忘年会(3)
宴会場には酔いに任せた威勢のいい大声があちこちで飛び交い、賑やかな笑い声が時折どっと上がっていた。浮かれて騒々しいその空間に向かって、マイクを握った司会役のライズが一生懸命に喋っている。どうやら次の宴会芸を披露するグループに準備を呼び掛けているようだ。
整備小隊の有志での出し物のようで、ライズのアナウンスを受けて士長クラスの若手整備員たちがぱらぱらと席を立ち、お互いにおどけた態度で何だかんだと声を掛け合い、周りからも冷やかされながら大広間から出ていった。
俺は手近にあった一升瓶を引き寄せると、皆川3曹のグラスに酒を注ぎ足した。酌を受けながら、彼はふと改まって口を開いた。
「一度、パイロットの人たちに訊いてみたかったんですけど――俺たちの整備した飛行機で飛ぶのは怖くないんですか?」
真顔でそう訊ねる。真面目な機付長らしい質問だった。
「怖くないよ」
俺は即答した。
「だって皆川3曹も磯貝士長も、自分が乗らないからって手抜きする?」
「絶対そんなことはしませんよ!」
2人が声を揃えてきっぱりと否定する。俺は大きく頷いた。
「そうだろ? だからだよ。だから怖くないんだよ。俺が自分で整備したのに乗る方がよっぽど怖いって。プロの君たちがきっちり整備してくれて、自信を持って大丈夫だと言って渡してくれるなら、俺たちパイロットはそれを絶対信頼するんだ」
そう言い切った俺に、彼は複雑そうな表情を見せた。
「でも……もし万が一に不具合があって、何かあったらどうするんですか?」
「それは単に運が悪かったって思う」
「ええっ……!?」
目の前のふたりが同時に声を上げる。
「ほんとにそれでいいんですか!?」
軽すぎる答えだったせいか、非難めいた眼差しまで向けられた。それでも俺は重ねて続けた。
「いいんだよ。細心の注意を払って整備をしていた機体に不具合が出て墜ちたとしたら――それはもう運が悪かったとしか言いようがないんだよ。手を抜かずに全力で取り組んでいての避けようがない結果だったとしたら、それを整備した人間を恨むとか、そんな風に思うことはない。そもそも飛行機なんて重力に逆らって宙を飛んでるんだぞ? 不自然なことやってんだからさ」
そう言って俺は笑った。これは紛れもない本心だ。
きっと彼らは、ずいぶん適当なおちゃらけた奴だと呆れ返っているに違いない。現に、「自分の命がかかっていることなのにこんなにあっさりしていて、こいつは大丈夫なんだろうか」とでも言いたげな顔で俺を見つめている。
本来空を飛ぶ生き物でない人間が地面を離れるという、自然の摂理に逆らったことをやっている以上――しかも肉体を限界ギリギリまで酷使する戦闘機乗りである以上――相応の危険は覚悟している。
しかし、だからと言って安全の追求を蔑ろにする訳では決してない。むしろ、そういった面については神経質なほど気を配る。
時間を見つけては英文で書かれたF-15の分厚い技術指令書をめくり、細々と想定された緊急事態の対処手順を繰り返し頭に叩き込むし、フライト前には気象情報を確認し、天候の急変に繋がる要因がないかどうかを自分の頭で判断する。突発的な事象に遭遇すれば、それだけ不測事態に陥る可能性は高くなるからだ。
体調管理には特に気を遣う。例えば腹を下したままフライトに臨めば当然判断能力は落ち、Gへの耐性も下がってしまう。かといって自己判断で薬を飲んでごまかす訳にもいかない。薬の成分によっては飛行停止になることもあるので、衛生隊に駆け込んで適切な薬を処方してもらわなければならなくなる。しかし、ただでさえ忙しい日々の業務の間を縫って受診のために時間を割くということ自体が難しい。だからとにかく体調を悪くしないよう、常々気をつけていないといけないのだ。
航空自衛隊の気質を評して、『勇猛果敢 支離滅裂』という言葉がある。自虐ネタなのか一般的な印象なのかは知らないが、なかなか的を射たフレーズではある。
代表職である戦闘機パイロットが、映画やアニメの中では俺様的な軟派なキャラで描かれることが多いせいで定着したイメージなのか、それとも、傍目には勢いだけでガンガン突き進んでいるように見えるからなのか――でも確かに俺たちも、「ま、いいんじゃね? とりあえずやってみっか」で動いてしまうことは多い気はする。
しかしそれは、想像の及ぶ限りの事態に備え、万全を期して綿密に下準備を整え、安全を厳格に追求した上で初めて口にする「ま、いいんじゃね?」なのだ。そこまでしておいて何かあったら、その時はもう仕方がないという、そういう意味での「勇猛果敢」であるべきだと俺自身は思っている。
「それに――」
まだ納得しかねるような顔をしている2人の整備員を前に、もうひと言付け加えた。
「俺たちは自分が墜ちると思って飛んでないから」
「自分だけは絶対に大丈夫、絶対に墜落しない」という、言ってみれば何の根拠もない究極の楽観的思い込み。特に戦闘機に乗るような人間はみんなそう信じているんじゃないだろうか。そしてこの思い込みを無条件に持つことができなくなった時、飛行機を操縦することはできなくなるんだと思う。マルコがそうだったように……。
自衛隊を去って行った後輩のことを思い出し、俺はちょっとしんみりした気分になって酒を煽った。いつもこういう場で一番に絡みに来るお調子者の姿がないのが寂しかった。
「――イナゾー先輩、そろそろ準備に行きましょう」
突然背後から声を掛けられて振り仰ぐと、そこにはボコの姿があった。エラの張った四角い顔はすっかり赤くなっている。その後ろにはデコとライズ、それにアディーも揃っていた。航学独身幹部宿舎組だ。そろそろ宴会芸の出番が近づいてきたらしい。
俺はグラスに残っていた酒を飲み干して腰を上げた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」
席を立った俺と他のメンバーを見回した磯貝士長は嬉しそうにパチパチと手を叩き、皆川3曹は両手をメガホンにして景気よく声を上げた。
「宴会芸の真打ち、待ってました!」
「楽しみにしてますね!」
「今年も期待してますよ!」
周りからも呂律の怪しくなった声援が上がる。あちこちで期待に満ち満ちた激励を受けながら、俺たち5人は宴会場を後にして控室へと向かった。