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帰省(2)

 玄関の引き戸を開けると、石油ストーブを使う冬らしいにおいの混じった暖かい空気が流れ出てきた。冷えた頬がほっと緩む。

 下足箱の上に、どこかの土産物の置物やら古びたこけしやらが雑多に並ぶ様子は以前とほとんど変わっていなかった。


 短い廊下を先に立って歩く優美が振り返って言う。


「荷物はお兄ちゃんの部屋に置いて。狭いかもしれないけど、お布団も2人分そこに用意してあるから。客間はもう物置みたいになっちゃってるんだ」


 俺はアディーを促して、ところどころで軋んだ音を立てる階段を上り、2階にある自分の勉強部屋に向かった。(ふすま)を開けると、中は前に帰ってきた時のままのようだった。


 壁には色あせたF-15のポスターが何枚も貼りっぱなしになっている。部屋の角には和室に今一つ合っていないステンレスラック。その棚にはサッカーの雑誌、昔の映画のパンフレット、以前熱心に集めていたマンガのシリーズ、そして一番スペースを占めている自衛隊や軍用機の解説本が未だに雑然と並んでいた。


 棚の隣には小学生の時からずっと使っている学習机が置かれている。なんとなく一番上の引き出しを開けてみると、短くなった赤青鉛筆や使い古したシャーペン、幾つもの小さくなった消しゴムなどが菓子か何かの折箱にごちゃごちゃと入ったままだった。その奥にはしまいこんでいた航空学生の過去問題集の背表紙が覗いていた。


 受験勉強に真剣になっていた頃を懐かしく思い出し、冊子を手に取ってパラパラと見ていると、俺の後ろでアディーの声が聞こえた。


「これ――」


 振り返ると、アディーは天井の電灯から垂れた紐の先に目を留めていた。そこにはF-15のキーホルダーがまだそのまま付いていた。確か小学生の頃だったと思う、千歳基地の航空祭で買ってもらったものだ。毎晩寝る前に布団に横になって紐の先で揺れる小さなF-15を見上げながら、「いつか必ずこれに乗るんだ」と意気込んでいたことを改めて思い出した。


 アディーはそれを指でつつきながら、「お前、正真正銘の飛行機少年だったんだな」と笑みを見せた。


「あの頃はとにかく思い込んだらまっしぐらだったんだよ」


 入隊以前の自分の様子を想像されるのはどことなくこそばゆい。言い訳めいて口ごもると、アディーは「今も大して変わってないようだけどな?」と笑った。


「賢二ぃー、村上さんもぉー、お茶が入ったよぉー!」


 下から母親の呼ぶ声が聞こえたので、俺たちは荷物を置くと再び下に降りていった。

 居間に入ると、土産に持ってきたピーナッツの詰め合わせと梅組ラベルの日本酒を仏壇に供えて線香をあげた。父親の遺影に手を合わせ、無事帰郷した旨を報告する。


 隣の台所では、母親と優美が夕飯の下ごしらえをしていた。夕方のこの時間に母親が台所に立っているのは珍しい。

 俺はアディーにも座布団とお茶を勧め、座卓に向かって腰を下ろしながら、こちらに背を向けている母親に声をかけた。


「母ちゃん、牛舎の方はいいの? 搾乳の時間だろ?」

「うん、今日はなぁ、菅井さんたちに全部お願いしてあるから」


 息子とその友人が帰省する日ということで、助っ人のおばさんたちに作業を頼んでおいたようだ。


「もう少しでご飯にするからさぁ、村上さんも足出して楽にしてなぁ」


 「ありがとうございます」と微笑んで会釈するアディーの横で、俺は湯呑に口をつけながらつけっぱなしになっているテレビに目を向けた。


 やっているのは民放のニュース番組のようだった。エンタメトピックなのか、綺麗な顔をした男3人のアイドルグループが歌い踊っているミュージックビデオが紹介されていたが、グループ名も歌のタイトルも全然耳にしたことのないものだった。当然と言えば当然で、平日は朝早くから夜遅くまでフライトや付加業務に追われ、土日は二日酔いで伸びているか週明けのフライトの準備に気を取られているので、そもそもテレビを点ける余裕がないのだ。そうしてどんどん世間の流行りから取り残されていく。


