知らない記憶
男の目は酷く殺気立っていた。
歯を剥き出しにし、怒りと憎悪を露にし、レイジという存在を睨む。
レイジにはそんな顔で睨み付けられる覚えがない。自分がいったい何をしたというのだろう?
「レイジさん! 下がってて!」
ヒノキは胸を張って堂々とその男の前に立ちはだかる。
「ハンドフレイム」
そう唱えた直後、ロザリオリングをはめた手のひらから火球が生まれでていた。
その炎を男に向かってかざす。息を吸い、その炎の塊に息を吹き掛けた。
炎の塊が男にむかって襲いかかる。
岩をも瞬時に形を失う竜のブレスのような火炎だ。
男は声をあげる間もなその火炎に飲み込まれた。
――これは……魔術……?
ヒノキの持つロザリオリング。恐らくそれは、呪文によって炎を発生させる装置だ。
あらかじめ発生させる魔術の内容と、それを産み出す呪文を設定することによって、自らの魔力を燃料に産み出される炎。
ヒノキが産み出した炎はそういう魔術で産み出されたものだった。
温度にもよるが、人間を骨だけにするには十分すぎる火力だ。
だが、炎に包まれた男はうごめいているようだった。
「まだ倒れていない……!」
『オアアアアアア!』
それは鋭い、獣じみた声だった。
『こんな……こんな炎ゴトキィ……!』
その声が響いたのと、ヒノキが動いたのは同時だった。
気がつけば、ヒノキはまたもレイジの手を引いていた。
刹那の時間のうちに、変化していたのは今二人が立っていた場所に降り注いだ赤い雨だった。
グズグズと煮えたぎったマグマのような赤い液体が美しい石畳を赤く染めていた。
その液体が集束し、再び人の形を作っていく。
その様はまるで「スライム」だった。いや、「スライムのようななにか」と形容した方が正しいかもしれない。
本来じめじめしたところを好み、特定の形を持たなず、物理攻撃が効かないモンスター……というのが一般的なイメージなのだが、目の前のそれはそういったイメージとはかけ離れた存在のようだ。
「炎が効かない……?」
ヒノキが状況を冷静に分析するなか、レイジは肩で息をしていた。
「ハァ……ハァ……炎じゃ」
一瞬で無理矢理動かされたためか、内蔵が揺り動かされたような錯覚を感じる。
「ヒノキ!」
アーネスカが近づいてくる。
「あんたの炎でもだめか……」
「この間戦ったときも思ったけど、あれ……スライムじゃないよね?」
「スライムなら炎で焼ききれるはず……なんなのあれは?」
「炎じゃだめだ!」
ヒノキとアーネスカは二人同時にレイジを見た。
「やつは炎で焼ききることはできない! 凍らせか、本体を叩くしかない!」
二人は顔を見合わせる。アーネスカが呟く。
「あんた……一体……」
「アーネスカ、氷の魔術は何か持ち合わせていないのか?」
「……」
レイジの顔を見たまま、アーネスカはなにかを考えている。しかし、そうも言ってられないと判断したのか、素早く目の前の赤いスライムに向き直る。
「あとで説明してもらうわよ」
アーネスカの左手にもロザリオリングがはめられていた。
「ヴォルテックス・ボウ!」
アーネスカの手のひらを中心に光の弓が出現する。
光を発していながら、ただの光とは違う。質感の存在する確かな弓だ。
そして、ベルトのバックルについている小さな箱から青いダーツの矢を取り出した。
それらを本物の弓矢と同じように構え、人の形をしたスライムに向ける。
『オ、オオオ、オ、オレの目的、は……その小僧をコロスこと……ジャマをするなァ!』
「生憎……あたしたちの目的は、あんたみたいなのと戦うことよ」
青いダーツの矢が放たれる。矢が男に触れたその瞬間、男の周辺が一気に凍りついた。
スライム男の氷像。その動きは完全に封じたようだ。
「これでいいのね?」
アーネスカはレイジに向き直り確認を求める。それに対し、レイジは静かに頷いた。
そして同時に思った。
――あれ? 俺はなんでこんなこと知ってるんだ?