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部隊研修(4)

 

「えー……プリブリーフィングやディブリーフィングなど、フライトに関わる主なことはこのオペレーションルームで行っています。その奥のカウンターで飛行管理員が一元的にフライトの情報を管理し、関連する各部隊とやり取りします。後ろのボードに書かれているのが各ピリオドの編成表で――」


 見学の隊員相手に説明をしていると、それぞれのデスクでプリブリを終えた編隊から解散して順次救命装備班に向かい始めた。


 ブリーフィングに使ったファイルを手にしたハスキーも同じように救装に向かっていったが、珍しく真面目くさった厳めしい顔をしている。見学に来た他所の部隊の隊員たちの視線を意識しているのだろう。いつもはフライト前でも何だかんだと無駄なお喋りに後輩を付き合わせる先輩だが、今日のところは自粛するつもりらしい。

 早々と装備を整えて姿を現したジッパーは相変わらずの仏頂面でいつもと変わらなかったが、続いて出てきたリバーは何となくよそいきな表情だし、ポーチも黙ってクールな態度を装っている。


 たまにテレビ局の取材でカメラが入ってきたりする事があるが、その時と同じだ。見学者が訪れた時だけは、みんな妙にお行儀が良くなるのだ。


「飛行班員たちが今出入りしている所が救命装備班と呼ばれるところです」


 部屋の近くに一行を伴い、簡単に案内する。


「ここでフライトに必要な救命胴衣や耐Gスーツなどを身に付けてから、ヘルメットと酸素マスクを持って自分がアサインされた航空機へと向かいます」


 ダダ、ダダダ……と奥の方から途切れ途切れに聞こえてきた音に、見学メンバーのひとりが不思議そうに中を覗きこんだ。


「あれ、ミシンの音ですか?」


 何列も並んだフックに整然と掛けられたヘルメットやマスク、耐Gスーツなどの装具と、それを取って手際よく準備を整えてゆくパイロットたち。その光景の奥に、作業場所で業務用のミシンに向かう隊員の背中が垣間見えていた。


 俺は頷いて言った。


「ここでは救命装備員が常に装具の点検と整備を行っているんです。ミシンを使っての補修もやっています」

「男でもミシンをやるんですね」

「はい、男女関係なく上手いですよ。ほつれや穴の補修とか、ワッペンをつけるベルクロの縫い付けなんかをお願いすると、あっと言う間に綺麗に仕上げてくれるんです。細かい手仕事のプロフェッショナルです」


 マルコもうんうんと大きく頷く。


「自分の嫁よりよっぽど上手いっすよ。この間、新しいフライトスーツに階級章を縫ってくれって嫁に頼んだら、見事に曲がって3回くらいやり直してましたから。階級章が針孔だらけになりましたよ。その点、彼らなら難なく一発っす」


 一同の間に笑いが広がる。

 そう言えば――少し前にマルコのフライトスーツの襟に付けられた階級章の角度がどう見てもちぐはぐだったので、「お前、それ自分で付けたのか?」と訊いてみたら、「嫁が頑張って縫ってくれたんす」と嬉しそうな答えが返ってきた。付け直すように言うつもりだったが、奥さんの努力にケチをつけるのも気が引けたのでそれ以上突っ込まずに黙っていた。それでも結局、総括班長のピグモから指摘が入って救装でやり直してもらったようだったが。


 そんなことを思い出していると、ふと、後ろの方から抑えた小声が聞こえてきた。


「ねえ見て! ほら、あそこの人! すごいイケメンじゃん!?」

「うわぁ、本当だ……カメラ持ってくれば良かったですね、先輩!」


 見学している集団の後ろの方で、3曹と士長の女性隊員が頭を寄せて囁き合っている。

 彼女たちの視線の先をたどると、案の定そこにはアディーの姿があった。自分に熱い視線が向けられているとも知らず、耐Gスーツを下半身にきつく巻き付け、救命胴衣に腕を通しあちこちに付いた金具を留めて上半身に装着している。その光景に2人は完全に釘付けだ。さすが、女子はこういうことに目ざとい。


 支度を終えて出てきたアディーは、彼女たちの視線に気づくとニコッと小さく笑いかけた。たぶんあいつにしたら、女性と目が合ったら笑顔になるというのは脊髄反射のようなものなんだろう。


 「イケメン」から思いもよらず笑顔を向けられた2人はびっくりしたように口をつぐんでぴょこんと会釈を返した。識別帽を目深に被りヘルメットバッグを持って駐機場へと出てゆくアディーの後ろ姿を目で追いながら、ひそひそ声でうっとりとコメントを交わす。