 しばらくすると番組は時事ニュースに移り、美人アナウンサーが厳しい表情を作って原稿を読み上げ始めた。表示されたテロップには「自衛隊機にレーダー照射」と書かれている。


『防衛庁は、国籍不明の航空機が先月30日、緊急発進で上がった自衛隊機に対してレーダー照射を行ったと発表しました。防衛庁によりますと、30日午前、能登半島沖の日本海上を飛行中の戦闘機と推定される航空機2機が、航空自衛隊百里基地から緊急発進した要撃戦闘機に対して数回にわたりレーダー照射を行ったとのことです――』

「やだぁ、大晦日までそんなことがあるの!? しかも百里ってお兄ちゃんたちのところじゃん!」


 台所で野菜を切っていた優美がテレビを見て顔をしかめる。


『――領空侵犯はなく防空識別圏内の飛行でしたが、政府は外務省を通じ、緊張を高める行為として関係国に注意を促すことも検討しています』

「領空はダメだけど、防空識別圏だったら入ってきてもいいんだ……?」


 ニュースを聞いている優美が今ひとつ理解できていないようなので、俺は解説してやった。


「言ってみれば防空識別圏は日本が便宜上設定してるだけだからさ。そもそも旅客機みたいに、『こういう飛行機が何時何分にここを飛びます』って情報がちゃんと入ってきてて、身元がはっきりしていれば防空識別圏を飛ぼうが領空に入ってこようが問題にならないんだよ。その情報がなくて領空に近づいてくる挙動不審な奴がいると、『お前誰だ、何するつもりだ』ってなって、領空の周りの防空識別圏に入ってきた時に空自機が上がることになるわけ」

「――俺たちの仕事はね、家の番犬と同じと考えてもらえば分かりやすいかもね」


 アディーが頷きながら俺の言葉を引き取った。


「その番犬には、家の敷地より少し外に出られる長さの紐がついてるんだ。どこからか不審者がやってきて家の周りをうろついていたら、犬は警戒しつつ敷地の前まで出て行って、不審者の近くで黙ってその行動を見張ってる。敷地に入ってきそうになったら、唸ったり吠えたりして全力でそれを追い出しにかかる。不審者が逃げ出してある一定の距離まで離れたら、犬は追うのをやめてまた家に戻ってくる――俺たちの役目はそんな感じかな」

「なるほど! なんか、すごくイメージできました」


 包丁を手にしたまま振り返って説明を聞いていた優美は、得心がいったように大きく頷いた。


 番組ではもっともらしい肩書を持ったコメンテーターが訳知り顔で解説している。


『レーダー照射ということは、つまりロックオンされたということで間違いないでしょうから、非常に危うい状況であったと思いますねぇ』

『相手は攻撃態勢に入っていたと言えますから、まさに一触即発と言っても過言ではないくらいで――』


 俺とアディーは思わず顔を見合わせた。


 「非常に危うい」「一触即発」という言葉はどうなんだろう――むやみに大袈裟な気もする。

 「ロックオン」が即、「ミサイル発射、撃墜」を意味するわけではないし、ロックオンされて攻撃態勢を取られたとしても、回避できる余裕のある状況と、回避機動さえできずに空中戦に入るしかないくらいのギリギリの状況とではずいぶん違う。


 思うに、こういう事象が起こった際に一番肝心なことは、「危険だった」という漠然とした印象から騒ぎ立てるのではなく、「どの程度(・・・・)危険だったのか」という冷静な視点を持って判断することではないだろうか。


 繰り返し画面に映し出されているF-15の発進映像を見ながら、優美が窺うように俺たちを見る。


「こういうことがあると、ほんともう心配になるよね……。お兄ちゃんたち、ちょうどその頃仕事してたんでしょ? あれに乗ってどこかの国の戦闘機のところまで行ったのって、もしかしてお兄ちゃんと村上さんとか?」

