同期の検定(2)
滑走路上では、305と入れ違いに訓練空域へと向かう204飛行隊のF-15が編隊を組んで轟音と共に上がり始めていた。
目の前の駐機場では大型の燃料車が行き交い、次のフライトに向けて給油作業や機体の点検整備が速やかに進められていた。
搭乗機を整備員に任せたパイロットたちが三々五々戻ってくる。さばさばとした様子でヘルメットバッグを片手にぶら下げて歩いてくるのは大抵がベテランの先輩たちだ。アディーのウイングマンとして飛んだ検定官のハスキーも、整備作業に入った隊員たちが立ち働く様子を見やりながら淡々とした歩調でこちらに向かっていた。
一方で、若手たちの顔つきは仏頂面だったり、逆に意気軒昂と輝いていたり――識別帽の下の表情と足取りを見れば、フライトの出来は大体想像がつく。
――アディーはどうだったんだろう。納得のいくフライトができたんだろうか……。
2機編隊長への検定試験では、フライト前のプリブリーフィングから始まって、ウイングマンを伴っての離着陸や訓練空域への進出と帰投、対領空侵犯措置や要撃、空中格闘戦など、可能な範囲で全般的に行う。
実動に際してウイングマンとともに任務を完遂し無事に戻ることのできる技量が求められるのはもちろんだが、同時に、日常の訓練においては僚機の技量レベルやその時々のメンバー編成、使用できる高度帯、天候変化など様々な条件を総合的に勘案し、限られた時間の中で最大限の訓練成果が得られるような訓練を実施し指導できるかも重要なポイントとなる。
編隊長として訓練の場をセットアップしコントロールすることができるか、そして場面に応じて的確な判断が下せるか――指揮官としての能力を一連の状況すべてにわたって判定されるのだった。
果たして自分自身はそういったことができているんだろうか――試験に臨んだ同期の出来ばえについて想像を巡らせているうちに、心許ない思いが今更ながらに胸の中で頭をもたげつつあることにはたと気づいた。慌てて気持ちを奮い立たせる――漠然とした不安に対してむやみに引け腰になるのが一番良くない。自分がこれまでやってきたことを信じろ。積み重ねてきたものを信じろ……!
駐機場の奥に停められたF-15の元では、整備員とのやり取りを終えて敬礼を交わしたアディーが踵を返したところだった。
ちょうど同じタイミングで駐機場に面した出入り口のドアが開かれた。いっそう大きく聞こえてきた戦闘機の爆音と共に、ハスキーがオペレーションルームに入ってきた。その表情から結果が窺えるかと思ったが、ハスキーはいつもと同じ気負いのない態度でスタスタと救命装備班に入っていってしまった。
続いて戻ってきた対抗機役の先輩たちに幾分遅れて、ようやくアディーが姿を見せた。既にハスキーがブリーフィング用のデスクについて書類に向かっているのを見て急ぎ足で装具を置いてくると、身軽になって対面の席につく。
「えー……それじゃあこれからな、検定試験の講評を実施する」
ハスキーは手元に置いた数枚の書類を整えてから、背筋を伸ばして硬い面持ちで座るアディーに向かって再び口を開いた。
「ウイングマンへの指示の出し方……自分がどういう意図を持っているのかをいかに簡潔明瞭に相手に伝えるか、それから、指示を出すタイミング――そういった細かい部分でまだ甘い点が散見されるものの、全体としては基準に達していると判断した。2機編隊長への検定は、合格とする」
「はい!」
アディーは態度を崩すことなく短く返事をした。
合格だ……!
DO席で聞き耳をたてていた俺は、思わず笑顔になっていた――とうとうアディーがリーダーに……一人前の戦闘機乗りになったんだ!
