エシュロウの提案
眠りにつくときなんとなく意識していたことがある。
明日の朝目が覚めたら、きっとこの天井を見て目が覚めるのだなと。
まだ一日分の記憶しかないレイジには、目に入るもの全ての記憶が新鮮だったから、寝るときの天井のことなんてものを意識してしまった。
しかし、今目の前にあるのは……女の子の顔だった。
「……!」
正直なところどんな反応をしていいのかわからない。
目が点になるとはこのことをいうのだろうか?
「あ、目が覚めましたか?」
そういって目の前の女の子は顔を遠ざけた。
そこでようやく彼女の正体に気が付いた。ヒノキだ。
純白の修道服姿で姿勢を正して、ベッドの横に立っている。
彼女の顔が離れたところで、レイジはベッドから起き上がった。
「なんで、ヒノキがここに?」
「えっと……レイジさん、まだこの町になれてないだろうし、少しでも記憶を取り戻すお手伝いができればって思って、それで……」
ヒノキはややつたなげに言葉をつなぐ。自分のことを人に説明するのは苦手なようだ。
「修道院の方はいいのか? ほっぽりだしてきて」
「大丈夫です。ちゃんと許可はいただきました」
彼女は過去の自分を知っている。記憶を失う前の自分かもしれない人間を知ってる。
「そっか……じゃあ」
だからその申し出は嬉しいから。
「よろしくお願いします」
そんなことを言っていた。
何がよろしくなのか、何がお願いしますなのかよくわからないけど。
「はい。お手伝いさせていただきます」
これまた姿勢を正して、丁寧にヒノキはお辞儀をした。
まるで主に頭を下げるメイドのような構図だった。
――まるでこっちが子供みたいだ。
ヒノキと一緒に廊下を歩いてレイジはそう思った。
並の大人以上に背が高いから、並んで立つと頭が彼女の胸のあたりにくる。間違えて正面衝突したら、間違いなく彼女の豊満なバストに顔をぶつけることになりそうだ。
「私、しばらくはここに通って、朝ごはんと晩ごはんだけでも作ろうって思います」
声が聞こえたので横目でヒノキを見る。といっても視線だけでは彼女の胸ぐらいしか目に入らない。
「なんでわざわざ?」
「少しでも、レイジさんの記憶を取り戻す手助けをするためです。昔私が作った料理とか、そういうのが記憶を呼び覚ますきっかけになるかもしれないと思うから」
正直ありがたいなと思う。今のレイジに記憶を呼び覚ますきっかけなんて何一つ存在しないのだから。
「得意な料理とかあるのか?」
「基本なんでも作りますよ? パンだって焼けるし、チャウダー料理も結構得意です。でも朝ごはんにチャウダーは重いから、朝ごはんは豆や穀類を使った軽めの食事のほうが体を動かす上ではいいかもしれません」
「昔の俺は何を好んで食べていたんだ?」
「ぁ~……」
ため息のように息を吐くヒノキ。
その顔には「忘れた」と書かれているような気がした。
「覚えてない?」
「というより、私が作るものは基本なんでも食べてくれていたような気がするんです。だから特別好みとか、そういうのはなかったような気がします」
「なるほど」
どうやら昔のレイジは、食べ物の味で女の子を泣かせるような男ではなかったらしい。
「今日の朝ごはんも作ったのか?」
「レッドキドニーとひよこまめを和えたサラダに、ゆで卵と、ロティミートパイです」
「名前だけ聞くとどんな料理の組み合わせか見当つかないけど、全然軽そうな感じしないな」
「ちょっと、気合入れすぎちゃったかも……」
「でも……嬉しいよ。ありがとう」
笑顔でそういうと、ヒノキは両手を胸の前で合わせ、同じく笑みを浮かべた。
「はい!」
ダイニングルームは二階で、適度な広さがある。
バルコニーに繋がる窓があり、外の空気や光を存分に取り込めるつくりになっていて食事には最適な場所になっていた。
部屋の中心には四人分の食事が並んだテーブルと四つの椅子があり、エシュロウとシェリアはそこにいた。
シェリアは椅子に座りながら新聞なんぞを眺めている。普段ニコニコ笑顔を浮かべている彼女にしては珍しく、非常に真剣な目つきで読んでいる。
エシュロウは足を組んで紅茶を嗜んでいた。香りや味を楽しんでいるその姿からは一言でクールの三文字が浮かび上がる。
「お、来たな」
エシュロウがレイジとヒノキに気づき、視線を向けてくる。
「先生。二人が来ました」
