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部隊研修(1)

 穏やかな秋の陽気の昼下がり。

 セカンドピリオドの開始時刻をだいぶ過ぎた今、何機ものF-15を送り出した駐機場はひっそりとしていた。トンビが1羽、滑走路上空の高いところをゆっくりと旋回しながら獲物を探しているのが窓から見えた。


 飛行班員の半分ほどがフライトで出払っているオペレーションルームも閑散とした雰囲気だった。このピリオドにアサインされていない隊員たちは、昼食から戻ってきてコーヒーの入ったマグカップを片手に、それぞれ自分の仕事に取り掛かっていた。


 カウンターの奥では、飛行管理員チーフの荒城あらき2曹がパソコンに向かって書類を確認しながらパイロットたちの飛行記録を打ち込んでいる。その横で、ファイルを手にしたモッちゃんがカウンターを挟んでアディーに計器飛行証明の更新や飛行時間について確認していた。


 俺もラウンジで食後の甘いコーヒーを飲んで一息ついてから、カウンターの隅に置かれていた回覧文書のバインダーに目を通していた。一番上には『305飛行隊 忘年会のお知らせ』と書かれた文書が挟んである。


「もう年末かぁ……早えなぁ」


 思わずそう口にすると、モッちゃんがこちらを振り向いた。


「年末という言葉を聞くと、まさに『光陰矢の如し』っていう気がしますよねぇ」


 しみじみとしたように相槌を打つ。

 その向かいで、アディーが「まったく同感」という様子で頷いて付け足した。


「きっとこうして毎日のことに没頭している間に、青春の20代もいつの間にか過ぎていくんだろうね」

「そうして髪の悩みも歳とともに切実になっていくんですね」


 モッちゃんが何食わぬ顔でそうコメントを返す。アディーは心外そうな顔になって、「今のはモッちゃんのことを言った訳じゃないのに……」と口ごもりながらブツブツ言っていた。


 2人のいつもの応酬を聞き流しながら、俺はカウンターの鉛筆を借りて回覧済みのチェック欄にサインをしつつ忘年会の詳細に目を通した。


 飛行隊全体の忘年会は、毎年泊りがけで行う。観光バスを数台借り切って、アラートや待機要員以外は総出で出かけるのだ。この時のために305の隊員たちは皆、厚生費として毎月徴収される金額の中から少しずつ積み立てている。


 ホテルの名前や住所が書かれた欄に目をやると、今年の宿泊地は千葉県の南房総になっていた。この時期になると厚生係が頑張って、日本酒に合う美味い海鮮料理が食べられて温泉にも入れるところを探してくるのだ。


 俺の手元のバインダーに目を落としたアディーが気を取り直したように口を開いた。


「忘年会と言えば――『宴会芸、航学組で何かひとつお願いします』って、デコに頼まれたよ」

「じゃあまた独身幹部宿舎(BOQ)メンバーでやるか? 今回は俺とお前に、ライズとデコとボコで5人か……。去年は可愛い系で攻めたから、今度はどういう路線でいくかなぁ」


 この前は俺とアディーとライズでダンスを披露したのだった。3人で巻き髪のかつらを被り、フリフリワンピースに白いエプロンをかけ、白いヒラヒラのバンドを頭につけたメイド姿で人気アイドルグループの歌に合わせてキュートに踊りまくったのだ。パイロットや整備員たちでそれぞれグループになってやる宴会芸の中では断トツの盛り上がりだった。


「またあのコスプレダンスをやるのか……」


 遠い目をして絶望気味に呟くアディーに、モッちゃんが真顔で力説する。


「でもあれ、すごく面白かったですよ! 笑いすぎて翌朝お腹が筋肉痛になったくらいでした。今年も期待してますから!」


 モッちゃんからの力強いエールを聞いた瞬間、俺の頭に閃いた。


「よし、アディー! 決めたぞ! 今年の宴会芸は『クール・アンド・セクシー』を主眼にしよう! 今回も気合入れて一番のウケを狙いにいくからな。航学魂を忘れるなよ!」


 航学出身たる者、「やる気・元気・負けん気」の『三気』の精神を決して忘れてはならない。航空学生に代々受け継がれる伝統だ。たとえおバカな宴会芸であったとしても、やるとなったら全力投球で挑む!