「……ん? それは内緒」


 俺がとぼけてそう答えると、優美は「やだぁ、何それ」と不満そうな顔をして、今度はアディーに目を向けた。

 しかし、アディーもにっこり笑って俺に(なら)った。


「うん、内緒」

「村上さんまで!」


 呆れたように声を上げた優美の横で、コンロの上でぐつぐつと音を立てている土鍋を火から下ろした母親が言葉を添える。


「まあ何でもなぁ、誰が行ったって無事に帰ってきてくれることが一番さぁ。とにかく気ぃつけてなぁ」


 しみじみと実感のこもった調子でそう言いながら慎重に土鍋を運んでくると、座卓の真ん中に用意されたカセットコンロの上に置いた。

 肉や野菜、焼き豆腐や魚介類があふれんばかりに入った寄せ鍋だ。再び火にかけられた鍋からは湯気が立ち上り、出汁のきいた美味そうなにおいが食欲をそそる。


 優美は台所と居間を行き来して、煮物や漬物、昆布の佃煮、ポテトサラダや烏賊(いか)飯など、食べきれそうにないほど運んでくる。アディーは優美から料理が盛られた皿を受け取る度に、座卓の上に隙間を作って並べていった。


 俺は仏壇に供えておいた梅組ラベルの日本酒を下げ、ついでに冷蔵庫で冷やしておいたビールも何本か出してきた。年季の入った茶箪笥からグラスと猪口ちょこを人数分取り出し――まあ、俺とアディーは日本酒もグラスで飲むことになるだろうとは思うが――座卓の隅に並べてビールを注ぐ。

 卓の上には乗りきらないほど料理が用意され、ようやく優美と母親も席に着いた。


 優美は配られたビールのグラスを手にすると、畏まりながらもにこにことみんなを見回して口を開いた。


「じゃあ、改めて――まずは村上さん、遠路はるばる稲津家へようこそ! 今は雪と牛しか見えませんけど、どうぞゆっくりしていってください。そしてお兄ちゃん、3年ぶりにお帰りなさい! ようやく顔を見せてくれて私もお母さんも嬉しいです――と言うことで、みんなの無事と健康を祝して……乾杯!」

「乾杯!」


 グラスを合わせ、賑やかに夕食が始まる。

 母親が自分の手元にある烏賊飯の皿をアディーに差し出して勧めている。


「田舎料理ばっかりだけど、村上さんも遠慮しないで手ぇ出して」

「はい、いただきます」


 アディーは中にもち米の詰まった烏賊の輪切りをひと切れ自分の皿に取ると、俺を見て楽しそうに笑った。


「こうやってみんなで食卓を囲むのって、やっぱりいいね」


 俺たちの向かいで、優美が箸を手にして鍋から自分の鉢に具を取り分けながら、待ちかねたように口を開く。


「もうさ、私もお母さんも3年分の質問が山ほど溜まってるんだから。向こうでの話、色々聞かせてもらうからね!――で、お兄ちゃん彼女できた?」


 熱々の鶏肉を頬張っていた俺は、(しょ)(ぱな)からの容赦ない直球に思わずむせこんだ。


「いきなりそれか!? 余計なお世話だよ!」


 アディーが横目に笑みを滲ませて、小声で、しかし優美と母親にもしっかり聞こえるように呟く。


「もう少しでできる見込みだよな?」

「お前まで余計だぞ!」

「うそーっ! お兄ちゃんに彼女って想像できない! どんな人、どんな人!?」


 ひっくり返ったような声で詰め寄る優美と、その横でほのぼのと笑う母親と、面白がってここぞとばかりにおちょくってくるアディーと――妹の飽くなき好奇心にはほとほと参るが、気張る必要もない実家での団欒(だんらん)は、なんだかんだ言ってもやっぱりほっとするものだ。




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