聖夜の焼肉(2)
「モッちゃんを見てると、やっぱり女の人で自衛隊に入ってくるような人は仕事に対して意識が高いのかな、っていつも思うんだよね」
アディーは焼き加減が均等になるように肉を動かしながらそう言った。
その手つきを見ていた彼女は「うーん……」と唸っていったん宙を睨むと、考え考えしながら言葉をつないだ。
「そう言っていただけると嬉しいですけど、まあ、女性自衛官にも色々いますから……。男の人に負けないようバリバリやろうっていう人もいますし、楽に仕事を済まそうとする子も中にはいます――まあでも、男性隊員にも色々なタイプがいるのと同じですよ」
「そのあたり、モッちゃんはすごくバランスがいい感じだよね」
彼女の皿の上にほどよく焼けたタンを取り分けてやりながら、アディーがソフトな口調でそうコメントする。
モッちゃんはレモン汁を小皿に垂らすと、箸を手にして続けた。
「私は無理に気負うつもりも、楽するつもりもありませんけど――入隊して防府南基地に送られてすぐの頃、教育隊の中隊長の講話があって、その時の言葉が今でも記憶に残っているんです。『女性自衛官は職場の花であれ。仕事は男性と同様にこなして当たり前。その上で、女性として心遣いや笑顔を忘れてはいけない。殺伐とした状況であってもほっと雰囲気を和ませられるような、そんな存在となってほしい』って、訓育の時にそういう話があって。それを聞いて、『ああ、そういうものなんだ』って思ったんです」
「その中隊長って、男?」
俺は熱々の肉を頬張りながら訊いてみた。男が言ったとしたらセクハラにでもなりそうな要求だ。
だが彼女は首を横に振った。
「いえ、女でしたよ。今考えてみると、部内出身の叩き上げで幹部になった人だったのかな……。1尉でも中年くらいの歳に見えましたから。それこそ女が今よりずっと少ない時代に入隊して男と伍してやってきた世代の人だから、大変なことも多かったんじゃないかと思います」
彼女は運ばれてきた酎ハイを一口飲んでまた続けた。
「もうあんまり覚えてないですけど、完全男社会の中で女がやっていく上での心構えを色々と説かれました。『女は数が少ない分、注目されていることを常に意識しろ』とか、『色の濃い下着は着るな』とか――夏制服を着た時に透けて見えたりしたら風紀的によろしくない、と」
「そんな細かいことまで指導されるんだ」
俺は思わず驚きの溜め息を漏らしてしまった。男には想像できない大変なことがいくつもありそうだ。
「――その中隊長の話で一番印象深かったのが、『女性自衛官は職場の花であれ』という言葉だったんです。ですから、自衛官として仕事をする上で、その言葉を自分の指針として頭の片隅にいつも置いて心がけるようにはしています」
彼女は珍しく照れの混じったような様子でそう言うと、いい勢いで酎ハイを喉に流し込んだ。
モッちゃんは確か、1選抜で3曹に昇任した――つまり、昇任試験の受験資格を得てから初めての挑戦で合格し、空士の階級からいわば正社員扱いの空曹になった――という話だったから、確かに優秀に違いない。そして、本人の能力と併せて、その仕事ぶりに現れる常日頃の心がけが昇任の際にも評価されたのだろう。今、彼女の話を聞いて改めて納得した。
焼き上がったタンをレモン汁につけながら、隣のアディーも頷いている。
「『職場の花』かぁ……うん、確かにモッちゃんはそういう存在だよね。でも、バラとかユリとか豪華なのじゃなくて、もっと素朴な感じかな……。ほら、夏になると飛行場の草地にいっぱい咲いてる、茎の長いタンポポみたいな花とか」
俺たちの向かいでモッちゃんがあからさまに嫌そうな顔をした。
「アディーさん、あの花の名前、何ていうかご存知ですか?」
「ううん」
「『ブタナ』って言うんですよ、あれ。豚の菜っ葉」
いつも何かとモッちゃんをおちょくっているアディーだったが、この時ばかりは真面目で素直な感想を言ったつもりだったようだ。それが意図せず裏目に出たことに焦ったらしく、フォローしようと口を開きかけた。
それを彼女はすかさず制した。
「大丈夫です、悪気がないのは分かってますから」
さすが肝っ玉母さん、痛恨の失言もおおらかに受け流してくれる。
「……つまり、モッちゃんは気取らない素朴な花の方だって言いたかったんだよ」とアディーはばつが悪そうにもごもごと言い訳していた。
彼女はキムチが盛られた器から自分の小皿に少し取り分けると、改まった口調になって俺たち二人に目を向けた。
「何か私の話ばっかりになってしまってすいません。今日はアディーさんの悩みを聞く日だったのに」
「え? 俺の悩み?」
アディーは紹興酒と一緒に出されたざらめを小振りのグラスにひと匙入れ、その上から熱燗の酒を注いでいたが、きょとんとしてその手を止めた。
俺は慌てて口を挟んだ。
「ああ、うん、そうそう、そうなんだよ! お前も何かひとつくらい悩みあるだろ?」
モッちゃんは酎ハイのグラスをテーブルに置いて居住まいを正すと、アルコールに上気した顔を上げて真面目な表情でじっとアディーを見つめた。
「やっぱり髪のことですか? よく効く育毛剤の情報、ザビエルさんからそれとなく聞き出してみましょうか? 色々なメーカーのを試してるって話ですから」
ザビエルというのは俺たちの8期上の先輩のタックネームだ。由来は聞かずとも知れる。
「せっかくだけどまだ育毛剤は間に合ってるよ」
アディーが応酬してやろうとムキになりかけたので、俺は急いで割って入った。
「実はモッちゃんに頼みがあってさ――その大空のような寛大さと包容力で、この迷える若鷲を抱きとめてやってくれないかなぁ……」
俺がそう言った途端、隣で紹興酒のグラスに口をつけていたアディーが見事にむせ返った。
「迷える若鷲??」
目をぱちくりさせておうむ返しにしたモッちゃんに、俺は大きく頷いた。
「そ。迷える若鷲――このマダムキラー。モッちゃんが一緒にいてくれたら、こいつも浮ついたこともせずに落ち着いていられるんじゃないかなぁ、と――」
「だからいいって! お前はお見合いオヤジか!」
アディーが横から手加減なしに俺を小突いてくる。
「いや、でもさ」
「――いいですよ」
アルコールが回ってとろんとした目でしばらく俺とアディーを交互に見つめていたモッちゃんが、唐突に両腕を開いた。
「誰にだって人前では言えない悩みがあるものです。私で良ければ、二人きりでとことん話を聞きましょう」
彼女はまるで牧師のような厳かな態度で粛々と言い切った。まだ悩み相談室と勘違いしているようだ。
俺は急いで訂正した。
「違う、モッちゃん。そうじゃなくてさ――」
「え? 違うんですか?」
どうも噛み合わない俺と彼女の会話に、アディーが唸りながら強引に割り込んできた。
「その話はもういいから! くたばれ、このお節介オヤジ! これでも食らえ――フォックス・ワン!」
そう言うや、空になっていた俺のお冷のグラスにざらめを全部放り込むと、両手に紹興酒の小瓶をつかんで溢れんばかりの勢いで一気にその中身を注ぎきった。
「うわっ、やめろ! こぼれる! 何でこんなに砂糖入れんだよ!」
俺は抗議の叫び声を上げ、慌ててグラスに口を持っていった。
モッちゃんにもっとしっかり頼んでおきたかったのに――アディーの奴め、肝心なところで遮りやがって!