 気迫を込めてきっぱりと告げると、アディーは肩を落として諦めきったように頷いた。


 コンセプトが決まったとなったら、さっそく細部を詰めて練習に取り掛からなければ。忘年会までは1か月と少し。渾身の宴会芸で満場を沸かせて、爽快な気分で冬休暇を迎えてやろうじゃないか……!


 俄然闘志が湧いてきた。俺はテンションが上がったまま回覧済みのバインダーを総括班に持って行こうとして一歩踏み出し、ふと思い出してアディーを振り返った。


「そういえばお前、冬休暇はどうするんだ? 横浜の実家に帰るのか?」

「いいや、別にそういう予定はないけど」

「じゃあ今年もマダムのところ?」

「さすがに今回は自粛するよ」


 苦笑交じりにそう答えたアディーの横に身を寄せ、俺はカウンターの中にいるモッちゃんに背を向けるようにして声を潜めた。


「――優美ゆみが、正月にお前を連れて帰って来いって。メールでせっつかれてるんだけど」


 「何でそこでヒソヒソ声になるんだ?」という不審げな表情でアディーが俺を見る。


 当たり前だろ。お前とモッちゃんをくっつけたいのに、たとえ妹とはいえ不必要に女の名前を出して彼女に余計な疑念を持たれたら困るじゃないか――口には出さずに、目に力を込めてそう伝えたつもりだったが、アディーは分からないようだ。ますます不可解そうな顔になっている。それでも一応気遣いを見せて訊いてきた。


「でも、正月になんかお邪魔したら迷惑じゃないか? それにお前にしてみたら、数年ぶりの家族団欒になるんだろう?」

「どうせ母親と妹だけだし、母親なんかきっと喜ぶよ。雪かき要員が来たって。――まあ、真冬にわざわざ極寒の北海道に行くこともないだろうけどさ」


 俺はそう言って首をすくめた。


 『お兄ちゃん、お正月にこっちに帰ってくる時は、ぜひ村上さんも誘ってみてね』――文末に音符マークが付いたメールが妹の優美から送られてきたのはつい数日前だ。


 何だよ優美の奴、やっぱりここの航空祭でアディーに会った時に一目惚れしてたのか?……と思って先を読み進めると、どうも文面の感じは違っていた。


 『牧場の手伝いに来てくれているおばさんたちに村上さんの話をしたら、ぜひ若くてカッコいい映画俳優みたいなパイロットを拝んでみたいとみんな盛り上がっています。お兄ちゃんひとりで帰省しておばさんたちの期待を裏切らないよう、よろしくね』――この文末にはピンクのハートにキラキラマークまで付いていた。


 久しぶりの帰省なのに、俺だけで帰ったらみんながっかりなのかよ!?――と思わず携帯の画面に向かって突っ込みたくなるようなメールだった。


 優美がニンマリ笑う様子が目に浮かぶ。

 アディーに惚れた照れ隠しのためにおばさんたちを出しにしている訳ではない――そんな可愛げで恥じらいのある性格ではないことだけは確かだ。ミーハーでちゃっかりして、ワクワクすることには目がないのが我が妹なのだ。


 若干気の毒な思いで目の前のアディーを見やる。


 北海道に行ったりしたら、実家の牧場に着いた途端、陽気でかしましい中年のご婦人連中に取り囲まれていじくりまわされるに決まってる――助っ人に来てくれているという近所のおばさんたちの顔をひとりひとり思い浮かべると、なおさら自分の予想は間違うことはないだろうと確信する。


「まあ、特に予定が入ってないならちょっと考えといてくれよ」


 そう言って、まだ怪訝そうな面持ちのアディーの肩を叩くと、俺は今度こそ回覧を置きに総括班へ向かった。


 ――一応、誘いはしたからな、優美! 俺ひとりで帰ることになっても文句言うなよ……。




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