聖夜の焼肉(1)
「くそ……トラウマだ……。また思い出した……」
フライトを終えて先輩たちと共に救命装備班に入ってきたアディーは、先に装具を脱いで身軽になっていた俺と目が合うなりあからさまに渋い顔をした。俺の隣に立つと、救命胴衣の金具を外しながら、頬に酸素マスクの跡がついた顔をしかめて苦々しく呻く。
「何でよりによってお前とキスしなきゃならないんだよ……ありえないだろ……」
身を屈めて下半身に巻き付けてあるGスーツのチャックを外しながらも、恨みがましくぼやいている。
忘年会のバカ騒ぎに熱狂した休日も過ぎ、年末を控えて飛行納めを迎えるまで数日を残すところとなった今でも、アディーはまだぶちぶち言っていた。
「クール・アンド・セクシー」を主眼にしたSM女王様風コスプレダンスは、今まででは1番のウケで大成功だった。
せっかく買い揃えた衣装は来年も使うかもしれないからと手入れをし、タイツは洗って干しておいた。
俺は知らなかったが、どうやらそれがちょっとした騒ぎの元になったとかで――独身幹部宿舎の乾燥室にセクシーな網タイツが2本もぶら下がっているものだから、ここで寝起きしている独り身の若い幹部たちは騒然となったらしい。
そんな後日談もおまけでついてきたものの、とにかく『やる気・元気・負けん気』の航学魂を注入した渾身の宴会芸は大満足の結果となったのだ。ブチュッと一度されたくらいで文句を言うほどのことでもないだろう。結果オーライでいいじゃないか。
俺は笑顔でアディーに囁いてやった。
「じゃあ今度モッちゃんにでも優しくチューしてもらって、きれいさっぱりリセットしてもらえよ」
「だから何でモッちゃんなんだよ!」
なおさらいきり立ってアディーが唸る。
この素直にならない同期と、「飛行班の肝っ玉母さん」を何とかしてくっつけられないものか――あれこれ考えを巡らせていた俺の頭に、素晴らしい名案が閃いた。
隣で文句を垂れているアディーを軽くいなして強引に話題を変える。
「お前さ、クリスマスに何か予定入ってんの?」
「24日? 今年は特にはないけど」
「そっか」
思わずニヤッとしそうになるのをごまかすために何気なさを装ってくるりと背を向けたが、目ざとく俺の表情を見て取ったアディーは途端に不審そうな顔になった。
「何だよ、今の含み笑いは」
「いや、別に」
「さては何か企んでるな……?」
目を細めて探るような視線を向けてくるアディーに、俺は素知らぬふりを決め込んでしらばっくれる。装具を救装に預けたところへ、後輩のひとりがアディーを呼びに来た。年末年始の勤務の確認だとかで、2人で連れ立ってオペレーションルームを出てゆく。
その姿が完全に視界の外に消えたのをしっかり見届けてから、俺は飛行管理員のいるカウンターに飛んでいった。幸いチーフの荒城2曹はおらず、モッちゃん一人きりだ。
「モッちゃんさ、24日、何か用事ある?」
「――イナゾーさん」
パソコンに何かを打ち込んでいたモッちゃんは、キーを打つ手を止めることなく非難めいた目で俺を見やった。そしてよそよそしい声で続ける。
「敢えてイブの予定を私に訊くって、もしかして嫌がらせですか?」
「違う違う! 予定ないなら、俺とアディーとモッちゃんで飲みにでもどうかと思ってさ」
メンバー編成を聞いて怪訝そうな顔をした彼女に、俺は急いで付け加えた。
「ほら、いつもモッちゃんには色々と世話になってるしさ、何かアディーも……悩みがあるみたいだから、聴いてやってもらえないかなー……って」
「そうなんですか?」
「う、うん。俺にはよく分かんないけど」
俺はもっともらしく曖昧に頷いて見せた。まあ、あいつだって悩みのひとつやふたつあるだろう。嘘にはならないはずだ。
「分かりました。それじゃあ、ご一緒させていただきます」
よし、これでお膳立ての第一歩は完璧だ!
