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突然の辞令(1)

 翌日、マルコは職場に出てこなかった。昨日救急車で基地の外の民間病院に運ばれてから、そのまま入院しているという話だった。


 後で見舞いに行こうと、隊長や班長に入院先の病院を尋ねたが、どちらからも教えてもらうことはできなかった。それならせめてもとマルコの詳しい容体を訊いても、「自分たちにも分からない」という答えが返ってくるばかりだった。


 マルコのヒットバリアにより滑走路閉鎖となり、代替飛行場である小松基地に下りていたリバーは、当日の夜遅くまで隊長と頻繁に電話のやり取りをして、エマー発生時のマルコの状況について説明をしていたようだった。

 次の日、滑走路が復旧して他の2人のウイングマンとともに百里に帰投したリバーは、戻ってくるとすぐに隊長に呼ばれ、飛行班長に司令部の人事班長まで加えた4人で隊長室に籠って長い間話し込んでいた。


 はっきりした状況がまったく伝えられない苛立たしさと、それ以上にどうしようもない不安が募って、俺は居ても立ってもいられない思いだった。


 俺はいつも、1期上の対番の先輩として、マルコにだけは絶対に負けられないと思っている。でもだからと言って、あいつの窮地を意地悪く黙って見過ごすことなどできない。マルコは「お前、調子に乗りすぎるなよ」と時々ポカリとやりたくなるくらい口達者で小生意気だが、それでも、俺にとってはどうにも放っておけないやんちゃな弟分のような存在なのだ。


 こうなったら直接リバーに訊くしかない――そう決心して、フライト後の機動解析作業にあたりながら隊長室の気配を窺い、話し合いが終わるのを今か今かと待ち構えていた。


 ようやく隊長室のドアが開かれた気配がして、俺は作業を中断して飛んでいった。そして、硬い表情で部屋から出てきたリバーを捉まえると人気ひとけの少ないところに引っ張っていき、き込んで訊ねた。


「リバーさん、あいつ、一体どうしたんですか。上空うえで何があったんですか」

「……まだ詳しいことは言えないんだ」


 リバーは溜め息交じりにそう言い、首を振って戻ろうとした。俺はとっさにその腕をつかんだ。


「リバー先輩! 俺、航学の頃ずっとあいつの面倒見てやってたんですよ。救急車で運ばれて入院なんてただ事じゃないですし、誰からもはっきりしたことが聞けなくて、心配にもなりますよ! 先輩だって分かるでしょ、自分が世話した後輩がこんなことになったらどれだけ気がかりか!」 


 思わず口調がきつくなる。昨日からのやり場のない苛立ちをつい目の前のリバーにぶつけてしまっていた。


 しかしリバーは自分に向けられた不当な八つ当たりを咎めることもなく、しばらく俺の顔をじっと見ていたが、「そうか……お前はマルコの対番だったか……」と呟くと、やがて視線を落としてぽつりと言った。


「――あいつは多分もう飛べないだろう」


 告げられた言葉は予想すらしなかったものだった。


 リバーは絶句して棒立ちになった俺に気遣わしげな眼差しを向けていたが、結局無言のまま俺の肩を慰めるように叩くとオペレーションルームに戻っていった。


 マルコに関する辞令が出されたのは、それから十数日経ってのことだった。

 回覧用のバインダーに、他の通知文書と共に一枚の紙が挟まれていた。


『人事発令

 12月10日付で操縦幹部(戦闘機等)の特技を取り消す

 同日付で退職とする

(航空総隊中部航空方面隊第7航空団飛行群第305飛行隊) 3等空尉 都丸浩太』


 唐突すぎる辞令だった。

 操縦特技の取り消し――つまり、パイロットの資格を失うということ。

 そして、「退職」という2文字。


 俺は手元の用紙を呆然と見つめるしかなかった。

 書かれていた文言はあまりに呆気なかった。たったこの数行の背景に、ひとりの人間が夢の実現のために費やした時間と、努力と、想いがどれほどあったと想像できるだろう……?


 あの事態の翌日から、マルコはずっと姿を見せていなかった。

 オペレーションルームの片隅で、ハスキーとポーチがぼそぼそと言葉を交わしているのが聞こえてきた。


「お前、マルコの話、聞いたか?」

「辞令は見ましたけど、あれだって普通からしたら突然過ぎますよね。何がどうなっているんだか――」

「でも辞めるって言ったってよ、俺たちここまでになるまでに相当投資してもらってるんだぞ? 組織がそんなに簡単に退職をオーケーするか?」

「まあ、パイロットをクビになったとしても、普通はそれでも自衛隊には残って他の職種に移るとか、そういう選択肢を取るものだと思いますけどねぇ……」


 ハスキーとポーチの疑問は、まさに飛行班員全員が抱いているものだった。


 マルコの退職を伝える文書が回覧されたその日の終礼時、集まった飛行班員たちの前に隊長が進み出た。


「皆、マルコの辞令の件は知っているな」


 目の前に並ぶ部下たちを見渡すと、隊長は努めて感情を抑えたような口調で話し始めた。


「マルコは精神的にこの仕事を続けるのが困難になったということで、入院中に退職の申し出があった。どうにか退職だけは思いとどまらせようと何度も説得にあたってきたが、本人の意向は変わらず、やむなく今回の処置となった次第だ」


