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上空での指南

 高度約1万フィート。ところどころに積雲の浮かぶ青空の彼方から、僅かな高度差を取って急激に接近してくる対抗機。黒い点でしかなかった機影が数秒で目の前に迫る。すれ違った瞬間、互いのキャノピーを相対(あいたい)して鋭く翼を傾け、ドッグファイトに突入する。


 一瞬早く内に入った相手が優位に立った。後ろを取られる。だがこれは想定どおりだ。こちらが2機、対抗機が1機の格闘戦。ウイングマンのデコが反対方向の旋回に入って対抗機を狙いにゆく。


 俺は更に操縦桿を手前に引きつけた。歯を食いしばって息を詰め、血流を押し上げる。操縦桿やスロットルを握る腕の下側に重い痛みが走り、まさに今、毛細血管が千切れていることを意識の隅で認識する。外気温が低いせいで、よりGがかかりやすくなっている。体に受ける負荷がキツい。だが、聞こえてくる甲高い風切り音に抵抗感は一切なく、快感に思えるほどGの立ち上がりがスムーズだ。


 計器盤に視線を走らせ、高度計や速度計の針の位置を瞬間的に確認しつつ、操縦桿を押し引きして対抗機の追尾を外す。


 Gに抗い首をねじって後ろを振り返り、対抗機の姿を捉え続けながらもウイングマンを探す。対抗機の更に向こうに、小さなシルエットが見えた。デコは必死に相手の機動に食いついていこうとしていた。だが旋回が甘い。撃てる位置に自機を持っていけないようだった。高Gにへばっているのか、機体に無駄な荷重をかけすぎて思うとおりに操れないのか。


「デコ、しっかり回れ」

『はいっ!』


 応答するものの、デコはなかなか追い付いてこられない。


 俺の後ろに張り付く対抗機のフックからはぐいぐい追い込まれ、ロックオンされていることを知らせるアラームがコクピットの中で切れ切れに鳴り響く。


 数度目の旋回でもなお、撃墜は不可能――俺は離脱を決心した。


「デコ、270で抜けるぞ。お前も抜けてこい」

『はい!』


 タイミングを計り、息を詰め操縦桿をめいっぱい引き絞って一気に急旋回に入る。深く翼を傾けたことで機首が下がり、機体は高度を落としながら急激に加速してゆく。270度方向にいる対抗機に対して正対位置を取ったまま、高度差を広げてすれ違いつつ位置エネルギーを速度に変えて勢いをつける。下に広がる海面がみるみる近づいてくる。


 追いすがろうと機首を翻して回り始めた対抗機を尻目に、俺は水平飛行に移ると操縦桿を押して更に加速しながらアフターバーナー全開で逃げた。前方遥か向こうの洋上に幾つも見えていた小さな雲の塊が一瞬で後方へと飛び去ってゆく。


 視野の隅で、高度計の針が軽く2度跳ねた――体感はないが音速を超えたのだ。一瞬で凝固した水蒸気が(もや)となってキャノピー外面に激しく沸き立つ。


 そのまま猛烈なスピードで洋上をまっしぐらに疾走してゆきながら、上半身ごと振り返って上空にくまなく目を走らせる。ところどころに綿のような積雲が浮かんでいる以外、脅威となる機影は見当たらなかった。要撃管制官から、対抗機との距離と、自分と同じく離脱したデコの位置が伝えられる――対抗機は完全に振り切っていた。


 スロットルを絞りアフターバーナーを切る。音速域に戻った途端、強い衝撃とともに背後から突き飛ばされたように体が前に投げ出された。ハーネスを締め、衝撃を予期して足を踏ん張っていても計器パネルの張り出しに頭をぶつけそうになるほどだ。


 俺は無線のスイッチを入れフライトのメンバーに告げた。


「エンジョイ19フライト、訓練終了」


 再び上昇し高度を取ると、集合(ジョインアップ)を指示した。キャノピーの全周に広がる空の彼方から、対抗機役のフックと、教官のジッパーを後席に乗せたウィングマンのデコがそれぞれ姿を現し、たちまち俺の横についた。

 訓練後の機体外部に不具合がないかどうか互いに外観点検をした後、残燃料を報告させる。


 デコの燃料にまだ少し余裕があることを確認して、フックには先に帰投するように伝えた。今さっきの訓練で、デコの動きに気になる点があったのをこの場で確認しておきたかった。地上に下りてからディブリで指摘するよりも、今実際に試してみた方が本人にしてみても遥かに飲み込みやすいだろう。