「――で、クリスマスに焼き肉ですか」
炭火コンロの埋まった座卓の前に腰を下ろしたモッちゃんが、脱いだコートを畳んで脇に置くと客観的事実を改めて確認するような口調でそう言った。
俺は自分のセッティング能力のなさを呪いながら、店員から渡されたメニューをしおしおと開いた。
町の商店街からは少し外れたところにある小さな焼肉屋。年季が入ってお世辞にも綺麗とは言い難い店内だが、うまい肉を食わせてくれる。
クリスマス・イブの金曜、店を訪れているのは作業服を着た建設業らしいあんちゃん3人と中年の夫婦、そして俺たちだけだった。
モッちゃんは「イブの日に煙臭い服で女性自衛官隊舎に帰ったら、後輩たちから思いっきりツッコまれるだろうなぁ」と言いながらも、おしぼりとお冷やをちゃきちゃきと俺たちに回している。続けてすぐに運ばれてきたビールのジョッキも手早く各々の前に配られた。
今日の彼女は珍しく女っぽい恰好をしている。いつもはゴワゴワとした作業服を着ていて、ごくたまに制服を着た時にスカートをはくくらいだから、ほとんど彼女の「女」の部分を意識したことがなかった。
今はVネックのニットにシンプルなツイードのスカートを履いて、派手ではないがこざっぱりとした格好をしている。私服姿を目にすると、「そう言えばモッちゃんも女だった」と今更ながらに再認識する。
そんな彼女を前にして、俺は改めて店のチョイスの失敗を反省した。
クリスマスの夜に女性連れで食事をするのなら、レストランでディナーなんて洒落込むのがいいに決まってる。それくらいは俺にだって一応は想像できる――が、哀しいかな、俺は今までそんな状況になったためしがない。毎年この日はBOQに籠って基地の食堂で腹を満たし、柵の外で楽しげに腕を絡め合っているカップルどもの中に不用意にひとりで出かけていかないようにしているのだ。
だから女が喜ぶような店がどこにあるかさっぱり見当もつかないし、そもそもこの田舎町にそんな店が存在するのかどうかも分からない。
アディーに訊けばすぐにアドバイスしてもらえただろうが、モッちゃんを誘ったなんて教えたらどうせグダグダ言われるのが目に見えていたので直前まで黙っていた――どのみち結局、「余計なことをするな」と苦言は呈されたが――それで結局、俺の中では焼肉屋しか選択肢がなかったのだ。
まあそれでも、モッちゃんを見ている限り酒が飲めて美味しいものが食べられればそれでいい様子で、まんざらでもないようだ。
「お疲れー!」とジョッキを打ち合わせて3人で乾杯し、冷えたビールを喉に流し込む。
注文したタンやカルビ、ロースなどの何種類かの肉と、サラダやキムチが運ばれてくると、モッちゃんはさっそくトングを手にして熱くなった焼き網の上に肉を隙間なくぎっしりと並べ始めた。
俺は思わずジョッキの縁から口を離して声を上げた。
「ええっ!? いきなり全種類焼いちゃう!? 最初はタン塩からだろ!」
「え? いいじゃないですか、色々なのを同時に焼いた方が好きなのを食べられて」
「いやいや! 塩から焼かないとタレで網が汚れるし味が移るじゃん」
「イナゾーさんて一気に強火でガーッと焼いちゃいそうなイメージですけど、見かけによらず綿密にやりたい焼肉奉行だったんですねぇ」
彼女は頓着せずにそんな感想を口にしながらやたらと肉をひっくり返していたが、焦げ目がつき始めると「ほら、どんどん食べてくださいね、焦げちゃいますから」と言いながら俺とアディーの取り皿に問答無用で乗せていく。
「モッちゃん、気を遣わなくていいよ。今日は俺たちがやるから」
アディーはやんわりとそう言って彼女からトングを取り上げた。このあたりのさりげない上手さは、さすが経験十分なマダムキラーだ。
「いつもモッちゃんはあれこれ気を利かせてやってくれてるんだから、こんな時くらいは仕事モードから離れたらいいよ」
彼女との「合コン」を俺が勝手に設定したことに対して出かける直前まで散々文句を言っていたアディーだったが、いくら相手がモッちゃんとはいえ、いざその場になれば女心をくすぐるサービス精神――というか、いつもの習性が出てしまうようだ。
当のモッちゃんはどうも調子が狂ったらしい。目を瞬くと、「じゃあ、お言葉に甘えて……」とためらいがちに手を引っ込めた。
俺とアディーで改めて網の上に綺麗に並べた塩タンがジュウジュウと賑やかな音を立てて焼けている。
すぐにジョッキは空になり、俺たちは紹興酒を、モッちゃんは酎ハイを追加で頼んだ。
焼け具合を見計らってトングで肉を裏返しながら、アディーが口を開いた。