大晦日のスクランブル(2)
賑わうアメ横からの中継は既に終わり、今は中年の男性アナウンサーが淡々と各地のニュースを伝えていた。帰省ラッシュのピークは既に過ぎたものの、それでもまだ下り方面へ向かう高速道路は混雑しているらしい。
ブリーフィングを済ませた俺たち4人は、ソファーに腰を下ろすと思い思いに体を寛がせた。
「リバーさんは正月に帰省しなくていいんですか?」
何となく、結婚すると年末年始には必ず互いの実家に足を運ぶものというイメージを持っている俺は、今回の待機要員4人のうちで唯一の妻帯者であるリバーに訊ねてみた。
「うん、もちろん帰るけどな。時期をずらした方が道路も空いてるし、楽だからさ」
ソファーの背もたれに背中を預け、耐Gスーツを巻きつけた脚をフットレストに乗せながらそう答えたリバーに、フックが言葉を掛けた。
「リバーさんて、どちらの出身でしたっけ?」
「ん? 俺は山形」
「奥さんの実家はどちらなんですか?」
「宮城。松島基地のすぐ近くだよ」
「じゃあ比較的移動距離は少なくて済むんですね。班長のところなんて青森と鹿児島だから、実家に帰るのは交互に1年おきだって……。それで、やっぱり滞在する日数って、互いの実家に半々くらいなんですか?」
フックが熱心な様子で更に質問を向ける。
「ううん。自分の実家にちょっと顔出して、それからあとはずっと嫁の方」
「へぇ……。奥さんの方にそんなに長くいて、気まずくないですか? 義理のご両親に気を遣ったりとか」
リバーは笑顔で首を横に振った。
「嫁の実家にいた方が婿殿扱いしてもらえるから居心地いいんだよ。それに、俺の実家に長くいて、自分の母親と嫁の間に挟まれてストレス溜まるよりいいから」
そう言ったリバーは、慌てたように付け加えた。
「別に嫁姑の仲が悪い訳じゃないんだけどな。2、3日も一緒にいるとお互いに気を遣って疲れちゃうらしいんだ」
へえ……そういうものなのか。
俺はリバーの官舎にお邪魔した時に会った奥さんの顔を思い浮かべた――あんなに朗らかで人付き合いの良さそうな聡子さんでもそんな気苦労があるとは……女同士というのは何かにつけて色々と大変そうだ。
フックはまだ興味が尽きないのか、矢継ぎ早に訊ねる。
「相手の家族との付き合いって、どんな感じなんですか? うまくやっていく秘訣とかってあるんですかね?」
「なんだ、さっきからやけに具体的な質問だな」
それまで黙って話を聞いていたジッパーが、ぼそっとそう漏らして真顔のまま自分のウイングマンを見やる。当のフックは存外に真剣な顔つきになると、ソファーに座ったまま畏まったように背筋を伸ばした。
「実は今、もう長く付き合ってる彼女と結婚の話をしてて。今度向こうの両親のところに正式に挨拶に行くことになってるんですけど……彼女の家庭、どうもすごく厳格らしいんですよ。ちゃんと好印象を与えられるか心配で心配で……」
いつもはキリッと上がった濃い眉がハの字になって、すっかり気弱な顔になっている。リバーはそんなフックに理解を見せるように頷いた。
「相手の親に会うの初めてか?」
「はい」
「だったら最初が肝心だぞ。ちゃんとスーツ着て靴も磨いて行けよ。第一印象でしくじったら、挽回するのは骨が折れるぞぉ」
励ますのかと思いきや、冗談めかして脅かしている。気の毒に、フックは本気で身震いしている。
「そんなこと聞いたら、かえってめちゃくちゃ緊張しますよ!」
「まあ、ありのままの自分を見せてな、それで駄目なら仕方ない」
「そんなぁ……」
情けない声で呻く相手を、リバーは今度は笑って宥めた。
「大丈夫だよ、心配ないって。スクランブルで上がるよりは遥かに気楽だから」
おお。なるほど、そうなのか……つまり股の間のモノが縮み上がるほどの緊張ではないといういうことだな――リバーの話を興味深く聞いていた俺は、そう理解して合点した。
うろたえる後輩を楽しそうに見ていたリバーだったが、ふと思い出したように続けた。
