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コクピット・スモーク(2)

 俺は何度も何度も唾を飲み下し、震えを抑えようと深呼吸を繰り返しながら、ただひたすら基地を目指した。


 最短のコースを取って飛行場に下りると、投光器に照らされた飛行隊前の駐機場に機体を走らせる。だだっ広い駐機場はがらんとして、まだ他の編隊はどこも戻ってきていない。コクピット上からでも格納庫横の待機室に人が慌ただしく出入りしている様子が見えた。


 誘導する整備員の元に機首を付け、キャノピーを開ける。凍てついた風が逆巻くように一気に入り込んできた。マスクを外した途端に息が白く変わり、寒風に吹き付けられた口元が強張ってくる。身を切るような冷たい北風に底冷えがしてくるようだ。隊舎横に掲げられている梅のエンブレムが描かれた隊旗は千切れそうなほど激しくはためいている。


 整備記録に記入するのもそこそこに、風に煽られよろめきそうになりながらオペレーションルームに駆け戻った。息を切らせて扉を押し開け、吸い込んだ暖かい空気に思わずむせ込む。


 駐機場に面して数段高くなった運用当直幹部(DO)席にはジッパーが張りついていた。対空無線のハンドマイクを片手に双眼鏡を覗きながら、次々に帰投してくる各編隊の監視を続けている。険しい目つきで窓の外を睨みつけるその顔は蒼ざめていた。横ではフックが地上無線を使って団司令部(WOC)に状況報告を繰り返している。


 事故の一報に、この7空団はもちろん中部航空方面隊や航空総隊の司令部、そして市ヶ谷の航空幕僚監部まで、上級部隊は上を下への大騒ぎになっているはずだ。そして機体の不具合による事故事案ということで訓練中止の命令が緊急で一斉伝達され、F-15を運用するどの部隊も騒然となっているに違いない。


 隊長は厳しい表情でオペレーションルームにいる隊員たちに次々に指示を飛ばしていたが、俺が入っていくと労うような眼差しを向けて頷き、救命装備班の方を目で示した。とにかく装具を置けということだ。


 救装では救装班長から1士の班員までが集まって、それぞれに腕組みしたり落ち着きなく歩き回ったりしながら、誰もが一様に押し黙ったまま不安そうな表情を露わにしていた。彼らはパラシュートや救命胴衣など、正に命を繋げるための装備に責任を負っている。脱出したリバーの安否と同時に、自分たちが整備した装具が不具合なく機能しパイロットの命を守ることができたのかどうか、当然気にかかるはずだ。


 俺は救命胴衣を脱ごうとバックルに手をかけた。しかし手が震えていつものように素早く外せない。思わず苛立ってガチャガチャと強引に金具を動かす。


 その間にもオペレーションルームではあちこちで大声が飛び交っていた。


「ピグモ、リバーの奥さんに連絡だ! 官舎で親しくしてるのは誰かいるか」


 隊長の問いかけに、リバーの同期である先輩が脇から声を上げた。


「うちの嫁が」

「よし、お前の奥さんに連絡して、リバーの奥さんに付いていてもらってくれ!」


 隊長はそう指示すると、リバーの自宅の電話番号を調べるために総括班に向かいかけたピグモを改めて呼び止める。


「俺の自宅にも電話して、家内に伝えてくれ。官舎にいる飛行班員の奥さんたちをまとめてリバーのところをサポートするようにと」


 聡子さんと勇太郎君、希美ちゃんの顔が思い浮かんだ。事故の連絡を受けてどんなに衝撃を受けることか――。


「隊長、救難隊(レスキュー)から! 救難信号からおおよその発信位置を特定とのこと!」


 カウンター越しに飛行管理員の荒城2曹が大声で報告し、緊急事態の推移状況を記すホワイトボードにマーカーを走らせる。


「レスキューが使っている周波数を確認してチャンネルを合わせろ」


 カウンターの中で電話を受けていたモッちゃんは目を上げて隊長に頷くと、先の問い合わせに対応しながら別の受話器を取り上げて短くやりとりし、すぐに無線受信機の周波数を再設定した。


『――レスキュー・アスコット17(ワン・セブン)、まもなく墜落現場周辺の海域に到着。発煙筒の光は現在確認できていない』

『17、オペラ。海域の状況は』

『非常に風が強く波が高い……想定よりも流されている模様――』


 先んじて現場に進出する捜索機のU-125と救難指揮所の交信が聞こえてきた。


 救難ヘリに乗る比江島が言っていたことを思い出す――海上で要救助者が出た場合、風の方向や強さ、潮の流れを考慮して捜索範囲を決定し海上を舐めるように(くま)なく捜索してゆく。しかし広い海の上にぽつんと浮かぶ小さなある一点を見つけ出すのは、米びつの中に入ったたくさんの米の中から、薄く色のついた、たったひと粒を見つけ出すのと同じくらい難しい。明るい時であっても、どこにいるか分からないものを文字どおりのピンポイントで探し当てるのは至難の業なのだ、と。