 緩い弧を描いて旋回しつつ、要撃管制官には軽く機動のチェックを行うことを告げ、俺の隣にぴったり寄って「これから何をするつもりだろう」という様子でバイザー越しにこちらを窺っているウイングマンに無線を入れた。


「デコ、さっき、もっとGかけて食い込めなかった?」

『はい――操縦桿を引いても機体が反発する感じで……』


 やっぱり。回り込むことに一生懸命になって、Gとスピードと旋回率のバランスにまで頭が働かなかったようだ。


「そういう時に無理に引っ張ると、機体が嫌がってひっくり返るぞ。かけるGによって最適な速度があるからな。回れないと感じたら、いったんGを抜いてスピードをつけてやらないと」

『はい!』

「それに、低速域でもくるくるって楽に回せるところがあるから――いいか、見ててみろよ」


 俺はウイングマンから離れてある程度の速度をつけると、翼を右に90度傾けて旋回を始めた。肘を支点にしてすうっと手前に操縦桿を引く。その操作に機体が反応し、Gがかかり始めて息を詰める――そろそろだ――そう感じると同時に、F-15は嫌がるそぶりも見せずに素直に旋回半径を狭めてぐるりとタイトに回り込んだ。


 速度頼みの力業(ちからわざ)ではなく、F-15自体が元々持っている特性だ。

 俺はそれを、以前、対抗機で上がっていたジッパーの機動を目の当たりにして学んだ。相手のスピードが落ちていると思って油断していたら急に内側に食い込まれて撃墜(キル)された。速度エネルギーが少ない状況でなぜそんな動きができるのか、課業後に分厚い技術指令書(TO)()って調べてみた。その中に性能特性としてグラフで示された図表を注意深く読み込んでみて初めて、ジッパーが行った機動の理論が理解できたのだった。


「お前もちょっとやってみろ」


 デコに大まかなスピードとGを伝え、旋回させてみる。


 降り注ぐ冬場のクリアな陽の光を受けて、眼下の海上に細かく見えている波頭(なみがしら)がキラキラと輝いている。バイザーを通しても眩く見えるその照り返しを直視しないよう気をつけつつ、繰り返し機動して試しているデコの上を緩く回りながらウイングマンの様子を見守った。


 「そんなもんは自分で研究して体得するべきだ。教えるようなことじゃない」――ふと、この後のディブリーフィングでジッパーにそう指導されるかもしれないと思った。


 でも俺は、ウイングマンが最短で技量を上げることができるのなら、それに越したことはないと思っている。

 先輩の背中を見て学ぶ姿勢はもちろん大切だ。その技を盗み取ってやろうという気迫とハングリー精神がなければどんなに時間をかけたところで進歩は望めないだろう。だが、それだけでは一方的になるばかりだ。後輩を育成するという点においては無責任過ぎるように思う。だからコツは教える。そしてそこから後は本人の努力次第だ。


 「教えることはない。ひたすら見て学び取れ」という職人の徒弟制度のような師弟関係の中で経験を積んできた先輩たちからしてみたら、後輩を甘やかす考え方なのかもしれない。それでも俺は、後進の育成も担うリーダーになるからには、自分が最善と思うやり方でやっていきたいと思う。


 見ていると、数回の試行でもデコの動きは格段に向上していった。加減が飲み込めてきたのか、傍目(はため)にも小回りを利かせてするすると回っているように見える。


「どうだ? 分かったか?」

『はい、何となく感覚が掴めた気がします』


 心持ち弾んだ声とともに上昇して戻ってきたデコは、再び俺の隣に翼を寄せた。


「TOの第1巻(ダッシュ・ワン)に書いてあるから、後でチェックしてみろよ」

『はい!』


 僚機の後席で、バイザーを上げているジッパーがキャノピー越しにちらりとこちらに視線をよこした。相変わらずその眼光は鋭い。しかし、距離があっても自分に向けられた眼差しが否定的なものでないことは見て取れた――むしろ、ニヤリと笑みを浮かべたようにも思えた――「自分の信念を持った指導ができるようになってきたな」と。


 ほんの些細な気配だったが、その一瞥にがぜん気持ちが強くなる。


 「自分はこうする、こうしたい」――上に立つからには、何よりもまずその意思を自分自身の中ではっきさせ、ブレることのない態度で臨むことが重要になってくるのだろう――。


 俺は再び気を引き締めると、斜め上に編隊位置をとったデコを連れ、基地へ戻るために西へと翼を傾けた。





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