ネレイアス広場
時間にして昼過ぎ、レイジとヒノキ、アーネスカの三人は賑やかな商店街を歩いていた。
人が多く商いに精を出している者が多く、パンや肉などの食品を扱っているものもあれば、刀鍛冶のような力と技術を必要とするものまで商店街は様々なものがあった。
それはこの町の一角に過ぎない。それでもレイジの目を引くには十分過ぎた。
「こんなに人がいる……」
「人混みは初めてですか?」
ヒノキに問われ、レイジは少し困ったような顔をした。
「わからない。でも新鮮な気分だ」
「この商店街は、ルーセリアの一部なんです」
「るーせりあ?」
聞いたことのない名前だった。いや、ひょっとしたら今の自分にはどんな名前も聞いたことがないものかもしれない。
「この都市の名前です」
「るーせりあ……なんとなく神秘的な感じがする」
「そうかもしれませんね。私も始めて聞いたときそんな気がしました。この町は、世界でも有数の魔術都市なんです」
「まじゅつ?」
その単語もまた聞いたことがなかった。頭の中で記憶を辿ってみようとしても何も思いつかない。
「本当に何も覚えてないのね」
アーネスカがつぶやく。驚いてるわけでも、バカにしているわけでもなく、ただ意外そうに。
「そう、みたいだ」
「ヒノキ。説明してあげな。ギルドまではまだ歩くからね」
「ぎるど?」
新しい単語が出てくるたびにオウム返しになってしまう。自分の無知っぷりにイライラを禁じえず、黙り込んでしまう。
まるで自分一人だけ、言葉の通じない世界に強制的に飛ばされたような、そんな疎外感を感じる。
――俺は……誰なんだよ……。
「レ、レイジさん! 大丈夫、これからわかっていけばいいことですよ!」
「……?」
ヒノキはどうやら慰めようとしてくれているらしい。
――そんなに顔に出やすいのか? 俺は?
「ご、ごめん……心配かけたかな? ヒノキ、さん」
自分の態度に妙なよそよそしさを感じる。まだ自分以外を、素直に信用できないからだろう。
「呼び捨てでいいですよ」
「え?」
「私のことは、呼び捨てでいいです。ヒノキって呼んでください」
「えっと……いいのか?」
「はい」
ニッコリと微笑む。そこで気づいた。自分はまだ素直に人を信用できていないのだと。
ヒノキはそれを理解しているのかもしれない。
「じゃあ、そう呼ばせてもらうよ。ヒノキ」
「はい、ところでレイジさん。そろそろ色々聞いてみたいことが出来たんじゃないですか?」
言われて再び記憶をめぐらせて見る。
アーネスカが言う居住ギルド、この町ルーセリアのこと。『わからないこと=聞きたいこと』そういう意味では確かに選択肢は増えていると考えてもいいようだ。
「そうだな……じゃあ、この町のことをもう少し詳しく教えてほしいな」
「わかりました。さっきも言った通り、この町は世界でも有数の魔術都市と呼ばれ、魔術を学ぶべき足を運ぶ人が後を立たない町なんです」
「その魔術ってのはなんなんだ?」
「う~んそうですねぇ。一言で説明するのはちょっと難しいですから、それについては言葉で知るより、少しずつ体験して学んだほうがいいかもしれません」
なるほど、といいつつレイジは次の質問を考える。
「えっとさ、ずっと気になってたんだけど、ヒノキ達は……なんなんだ?」
「え? なんなんだって……?」
質問になっていない。自分でも何を言ってるんだ、と思ってしまう。でも他にどう聞けばいいのかわからない。
「その、記憶のない俺に付き合ってくれたり、治療してくれたり、ヒノキ達は何をしてる人達なのかな……って」
「あぁ、そういうことですか」
レイジの質問の意図を、ヒノキはちゃんと汲み取ってくれたようだ。話がわかるというのはこんな感じなのだろう。
「私達は戦女神、エルマを信仰の対象としている、という意味では宗教団体みたいなものですね」
「ある意味では?」
