くな……って。ありがとう、リナ」
「兄さん?兄さん、ってば!」
震えるその手でリナの頬をそっと払いキョウマは静かに目を閉じていく。リナの泣き顔をその瞳に映し、意識が途絶えていった。
お読みいただきありがとうございます。
作中、魔物達にかかっている【狂乱】は主人公のスキルと同じ名ですが効果は違います。主人公は三倍、魔物は二倍、となります。