 いったん言葉を区切り、隊長はその理知的で思慮深さを感じさせる眼差しを隊員ひとりひとりに注いだ。そして、マルコの話にここ最近浮足立っている飛行班員たちに言い聞かせるように、冷静で落ち着いた声音で続けた。


「有望な若手を失うことになったのは我々305(サンマルゴ)にとっても痛手だが、その分を皆でしっかりと補い、通常の運用に抜けや支障が出ることのないよう、これからも今まで以上に十分に気を引き締めて訓練や任務にあたってほしい」


 簡潔にそう言うと、「以上だ」と締めくくって隊長はマルコの話を終えた。


 終礼が終わり解散となった後、オペレーションルームには何とも言い難い、気まずいような居心地の悪い空気が流れていた。普段のように「ああ、早く帰って一杯飲みてぇなぁ!」と声を上げたり、「これから司令部の方の仕事をやっつけないとなぁ……」などと大袈裟にため息をつく者もいない。皆、口数少なく自分の仕事に戻っていった。


 俺も明日のフライトの準備に取り掛かったが、あんな話の後では集中できるはずもなかった。

 自分の前に広げたシラバスを半ば上の空でめくり、明日のフライトで行う課目を機械的にノートに書き留めながら、隊長の話を何度も頭の中で繰り返す。


 ――「精神的に」難しくなった? そんなフレーズ、お前なんかに似合わないだろ! なに繊細ぶってんだよ!――マルコを前にそう言って笑い飛ばしてやりたかった。

 今は体調が悪いにせよ、しばらく療養してからまたひょっこり顔を見せるんじゃないか――「いやぁ、マジでヤバかったっすよ、先輩! 急に調子悪くなっちゃって焦ったっす」なんて言いながら、いつもの調子で戻ってきてくれるんじゃないか……。


 正式に辞令が出された今、もうそんなことはないと理解していても、心のどこかで期待してしまう自分がいた。


 ……何で。

 どうして。

 お前、一体どうしちゃったんだよ!?


 鉛筆を動かす手が止まった。

 緊急事態エマーの時に息を詰めて見ていた光景がまた思い浮かんだ――ヒットバリアし、ようやく止まった機体。何人もの隊員に抱えられるようにしてコクピットの中から助け出されるマルコ。サイレンを響かせて走り去ってゆく救急車……。


 俺はシラバスに目を落としたまま、頭の中で再生される光景をやりきれない思いで見つめていた。


 ――と、すぐそばで回転椅子を引く音がして、はっと我に返った。顔を上げると、向かいの席にリバーが腰かけたところだった。

 リバーは少しの間無言で俺に目を当てていたが、やがてひと言、はっきりと言った。


「イナゾー、マルコのことに引きずられるなよ」


 思わずどきりとしてリバーを見返す。いつもはのんびりとした表情のリバーが、今は真面目な顔つきで俺に向き合っている。


 いつの間にかオペレーションルームは閑散とした様子になっていた。飛行班員の多くはそれぞれに仕事を切り上げ、帰途についたようだった。


「――今回の辞令、納得できてないんだろ?」


 リバーの問いに、俺は黙って頷いてから胸の内のわだかまりを押し出すように呟いた。


「……納得するも何も、突然過ぎて……。調子が悪くなったからって、こんなに早く操縦資格を取り消しにしなくたって……」


 リバーはひとつ長い息をつくと、静かな口調で言った。


「今回の措置は、隊長や班長が団や空幕の人事担当者や医者も含めて、何が今のマルコにとって最善なのか何度も話し合った結果だ。それに――酷なように聞こえるだろうけどな、マルコは命があるだけまだラッキーだったんだ。あのエマーをかけた時はいつ墜落してもおかしくない状況だった。最悪、民間人を巻き込んでいたかもしれない。そうならなかったことを考えれば、たとえパイロットをクビになったとしても、あいつや、あいつの家族や奥さんにとってはそれでもまだ幸せな方なんだ。――それにな、もう飛べないというのは、マルコ自身が言っていることなんだ」


 噛んで含めるようにして話すリバーに、俺は縋るような気持ちで訊ねた。


「……あの時、あいつはどんな状況だったんですか? 自分でももう無理だと思うほど体調が悪いんですか……?」





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