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大晦日のスクランブル(3)

 冷え切ったコクピットに素早く乗り込み、すぐさまエンジンを始動させる。スタータの激しく吹き上げるような唸りに重なって、次第に高まってゆく掠れたエンジン音が格納庫全体に反響する。


 装具を身に着けハーネスを締めながら、俺は目の前のパネルに並んだ計器類が示す数値に目を走らせていった。下では整備員たちが忙しなく機体の周囲を行き来し、最終チェックをこなしてゆく。


 両エンジン始動完了。計器の作動異常なし。航法機器の調整完了。

 キャノピーを閉じる。F-15の甲高いエンジン音が途端に遠のいた。

 武装をロックしているピンが引き抜かれ、こちらに向かって示される。


『百里管制塔、エンジョイ01(ゼロ・ワン)。スクランブルオーダー』


 管制塔を呼び出すリバーの声がヘルメット内のスピーカから流れてきた。それに応えて管制塔から地上滑走と離陸の許可、離陸後の進路や高度の指示が伝えられる。


 動き出したリーダー機に続き、俺も踏み込んでいたブレーキを緩めた。敬礼で送り出す整備員たちに答礼し、スロットルをわずかに押し出す。薄暗い格納庫を出たとたん、真冬の朝の濁りのない光に目が眩んだ。ヘルメットに手をやってバイザーを下ろす。


 年の瀬を迎えて静まり返る飛行場の中を、リバーとともに速いスピードで滑走路へと向かう。気持ちが()くが、スクランブルの下令(かれい)から恐らくまだ3分と経ってはいないはず――しかし、より早く――1分1秒でも疎かにしたくない。


 他に訓練機の姿もない飛行場には、北西からの強い風が吹き渡っていた。冬に関東平野に吹きおろしてくる(から)っ風だ。誘導路脇の立ち枯れた草が、風に煽られ激しく揺れている。風向風速を示す吹き流し(ウインドソック)は風をいっぱいに孕み、真横に伸びて大きくはためいている。


 大型消防車が滑走路中央付近の待機場所に向かって疾走していくのが見えた。消防班も24時間待機の態勢で、航空機の離着陸がある場合には必ず滑走路脇にスタンバイする。


 先を行くリバーは誘導路端で止まることなく速やかに滑走路に入ると、そのまま離陸態勢に入った。爆音を轟かせて尾部のノズルからオレンジ色のバーナーを噴き出し、高温の熱に陽炎を発しながらみるみる空へと昇ってゆく。


 先発機の轟音が長く尾を引くように残る中、数秒を数えて俺も滑走を開始した。スロットルを前に押し出すとともに機体はぐんと加速し、座席に体が押し付けられる。路面を離れ浮きあがった車輪(ギア)を上げ、操縦桿を更に手前に引く。横風を受けて左右に振れようとする機体をエルロンの操作で抑え、パワーを加え指定の高度を目指す。


『テイルジャック、エンジョイ01。離陸完了』


 俺がリーダー機の斜め後方に近づき編隊位置につくと、リバーは入間防空指令所(テイルジャック)を呼び出した。


『エンジョイ01、テイルジャック――』


 少し低めの女性の声が間髪を置かず応答する。

 谷屋1尉(ターニャ)だ――一瞬心臓がどきんとしたが、すぐに雑念を追い払い集中する。


『――離陸をレーダーで確認。左旋回で針路270を取り、高度4千まで上昇せよ。目標機の現在位置、方位315、距離410、針路135、高度2万2千――』


 簡潔に伝えられる情報を3次元で把握する。国籍不明機(アンノウン)は日本海上空。能登半島沖合から南東方向に向かって――つまり大陸の方から最短コースを取るように日本列島に向かっているようだ。


『――速度マッハ0.8、機数2。恐らく戦闘機』


 相手の速度を聞いた瞬間に「これは」と思ったが、ターニャからも目標機が戦闘機である可能性をはっきりと告げられた。


 『了解』と短く答え、リバーが指示された針路を取るため西に機首を向ける。成田空港を離発着する民航機で混雑する航空路の下をくぐり、高度を取って北西へ向かう。


 俺も翼を傾けリーダーに続く。

 小松基地が大雪に見舞われていなければ、恐らく6空団で対応した事案だろう。今回、予告なしのホットスクランブルだったのは、百里から日本海側に出る時間を考慮してのことだったのかもしれない。


 それにしても――俺は自分の鳩尾(みぞおち)のあたりが緊張で重苦しくなっているのを意識しつつ気を引き締めた――相手が戦闘機だとしたら、より慎重に注意深く行動しないとならない。前回のスクランブルの時以上に、何があっても冷静に対処できるよう頭をクリアに保っておく必要がある。


 マスクの下で深く息をつき、思わずひとりでニヤリとした。

 自分が緊張しているのは分かっている。今はもう敢えて股の間を確認する必要はない。


 防空指令所(DC)の誘導を受けながら、先を行くリバーに追随して急ぐ。


 百里を上がってしばらくはほぼ快晴の空だったが、西へと進み越後山脈を過ぎ越した途端に雲の塊が眼下を埋め始めた。たくさんの積雲が列のようになって陸地に押し寄せている。山の峰々に雪雲はかかっていなかった。山沿いではなく沿岸で大雪を降らせるパターンの雲の流れだ。小松基地が大雪のために滑走路閉鎖になる状況が納得できる。


 上空(ここ)から見下ろすと、低い高度で空を密に覆う積雲や、そのところどころから突き出した積乱雲の雲頂が太陽の直射光を受けて眩しいほどに白く輝いている。

 しかし、この厚い雲の層の下では雪が激しく降り続き、午前中にもかかわらず辺りはどんよりと薄暗くなっているに違いない。


 耳元では、刻々と位置を変える目標機の現況を伝えるターニャの声が間隔を置いて流れていた。2機の国籍不明機は相変わらず針路と速度を保ったまま、防空識別圏をまっすぐに突き進むような形で列島に向かって飛行しているようだ。


 民間旅客機が行き来する航空路の上を何度か横切り、マッハに近いスピードで飛び続けて数十分。真っ白い雲に一面覆われていて下の様子を窺うことはできなかったが、もう日本海の洋上に出ているはずだった。


 ターニャから指示が出される。


『エンジョイ01、左旋回で針路270へ』

『了解』


 応答したリバーの機動に合わせて自分も緩く翼を傾ける。相手の側方から接近するための迂回に入ったのだ。


 既に、目視できなくてもレーダーを使えば中距離ミサイルを撃てる距離まで来ている。どこの国のどの機種かは分からないが、戦闘機であれば相応の武装はしているはずだ――まさか相手もそうそうに軽はずみな真似はするはずがないと考えつつも、万が一の事態に備えて気は抜けない。


 国籍不明機がいるはずの方向に目を凝らす。今の距離で見えたとしても針の先ほどの大きさに見えるかどうかだ。しかも相手の高度だと、この雲海のギリギリ上を飛んできている可能性が高い。


 俺は目を細めて遥か遠くを睨んだ。ずっと先では薄い雲がかかっているのか、雲海と空の(きわ)が霞んだようになっていて遠目が利かない。


『目標機、進路変わらず――スタンバイ……目標機変針、180――』


 ピィーリリリリ……!


 情報を修正するターニャの声に覆いかぶさるように、突然、警報音がコクピットに鳴り響いた。





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