「……うちらの職場にもあんな人がいたら、仕事するにも張り合いがあるのになぁ」

「暗い部屋で長い時間レーダー画面を凝視して疲れた時なんか、目の保養になりますよねぇ」


 俄然テンションの上がった同僚の女性たちに、すぐ横でその会話を聞いていた黒縁メガネの士長が複雑そうな顔を向けていた。


 救装の次に案内したのが、電話機の並ぶカウンターだった。壁に貼られたカラフルな要撃管制官紹介シートの前の古めかしい1台を示す。


防空指令所(DC)との連絡はこのラインを使って行っています」


 そう言ったとたん、一団の中から声が上がった。


「あの……! 質問よろしいでしょうか」


 拳にした右手を勢いよく突き上げて、待ちかねたように挙手したのは要撃管制官のバレルだった。ぽっちゃりした下膨しもぶくれの顔は真剣そのものだ。


「よくディブリで編隊長の方から『あんな言い方じゃ分かんねぇよ』って指導されるんですが……パイロットの方にとってみたら、私たちがどういう言い方をすれば分かりやすいんでしょうか」

「言い方……そうですねぇ……」


 抽象的な質問に、思わずマルコと顔を見合わせた。

 とっさに浮かんだのは、「ターニャさんのような管制だとストレスが少ないです」という回答だったが、さすがにそれでは他の管制官コントローラーに対して角が立つ。どう答えたものかと、飛びやすかった時の記憶を改めて思い起こしながら、考え考え口にする。


「――例えば、空中戦をしていて自分がこれ以上どうにもならない不利な状況になって、そこから離脱しようとする時に、『抜ける方向いくついくつ』って逃げられる方向を簡潔明瞭に示してもらえたりとか……」


 言葉を切った俺の後をマルコが引き取った。


「こっちが必要だと感じた情報をタイミングよくぱっと伝えてもらえると『グッジョブ!』って思いますよね! 自分の背後みたいに、レーダーや目視で見えないところにある状況に関する情報とか、リクエストしなくてもぱぱっともらえるとナイスっす」


 管制官たちはメモ帳を手に真剣な表情で走り書きしている。

 同じようにメモを取っている谷屋1尉の姿に目を当てつつ、俺は彼女がいつもどんなふうに指示を出していたか思い返してみた。


「……これは自分の感覚ですけど――。相手に背後を取られている状況で、DCのレーダー上で彼我ひがの距離がはっきり判断しにくい時なんかが多分ありますよね? そんな時に『後方10マイルか……9マイル』なんていう感じに口ごもって曖昧に濁されると、こちらも一瞬判断に迷うんです。それよりもっと端的に『後方10マイル。もっと近いかも』って言ってもらえる方が、イメージとして頭に入ってきやすいですね。『もっと近いかも』というひと言で『10マイル』という判断にそちらがどの程度確信を持っているのかも直感的に把握しやすいですし、そうすると自分からは見えない対抗機の動きに対しても即断的に対処できるので……」


 例に挙げた話が具体的過ぎて、かえって分かりづらくなってしまったかもしれない。俺は慌てて言いなおした。


「つまり――その瞬間の周囲の状況や、要撃管制官として戦闘機をどう動かそうとしているかという意図などがすんなり頭に入ってくるようなひと言を要所要所でもらえると、すごく動きやすいです」


 若手管制官たちはペンを走らせたまま吐息交じりに唸った。

 「まだまだ修行が必要だなぁ……」――そんな声があちこちから漏れ、その言葉に深く同意するように他のメンバーも苦笑しながら頷いている。


「まあでも、端的に的確に意図を伝えるという難しさは自分たちにとってもまったく同じですよ。2機編隊長錬成訓練(ELP)をやっている自分も、指示の出し方にはいつも本当に苦心していますから」


 フォローするつもりで俺がそう付け加えると、聴き取ったことを一生懸命帳面に書きつけていたバレルが顔を上げてぽろりと呟いた。


「一度、酒でも飲みながらじっくりお話を伺いたいですねぇ」


 心の底から湧き出てきたようなしみじみとした言い方に、俺もマルコも他の管制官たちも、皆思わず笑顔になって頷く。

 谷屋1尉と飲める機会があるならこんなに嬉しいことはないが、そうでないとしても常に連携して任務にあたる部隊の者同士、顔の見える関係を築くことはやはり大切なことだと思う。それに、実際に面と向かって話し合ってみて初めて理解し納得できる事柄というのは多いものだ。


 他にもいくつか細かい質問を受けているうちに、気がつくと、オペレーションルームの中にもF-15のエンジン音が騒々しく響き始めていた。

 窓越しに見える駐機場では、両耳にイヤーマフをつけた整備員たちが鼻先を揃えて一列に並べられた機体の周囲を行き交っている。パイロットたちは既にコクピットに納まって地上滑走前の最終チェックに入っているようだった。




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