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先輩の背中(2)

 このピリオドで上がる航空機がすべて出払っている今、整備小隊は一息入れる時間となっていた。

 台車を押していた俺は待機室のドアを開けたリバーの後ろに控えていたが、担当機を送り出した整備員たちが部屋の中でそれぞれに寛いでいる様子が見て取れた。ソファーに凭れて新聞を読んだり、コーヒーを飲みながら談笑したりしている。


 戸口の気配に気づいた数人の隊員がふとこちらに顔を巡らせ、あっと目を見開いた。


「……リバー!?」

「リバーさん!?」


 その名前を耳にして、ソファーから跳ね起きた他の隊員たちも声を上げて次々に駆け寄ってくる。たちまちリバーを取り囲む人垣ができた。


「体の方、もう大丈夫なんすか!?」

「また顔を見られてほんと良かった……!」

「元気そうで安心しましたよ!」


 皆、口々にリバーに声をかけ、肩や腕を親しげに叩きながら生還と再会の喜びを露わにしている。


 その様子を後ろから眺めながら、俺は不意にやるせない気持ちになった――整備小隊の隊員たちは、リバーがパイロット職を免になることを知っているのだろうか……。


 リバーは痛みの残る体を押してまでして、フライトスーツ姿で顔を出そうと考えるほどだ。もしかしたら隊長や班長に、今はまだ整備小隊の方にまで今後の自分の去就を明らかにしないように伝えていたのかもしれない。確かに俺も、総括班長のピグモとの間でリバーの話になった時に、「人事のことだし、リバーの気持ちもあるからな。まだ大っぴらに口にするなよ」と釘を刺されていた。


 しかしもちろん、飛行班員たちがさしあたり口を(つぐ)んではいたとしても、そう遠くないうちに下される職種転換と異動の辞令が部隊に流れれば、当然整備員たちもリバーがもうパイロットとしてはやっていけなくなったという事実を知ることになるのだろうが……。


 笑顔で応じているリバーの前の人垣を掻き分けるようにして、輪の中に遅れて駆け込んできた隊員があった。墜落した機の機付長をしていた皆川3曹だった。その後ろには磯貝士長と新人士長も続いていた。


 皆川3曹は目の前のパイロットを切実な表情でしばらく見つめた後、ひと言、「リバーさん……」と喘ぐように呟いた。真面目な元機付長の顔が今にも泣き出しそうに歪む。


 リバーは皆川3曹の姿を認めると穏やかな笑みを見せた。そして改まって彼に向き直り、深く頭を下げた。


「機を持って帰れず申し訳ない」


 上体を折ったまま苦渋が滲む謝罪の言葉を口にしたリバーの前で、皆川3曹は激しく頭を横に振り、リバーに手を差し伸べて顔を上げさせようとした。


「そんな……リバーさん……。リバーさんが無事だったことが、本当に……本当に何よりでした……」


 そう言って、彼は声を震わせた。


「……もしリバーさんに万が一のことがあったら、自分はどうしたらいいだろう、どう償ったらいいんだろうって……。俺、もう本当に……」


 緊急脱出(ベイルアウト)したリバーの安否がはっきりするまでは、自分の落ち度のせいでひとりのパイロットを死なせてしまったのではないかと、胸が潰れる思いだったに違いない。とりあえずリバーの命に別状がないと分かってからも、事故調査の査問や聴取に何度も呼び出され、整備ミスではなかったかどうか細部にわたり徹底的に追及されたことだろう。

 事故原因の見通しが立つまでは、「何が悪かったのか、自分は何か重大な不具合を見逃していたのではないか」と自責の念に駆られる日々だったはずだ。日頃から熱心に己の職務に取り組み、責任感の強い彼であれば、なおさらそうだったのではないかと思う。


 リバーの顔を凝視したまま嗚咽を抑えきれなくなった皆川3曹は、とうとう子どものようにぼろぼろと涙を流して泣き始めた。今まで目にしてきた頼りがいのある態度からは想像できないほど、無防備な様子で泣いていた。隣にいる磯貝士長と新人士長も涙をこらえきれず、しゃくりあげながら(はな)をすすっている。


「心配かけて悪かったなぁ……ほんと、心配かけたよな……」


 リバーは立ち尽くしたままただ泣くばかりの3人に歩み寄ると、腕を開いて彼らをそっと引き寄せた。


「これからも、整備、よろしく頼むな。信頼は変わらないから」


 彼らに寄り添い、(いた)わるようにそう伝えるリバーの小声が聞こえてきて、俺までつい涙ぐみそうになり慌てて目を瞬いた。


 3人の整備員たちが落ち着くまで、リバーは静かに彼らの背に手を当て続けていた。




 ――軽くなった台車を押しつつ整備小隊を後にし、薄暗い格納庫からは眩しく見えている正門通りへと向かいながら、俺はリバーの隣でしんみりとした気分に沈んでいた。


 この先輩ともっと一緒に飛んでみたかった。もっと多くの時間を共に過ごして、色々なことを学び取りたかった――目指すべき理想を見つけたと思った途端、自分の前から去ってしまうことを改めて実感する――埋めようのない大きな喪失感に、今回の件の何もかもが残念で仕方なかった。


 大通りに出て少し行くと、リバーは足を止めて俺を振り返った。


「ありがとう、ここまででいいぞ。時間を食わせて悪かったな」


 そう言って台車のハンドルに手をかける。俺はためらいがちに訊ねてみた。


「……飛行班には寄っていかれないんですか?」

「ああ――」


 リバーは曖昧な返事をして顔を上げた。通りの向こう、今はがらんとした駐機場の方に目をやる。その視線の先には、305の飛行班の建物と、澄み切った青空を背景にポールの先で緩やかにはためく隊旗、そしてまだつぼみも目立たず枝ばかりの梅の木が見えていた。


 リバーは再び目を戻すと苦笑を見せた。


「――今日はこのままおとなしく帰るよ。顔を出したら元気になったと思われて、仕事を割り振られても困るからな」


 冗談めかした言い方に、俺もちょっと笑って頷いた。

 リバーは改めて気を取り直したように俺を見ると、快活な口調で続けた。


「イナゾー、ありがとな。助かったよ」

「どうぞお大事に」


 そう言った俺にリバーは笑顔で軽く手を上げて答えると、そのまま踵を返した。台車を押しながらゆっくりとした歩みで駐車場へと戻ってゆく。


 フライトスーツを着た先輩の後ろ姿が建物の陰に隠れて見えなくなるまで、俺はその場に佇んで見送っていた。




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