たとえ一番のライバルとはいえ、これまで共に切磋し合ってきた同期だ。喜ばしい結果に俺まで嬉しくなる。
「アディー先輩、検定合格ですか」
隣でアシスタント業務に就いていたボコが講評の様子を伺いながら囁く。俺は大きく頷いた。
カウンターの中で飛行情報端末に向かっていた荒城2曹と、管制塔からの直通ラインで各機の着陸時刻を受けていたモッちゃんが目を見交わして互いに頷き、にっこりと笑みを浮かべる。荒城2曹は席を立つと、別のパソコンの前に座り直して合格承認の書類を作り始めた。
続けられているブリーフィングの場で、ハスキーはいつもの軽い調子ではなく、重々しい口調で言い含めるように続けた。
「ある意味、ここからが肝要だからな。部下の命に責任を持つ立場となったからには、これからもなお一層、弛まず鍛錬に励むように」
「はい!」
「講評は以上」と締めくくって席を立ったハスキーに、アディーもすぐさま立ち上がって「ありがとうございました!」と一礼した。そしてDO席からブリーフィングの様子を見守っていた俺に顔を向けると、安堵したように初めて笑みを見せた。
やったな!――俺は小さくガッツポーズを作って、沸き立つ気持ちを笑顔で伝えた。
カウンターから出てきた荒城2曹がバインダーに挟んだ一枚の紙をハスキーに差し出した。2機編隊長とする旨が書かれた承認書だ。ハスキーがそれに手早く自分の階級氏名を記入すると、荒城2曹はバインダーを持って飛行班長と隊長の決裁を受けに総括班の方へ向かっていった。
俺はこのピリオドでの業務を終えてDO席の机回りを片づけると、数段の階段を駆け下りてアディーの元に飛んでいった。
「おめでとう! これでお前もリーダーかぁ!」
感慨深くそう言いいながら背中を力いっぱい叩いてやると、アディーは一気に緊張が解れたのか脱力したように笑った。
「まだ全然実感が湧かないけど――いや、ほっとしたよ」
ヘルメットを被っていたために汗で湿ってところどころ束になった髪を無造作に掻きながら、まだしっかりとマスクの跡が残っている頬を上げて苦笑する。それでも、晴れ晴れとしたその顔は一人前の戦闘機乗りとしての自信にあふれていて、そんな同期を俺は眩しく仰いだ。
その後の終礼時に、アディーが晴れて2機編隊長となったことが隊長から飛行班員全員に周知された。
「2等空尉、村上晃。2機編隊長検定試験に合格とし、その資格を付与する」
隊長は脇に控えている総括班の先任から渡された書面を皆の前で読み上げると、その聡明そうな眼差しを列中にいるアディーに向けた。
「おめでとう、アディー。これからはリーダーとして、若手を鍛え、この305をしっかりと引っ張っていってくれ」
「はい!」
期待が込めたられた隊長からの言葉に、アディーは姿勢を正して気迫を感じさせる声で応えた。その同期の姿に、俺は頼もしさを感じると同時に少しの焦りと羨望も胸の内に自覚しながら、「自分は自分なりの精一杯で頑張ろう」と努めて意識して気持ちをしっかりと持ち直した。
課業終了のラッパを全員で不動の姿勢を取って迎え、終礼は解散となった。いつものようにやることはまだ残っている。3回目のディブリーフィングがまだだったので、機動解析も含めて準備にあたるためにVTRルームに向かおうとした時だった。
飛行管理員が詰めているカウンターに明日のスケジュール表を持ってぶらりとやってきたハスキーが、俺に気づくと声をかけてきた。
「イナゾー、お前、明日検定な」
検定――自分はまだしばらく先に違いないと消沈気味に思っていた俺は、その言葉に驚いて思わず足を止め、突っ立ったままハスキーを見つめた。
先輩は俺の様子に頓着せずにスケジュール表をカウンターのモッちゃんに手渡すと、付け加えた。
「検定はパールがやるから。準備しとけよ」
「……はいっ!!」
総括班の方へ戻っていくハスキーを見送りながら、がぜん闘志が湧いてくる。それまでどうしても捨てきれなかった僻みがましい気持ちは一瞬で吹き飛んでいた。
たまたま傍らで俺とハスキーのやり取りを聞いていたアディーが笑みを見せ、鼓舞するように俺の肩口を力強く叩く。
俺は大きく頷いて応えると、「よし……よし!!」と呟いて気合を掛けた。
いよいよ明日だ――!