 だがリバーはきっとすぐに見つかるはずだ――U-125は捜索レーダーや赤外線暗視装置だって備えてる。ベイルアウトすると同時に緊急信号(エマースコーク)が発信されるし、救命装備についたUHF無線機も救難信号を発し始める。レスキューも大体の位置を掴んでいると言っている。大丈夫、すぐに見つかる――。


「イナゾー、ちょっといいか?」


 固い声に呼びかけられて我に返る。振り向くと、ポーチが用紙を挟んだバインダーと鉛筆を片手に手招きしていた。俺を促して手近な椅子に座らせると、自分も差し向かいに腰掛けながら続けた。


「リバーがマイナートラブルを報告してきたあたりからの詳しい状況を聞かせてくれ」


 隊の安全幹部として、生起した事象を記録にまとめ、後に行われるはずの原因究明の一助とするために行う聴取だ。


 俺は必死に事の起こりの記憶をたどったが、目の前に浮かぶのはF-15の背で燃え盛る炎と、真っ暗な視界の中に突然立ちのぼった火柱の姿ばかりだ。

 それでもなんとか自分が目撃したことを思い出し、順を追って説明しようと呻くようにして切れ切れに言葉を押し出す。声が震えて、その度に何度も大きく息をついた。


「ちょっと待ってろ」


 ポーチは唐突に席を立つとバインダーを机に置いて急ぎ足でどこかへ行ってしまった。しかしまたすぐに戻ってきたその手には、俺のマグカップが握られていた。


「とりあえずこれ飲め!」


 突き出されたマグを細かく震える手で受け取る。喉は詰まったようになっていて息苦しかったが、それでも中身をどうにかすべて飲み下した。恐ろしく甘いコーヒーだった。マグの底にはまだ砂糖が溶け残っていた。


 ポーチは気を遣って「はい」「いいえ」で答えられる質問を向け、俺はそれにひと言ふた言付け加える形でどうにか答えていった。


 そうしながらも、モニターしている無線機から流れてくる捜索機と救難指揮所間の交信が耳に入ってくる。俺は腿の上できつく拳を握りしめた。


 救難信号が依然として発信され続けていることが却って不安だった。洋上に着水し救命浮舟(ディンギー)によじ登ると、バッテリーの消耗を抑えるために遭難用対空無線機の電源をいったん切るものだ。冬場は特に消耗が早いので尚更気をつけないといけないだろう。そして捜索機が近くに来たところで再び電源を入れて自分の所在を救助者に伝える――そういう操作がなされていないことが逆に気がかりだった。


 ベルアウトできたとしても、必ず助かるとは限らない。なにしろ体重の15倍ものGが瞬間的にかかるのだ。状況によっては更にそれを超える負荷がかかることもある。定められた手順どおりに脱出できたとしても首や腰を痛める可能性は大いにあるし、その手順さえ確実に踏めなければ、最悪、脱出装置を作動させた瞬間に即死となる……。


 ネガティブな考えに押し流されそうになり、それを振り払おうと固く目を閉じて頭を振った――縁起でもない! 考えるだけだって不吉なことを呼び寄せてしまいそうじゃないか! きっとリバーは捜索機がすぐに来ることを見越して救難信号を出しっぱなしにしているんだ!


 駐機場からはF-15の甲高く擦れるようなエンジン音が騒々しく聞こえて始めていた。ちょうど帰投中だった編隊の他に、指揮所からの指示を受けて訓練を中止し急遽帰ってきた編隊もあるに違いない。


 着陸した飛行班員たちが次々にオペレーションルームに戻ってくる。


 走り込んできたアディーやライズなどは装具を持ったまま緊急事態の推移を記したホワイトボードの前に駆け寄り、そこに殴り書きされている文字を食い入るように見つめて立ち尽くしていた。その後から荒々しい勢いで姿を現した飛行班長のパールは、「現況は? 位置は確認できてるのか!」と周囲に向かって濁声(だみごえ)を張り上げている。


 異様な緊張感のみなぎる空間に大声がひっきりなしに飛び交う。吹きつける強風を受けてオペレーションルームの窓ガラスが騒々しく軋んだ音を立て、より一層の不安を煽る。


 俺は椅子に座ったまま固まったようにじっとして宙を睨み、奥歯をきつく噛みしめていた。そして、自分の目の前で真冬の洋上にベイルアウトした先輩の無事を、ただひたすら念じるしかなかった。




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