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大晦日のスクランブル(4)

 鳴り続ける電子音はレーダー照射を受けていることを告げるものだ。


 俺は即座に計器パネルにあるレーダー警戒装置に目を走らせた。表示されているおおよその距離と方向は、その電波が明らかに国籍不明機から発せられていることを示していた。


02(ゼロ・ツー)、目標機からレーダーロックオン」


 努めて平静にリーダーと防空指令所(DC)に告げながらも、背中にどっと冷たい汗が湧く。


 チャフを撒いてレーダーを欺瞞し離脱――反射的に対処法が頭を(よぎ)ったが、ぐっと踏みとどまった。


 相手はレーダーを放ってこちらの高度や速度、機首方向などの諸元を得ようとしているのだ。ロックオンされたからと言って、必ずしもすぐにミサイルが飛んでくるとは限らない。しかも相手との距離は十分に離れている。このレーダー波のままミサイルが発射されるにせよ、ミサイル誘導レーダーが新たに被さって発射されるにせよ、それに対処する余裕はまだ残っている。


 ロックオンされて浮足立つような、アラート待機要員(AR)になりたての若いウイングマンとは違う――俺は噛みしめた奥歯に力を籠め、操縦桿を握りなおした――来るなら来い、受けて立ってやる。


 警報音が上がってから一瞬でそこまで考え腹を括ったとたん、加速度的に神経が研ぎ澄まされてゆくのを感じた。今までにないほどに集中力と闘志が高まってくる。


 早口だが乱れのない冷静な声で、リバーが防空指令所に状況を報告している。


『こちらも同様にロックオンされている――テイルジャック、いったん回避機動に入る。イナゾー、左旋回。編隊距離を取れ』


 その指示に操縦桿を左に倒して深くバンクを取り、機首を振るとリーダー機から数百フィート離れた場所に遷移した。距離を開けることでとっさの機動に備え、かつ相手がどちらを狙っているのかをはっきりさせることができる。


 コクピットの中で警報音はしつこく鳴り続けている。


『イナゾー、状況は』

「ロックオンは継続」

『こちらは外れた。焦るなよ。突発的な動きに十分注意しろ』


 つまり「相手に煽られて不用意なことをするな」、そして「何をするか分からない相手の行動に気を付けろ」――その二つの意味合いだ。


 向こうは俺に狙いをつけているようだ。これまでの訓練で何度も聞いて馴染みのある電子音。しかし、それが正体の分からない相手から向けられた何らかの意図に対する警戒の音だと思うと、緊張と同時に不気味ささえ感じる。初めてのスクランブルで対処したロシアの偵察機の時とは勝手がまったく違った。


 ターニャからの無線が入る。


『01、再接近は可能か』

『可能と思われる』


 リバーの簡潔な応答に、ターニャから指示が下った。


『了解、再び接敵を開始せよ。針路025』


 隊形を開いたまま、リバーと共に相手のレーダーの照射範囲に入らない位置に向かって回り込んでゆく。それに対してしつこくこちらに機首を振ってくる目標機と、数十マイルの距離を置いて緩い旋回状態に入っていた。


 国籍不明機が輸送機や偵察機であれば、搭乗員の姿が見えるほどまで近づいて行動の監視にあたるのが常だ。

 相手が戦闘機だった場合にはより慎重な対応が要求される。マッハで飛ぶことのできる戦闘機同士が互いの機影や国籍マークを十分に判別できるほどの近距離で相対(あいたい)するというのは、不意の衝突も起こりかねない危険なことなのだ。意図の分からない存在が相手なら尚更だ。


 そしてそれが今、こちらに対して機首を向け続けている。「攻撃の意図あり」とも受け取れる行為を継続しているのだ。緊迫の度合いはこれまでになく高まっていた。


 だが、俺たちはここで引き下がるなんてことはしない。どういうつもりか知らないが、相手が偵察機だろうが戦闘機であろうが弱腰を見せるわけにはいかない。


 じりじりと距離を縮めつつ、こちらの機動に対して向こうがどう出るかを注意深く窺い、その意図を推し量る――ただの航法訓練の一環なのか、情報収集なのか、それとも本気で攻撃を仕掛けようとしているのか――この動きは何のつもりだ……?


 相変わらず警戒音は鳴り続けている。操縦桿を握る手が手袋の中でじっとりと汗ばんでいた。

 リバーに続いて旋回しながら、キャノピー越しに相手がいるはずの方角に目を凝らす。依然としてその姿は確認できない。相手を刺激しないよう、また不用意にこちらの情報を与えないよう索敵レーダーはスタンバイのままにしているので、レーダー画面に相手のシンボルは示されない。ターニャが伝えてくるデータの数値から目標機の位置を把握し、自分に向かってくるミサイルが発する煙がないかどうか、雲海と青空の合間の白く霞んだような一帯を注意深く探る。


 ――と、唐突に警報が鳴り止んだ。

 俺はすぐさまリーダーと防空指令所に状況を報告した。

 ターニャからも、相手はこちらに対峙するのを中断して針路を戻し、再び日本列島の方向へと進み始めたことが知らされる。


 針路を変えた目標機の編隊は、無防備にもその尻をこちらにすっかり晒すような位置関係で列島に向かいはじめたようだ。俺たちが絶対に手を出してこないのを――手を出せないのを知っているのだ。だから要撃機の存在などお構いなしに自分の進路を保持して飛んでいる。


 くそっ、ナメやがって……。


 ターニャはこの状況の時に要撃機を監視位置まで一気に進ませるつもりらしかった。

 国籍不明機の背後をいったん横切らせ、斜め後ろから入るように誘導を開始した。


 (もや)のかかった雲海の向こうに確かにいる、姿の見えない相手に向かって慎重に近づいてゆく。


 今度こそは――そう意気込んだ時、再び耳障りな警報音が鳴り始めた。

 同時にターニャが固い声を発する。


『目標機、変針――正対!』

『イナゾー、左旋回で回避!』


 くそぉっ!!