「結婚の許可をもらうのに、初めて嫁の実家に行った時にさ――『娘さんを私にください』っていうあのセリフ、言いに行った時だ――その後にさ、嫁に呆れ半分で言われたんだよ。『あの場にいた中で、あなたが一番リラックスしてた。親は二人とも緊張してたし、私なんかすごくドキドキしてたのに』って。俺が『スクランブルで上がる時の緊張感に比べたら全然大したことない』って言ったら、本気で呆れ返ってたなぁ。だからお前たちもさ、そういう機会が来てもきっと余裕だと思うぞ」
「そうなんですか!」と感心したように声を上げたフックは、「それ聞いて、ようやく励まされたような気がします」と苦笑した。
リバーから初めて聞くエピソードに、俺はまたこの温和な先輩の新たな一面を発見した気がした――相手の親に結婚の申し込みをするという重大イベントの場にあって、リラックスできる度胸は凄い。先輩、腹が据わってんなぁ……。
リバーとは一度官舎で一緒に飲んだことはあるものの、職場ではまだそこまで深くプライベートな話をすることもなかった。考えてみれば、ほんの2か月ほど前に芦屋基地から転属してきたばかりの先輩なのだ――そう思って、せっかくのこの機会、俺もリバーに訊ねてみた。
「奥さんとはどこで知り合ったんですか? やっぱりコンパとか……?」
「いやいや、向こうが松島基地の売店でバイトしてたんだよ」
ジッパーがその言葉を受けて口を開く。
「奥さん、人気ありましたね。俺の同期で狙ってた奴も結構いましたよ――みんな虚しく轟沈してましたけど」
「ああそっか、ジッパーが松島にいた時だったら聡子はまだ働いてたから、お前はその頃のこと知ってるんだな――そうなんだよ、俺が『付き合ってほしい』って言ったら、『学生さんと付き合うと遊ばれて終わりだから遠慮します』って、笑顔できっぱり断られてなぁ」
「まあ、リバーさんだったら遊びとか浮気とか、そんな心配はなさそうですけど……」
俺の相槌に頷いて、リバーは言葉に力を込めた。
「でもそれを聞いてな、俺は『嫁にするなら絶対にこの女』って決めたんだよ」
ウェーイ……!
俺とフックは思わず冷やかしの唸りを漏らした。ついついニヤニヤしてしまう。
「まさにロックオンだ!」
「でもそれでよく結婚まで漕ぎつけましたね」
「まあな。俺の偽らざる気持ちをな、伝えたんだよ」
「何て言ったんですか!?」
続く言葉を期待して身を乗り出した俺たち二人を前に、リバーは照れと誇らしさが混ざったような表情でもったいぶったようにひとつ咳払いすると、言った。
「『君の支えがあれば、自分はどんなことだって頑張れるから』って」
ウェーイ!!
盛大に声を上げ、俺もフックもソファーの背もたれに勢いよくそっくり返った。その傍らで、顔をしかめたジッパーが呆れ声で口を挟む。
「先輩、それって間違いなく完全に自己本位なセリフですよね」
腹心の後輩の容赦ない指摘に、リバーは堂々と頷く。
「そうだよ。だから『偽らざる』って言っただろ?」
「聡子さんもよくそれで応えてくれましたね」
「まあな」
どうにも憎めない得意げな顔になってリバーが笑った――その時。
突然、けたたましい呼び出し音が待機室に響き渡った。
防空指令所からのホットライン……!
その瞬間、俺は反射的にソファーから飛び起きて駆けだしていた。同時にリバーも身を翻す。緊急発進指令を告げて鳴り響くベルの音に、「スクランブル!」と叫ぶ飛行管理員の声が重なる。
一瞬で頭が切り替わった。ドアに体当たりするようにしてリバーと共に格納庫へと走り出る。1秒でも早く――考えることはただそれだけだ。
軋んだ音とともに左右に開かれてゆく格納扉。朝日が光量を増しながら薄暗い空間に差し込んでくる。鎮座する2機のF-15の巨体が次第に明るく照らし出されてゆく。
全速力で自分の持ち場を目指す整備員たちの靴音が辺りに慌ただしく響く中、リバーと俺はそれぞれの機体に取り付けられた梯子に手を掛けると、息もつかずに一気に駆け登った。