「決してそれだけではないということです。戦いというのはいまだに男性のものだという風潮は、どこの国にも存在します。女は家を守るものとか、家事や炊事をするものだとか、そういった偏見のことですね。
でも、女性の中にも戦う人間や、社会に進出する権利がある。そういった考えをもっと広く認知させるため。もっと言えば女性が自立して生きる能力を獲得するために生活する場所。
それがエルマ修道院であり、私達である。ということなんです」
「な、なるほど」
正直言ってることの半分くらいしか理解できなかったような気がする。でも男である自分が排除されなければならない理由はわかった気がした。
「修道服の色が違うのには、何か意味が?」
「もちろん、ちゃんと意味がありますよ。私みたいに白を基調としてるのは、医療魔術を学んでいるんです」
「医療魔術……魔術の中にも色んなのがあるっていうことか」
「はい。医療魔術はその名の通り、医療の技術を魔術に応用したものになります」
「なるほど」
といわれても、そもそも『魔術』とは何かがわからないので、なんとなく納得するしかないのだが。
これ以上掘り下げても、理解は難しいかもしれないので、別の質問をぶつけてみる。
「じゃあ、アーネスカの青いのは?」
「白にも言える事ですが、青は武器を持たないことを意味します。同時に人々を守護し、導く存在を示す色ですね。」
「いまいち、抽象的だな」
「よく言われます。簡単に言ってしまえば、『私達は貴方達の敵ではないですよ』ということを示していたり、災害に巻き込まれたりした人達を落ち着かせたり、守ったり。そういった人を守ることを象徴する色なんです」
「二人とも、おしゃべりは一旦終わり。目的地に着いたわよ」
今まで黙って歩いていたアーネスカが制止する。
「公営ギルドよ。この町の住民の生活を管理・運営する場所。住む場所を探すなら、まずはここね」
建物は石造りで頑丈そうだった。外から見ると三角屋根の建物が三つほど連なった形をしている。
公営ギルドの周辺はかなり大きな広場になっていて、この広場を中心に道が円形に分岐しているようだ。
複数の建物が連なっているのにも関わらず、雑然とはしておらず、むしろ綺麗に整理されている。
大道芸人や吟遊詩人が芸をしたり歌を歌ったりしていて、その周辺に人が集まっているのもわかる。
総じて、とても綺麗で華やかな広場であることがわかる。言葉に出来ずとも、レイジはその華やかさを感じ取っていた。
公営ギルドはそんな広場の中心にあった。
「ここはネレイアス広場って言ってね。この町の中心地よ。公営ギルドを中心にいくつものギルドハウスが軒を連ねていることから、ギルド広場とも呼ばれているわ」
「凄いな……」
レイジは思ったことを素直に口にした。そんな感想しか思い浮かばない。
建物、広場。どちらも華やかで素敵な印象を放っている。それに対して具体的な感想がでてこないのは、自分が記憶を失っているからだろうか?
「……?」
妙な違和感を感じた。
この華やかな雰囲気の中にあって、妙に浮いている存在が目に入ったのだ。
かなり痩せた男だった。いや、やせ細っていると言った方が正しいか。
一応服は着ている。ギルドの壁にもたれ掛かっていて、うな垂れているようだ。
明らかにこの場にいは相応しくない、不信人物といった感じ。
「あの人……!」
レイジについで、ヒノキがその存在に気が付いた。
「ちょっと行ってくる」
その場から即座にヒノキは走り出す。
「え? おい……!」
「ほおっておけないのよ。あの子」
「何を?」
「ああやって、一人でいる人を」
「いいのか? ほうっておいて」
「大丈夫よ。あの子、結構強いから」
――どういう意味で強いんだ?
疑問に思ったが、口にするのをやめた。いずれわかるだろうと思ったから。
「後で合流すれば問題ないでしょ。それにあんたはまず、自分のことを考えることね」
――それもそうか。
なんとなく納得し、アーネスカと共に、公営ギルドに入った。