 何度も接近を試みるが、目標機はまるで茶化すかのように機首を振り向けてくる。その度にリバーと俺は機体を翻して回避行動をとりつつ、再び近づくタイミングを粘り強く窺う。


 そうしながらも、国籍不明機の編隊は刻々と日本領空に迫ってきていた。


『こちらは日本国航空自衛隊。貴機は日本領空に接近中である。ただちに進路を変更せよ』


 流暢ながらも厳然とした声音で、ターニャが緊急無線周波数を使って目標機に対し強く勧告する。周辺各国の言語で何度も繰り返されるが、相手の行動には一向に変化がない。


 どれほどこの不可解なイタチごっこを続けていただろう。恐ろしく長い時間のように感じるが、実際には数十分と経っていないはずだった。


『後続の要撃機エンジョイ03、当該空域に向かって進出中。到着まで約10分』


 ターニャから増援を伝える無線が入る。


 緊迫した事態に、先任要撃管制官は更にスクランブルで要撃機を上げる決心をしたらしい。指令を受けた編隊は既に百里を離陸していたようだ。フックを引き連れたジッパーは今、こちらに向かって猛然とF-15を飛ばしているに違いない。


 眼前の事態の対処に精一杯で考えもしなかった増援の知らせに、一気に心強さが増した。2機に対して4機での対応となれば、相手に与えるプレッシャーの度合いは遥かに違う。

 しかし既に、目標機はあと数分もすれば領空に到達する位置まで来ていた。侵犯される前にジッパーの編隊が到着するかどうか。


 複雑に蛇行しながら、ロックオンしたり解除したりを飽きもせずに繰り返す国籍不明機の編隊。おちょくられているのか試されているのかは分からない。俺たちはむやみに刺激しないよう細心の注意を払いつつ、目視できない相手との距離を次第に詰めてゆく。


 領空のラインを前に、防空指令所からの警告無線も頻回になり始めた。


 リバーはターニャから示される相手の機動を注意深く窺い、一瞬の隙を見抜いて接近してゆく。

 コクピットの中では、レーダー警戒装置が思いついたように度々警報を発した。俺は視程の良くない雲海上の索敵に気を張りつつ、必要に応じて時に右に、時に左に旋回を行いながらリーダーに従って続く。


 ――と、ターニャから無線が入った。


『目標機、針路反転。方位315へ航行を開始――針路を維持し航行中』


 どうやら元来た針路を辿るように大陸の方へと戻り始めたらしい。


 それでもまだ気は抜けない。また気まぐれに変針する可能性は大いにある。

 とりあえず進路を定め帰投に入った目標機を監視するため、距離を置きながらも斜め後方でしばらく追随を続ける――やがて、ターニャの(ボイス)が届いた。


『国籍不明機は防空識別圏を離脱。エンジョイ01は速やかに帰投せよ』

『01了解、帰投する』


 応答するリバーの声に、俺はマスクの下で大きく息を吐きだした。

 ジッパーの編隊は状況が終息したことを受けて既に百里に向けて帰路についているとのことだった。


 操縦桿とスロットルから順に手を離し、開いたり握ったりして手のひらを(ほぐ)す。極力平常心を保っていたつもりだったが、知らず知らずのうちに力んでいたようだ。顔もまだ強張っている。目つきが険しくなっているのが自分でも分かった。ふと、全身に汗をぐっしょりとかいていることに気がついた。いつになく集中力が高まっていたとはいえ、見えない相手を前に自分は相当緊張していたようだ。


 いったいさっきの戦闘機が何を目的にやってきたのか――それは誰にも分からない。搭乗員を捕まえて尋問する機会でもない限り、日本の領空近くまでやってくる軍用機の意図が明らかになることはないだろう。


『もし万が一、リーダーの俺が墜とされて指示が出せないような状況になったとしたら――』


 アラートに入る際のブリーフィングで示された、リバーの指示が蘇る。あれは決して大袈裟な想定ではないのだと、今なら実感できる。

 危機的な瞬間に編隊長(リーダー)として下す判断、その責任の大きさ――編隊長となれば自分がそれを担うのだと考えると、武者震いに襲われるような気さえした。


 雪雲に覆われた日本海側を抜けて南東に向かい、リバーと俺はまっすぐに百里を目指していた。越後山脈を越えると雲は切れ、深緑色の低い山地や白茶けた田畑、ところどころにかたまった住宅地の姿が上空からでもよく見渡せた。真冬のためにくすんだ色合いになった風景が止まることなく視界の後ろへと流れてゆく。この景色の中で、人々はそれぞれに今年最後の一日を過ごしているのだろう。


 リーダー機の斜め後方上空について黙々と進みながら、俺はついさっきまで上空で起こっていたことを思い返していた。


 もしまた今回のような事態に遭遇した時、自分はリーダーとしてリバーのように落ち着いた指示が出せるだろうか。


 いや――すぐに考えを改める――できるだろうかと不安がったところで何ひとつ進歩はない。その時が来たらやるしかない(・・・・・・)のだ。リーダーが冷静な判断を下せなければ、部下(ウイングマン)を危険に晒し、さらには国民の安全が脅かされることになるのだから。

 今やるべきことは、いつ訪れるか分からない万が一の場合に間違いなく対処できるよう、日々ひたすら研鑽を積むことだ。


 斜め下、前方を行くリーダー機のF-15。そのコクピットに座るリバーの後ろ姿に目を向けながら、俺はリーダーとなることへの責任の重さを改めて噛みしめていた。 




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