「う~ん、わかってる~」
シェリアは新聞をとじると、唐突にそのテンションがハイになった。
「グッモ~ニン! クロガネ君! どう? 昨日はちゃんと眠れた?」
「はい、ぐっすりです」
「それは重畳。ヒノキちゃんが作ってくれた朝ごはん、みんなで食べましょ!」
促されてヒノキとレイジもテーブルについた。
「フフ……」
紅茶をすすりながら、エシュロウも笑みを浮かべる。
「いいものですな。こうやって大人数が一同に介して食事をするというのも」
クールに笑いながら、エシュロウはカップをテーブルの上に置いた。
「時に、クロガネ=レイジ殿」
「はい?」
「敬語は使わずとも良い、貴公に聞きたいことがある」
「なんで……え~っとなんだろう?」
敬語を使うな言われても、エシュロウ自身の話し方が硬いせいか、砕けた会話がしにくく感じる。
爽やかな雰囲気と堂々とした自信溢れる態度。
身長が高いが故に生じる迫力とはまた別の迫力を全身から放っている。
「貴公には記憶がないそうだな」
レイジは無言で頷いた。
「ヒノキ殿からも聞いたが、貴公は己の記憶を取り戻すために、危険な館に足を運ぶそうだな」
「一応そうなるのかな?」
まだどのように行動を起こしていくのかは決めていない。
しかし、そのときは必ずやってくる。それだけはわかる。
「貴公は自分の身を守る術を、ちゃんと持っているのだろうか?」
「それは……」
正直なところ、『わからない』としかいいようがない。
自分に何が出来て何が出来ないのかすらわからないのだから。
「レイジさんは、私が守ります」
強い決意を宿らせた瞳でヒノキがいう。
「それを否定するつもりはない。しかし、いざと言うときに自分の身を守る術がなかったら、その命を落とすことになりかねない。レイジ殿、俺は貴公に二つの提案をしたい」
「それは?」
「一つは、弓術でも剣術でも魔術でもいい。自分で戦う力を確立することだ。
もう一つは、共に歩んでくれる人間達と絆を深めておくことだ。ヒノキ殿は貴公を守ると言ったが、貴公自身はヒノキ殿のことを何も知るまい。それでは、いざと言うとき安心して背中を預けることはできないだろう」
言われてヒノキは微妙な表情になった。
その通りだからだろう。レイジ自身の記憶の始まりが先日からである以上、それは仕方がない。
いくらヒノキが昔生き別れた兄に似ているといっても、その発言が本当である保障などどこにもないのだから。
「否定……できないな」
「ならば知ることだ。自分のことを、周りの人間のことを。その必要があれば、俺も喜んで協力させてもらう」
「協力ってのは?」
「剣の稽古くらいなら付き合ってやれるという意味だ。これでも、シェリア先生に師事している身。それなりに協力してやれるだろうと思う」
「別に二人まとめてお稽古してあげても構わないけど?」
シェリアはヒノキの作ったロティミートパイに噛り付きながら言った。
「あ、あの、まだいただきますって言ってないんですが……」
「気にしない気にしない。それに我慢できなくなっちゃってさ。美味しいんだもん! ヒノキちゃんのミートパイ!」
モグモグと満面の笑みで口を動かしている。
――美味そう……。
心の中で思う。ヒノキの作った料理はそんなに美味しいのだろうか?
「え~と、先生」
「なぁに~?」
「これ以上、先生の負担を増やすわけには……」
「私は構わないわよ? そのほうが上達も早いでしょう」
「どうする? レイジ殿」
「え? えっと……」
唐突に話を振られ、レイジは考える。
エシュロウの言うとおり、自分には戦う力がない……かもしれない。
ならば剣の稽古くらい受けておいても損はないかもしれない。
「じゃあ、そのよろしくお願いします」
レイジは深く頭を下げた。
「うむ! 若者は、遠慮せずに年長者を頼りなさい!」
どんと胸を張るシェリア。どう見ても細身で普通の女性にしか見えない。この人の剣の実力とはどれほどのものなのか。
正直なところ、それが気になって仕方がない。
直後、
グゥ~~~~。
空腹を訴える悲鳴が腹から聞こえた。
「いきなり長く話してしまってすまなかったな。食事にしようか」
「そうね。それじゃあ、いただきます」
シェリアを筆頭に全員が続き、朝食が始まった。
ヒノキの作った朝食は本当に心もお腹も満足できる美味しさだった。




