表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/106

入間基地航空祭(4)

 支給された祝賀弁当を食べ終わってからも、俺はまだソファーに座ったまま谷屋1尉と交わした会話をぼんやりと思い返したりしていた。


 ふと気がつくと、窓の外に見える飛行展示はいつの間にかブルーインパルスに変わっていた。しかも既に最終演目を終えたようで、各機が着陸態勢に入っていることを告げるアナウンスが会場に流れている。

 アディーは俺に話しかけても上の空だととっくに諦めていたのか、窓際に寄りかかって陸自や海自の搭乗員たちと同じようにブルーの姿を目で追っていた。


 ブルーインパルスのショーは上空での演技だけでなく、搭乗前にクルーが機体に向かうところから始まる。メインとなる展示飛行、着陸、駐機、そして機を降りたパイロット6名が行進しながら順に集合し、敬礼と握手で締めるウォークバックまでのすべてが見せ場だ。


 ここ空輸ターミナルからだと、ブルーが駐機される場所はかなり遠くになる。クルーの姿は米粒ほどにしか見えないのだろう。しばらく目を細めてじっと駐機場を見下ろしていたアディーが俺を振り返った。


「ほらあれ、サンバ先輩じゃないか?」


 アディーの声が、俺の頭の中で好き勝手に広がっていた妄想をあっさり蹴散らす。

 「――ターニャさんを誘うとしたら、この時期ならどこがいいだろう……群馬あたりに紅葉を見に、日帰りツーリングなんてのもいいかもなぁ……」と楽しい空想に浸っていたのに、いきなり現実に引き戻された気分だ。仕方なく腰を上げると窓際に寄ってみる。


 「サンバ」というタックネームの先輩は俺たちの3期上で、一昨年305からブルーに転属していた。

 濃い顔なので、空輸ターミナルからの遠目にもすぐに分かった。スタイルがよく見えるよう特別仕立てになった青いフライトスーツ姿で、観客に向かってにこやかに手を振っている。


 純日本人にもかかわらず、ラテン系のハーフと言っても相手にすんなり信じられてしまう外見をしている先輩だ。なかなかの男前なのに、いったん口を開けばオヤジギャグを連発し、何かにつけて飛行班のメンバーを凍りつかせていた。

 そんなサンバがブルーに転属になるという情報が入った時、飛行班は騒然とした。


『お前がブルー!? そりゃまずいだろ!』

『インタビュー受けても絶対黙ってろ。ただニコニコ笑っとくだけにしとけよ! ぽろっと寒いギャグなんか言ってファンの夢を壊すんじゃないぞ!』


 サンバの同期や先輩たちは当人が異動になるその日まで事あるごとにそう注意して、空自アイドルの道へと進む仲間を第11飛行隊ブルーインパルスが入る松島基地に送り出したのだった。


 駐機場では、ブルーのパイロット達が詰めかけた人々の間に辛うじてできた1本の道を進みながら、手を差し伸べてくるファンと笑顔で握手をしたりハイタッチをしたりして、待機場所のある建物に戻ろうとしていた。サンバも四方八方から声をかけてくるファンのひとりひとりに律儀に応じている。


 アディーが可笑しそうに言う。


「あんなサンバ先輩を見るのは不思議な気がするね。覚えてるか? 先輩が戦競の時に応援団やってさ。ふんどし一丁で鉢巻締めて、駐機場エプロンを走り回ってたの」


 アディーの言葉に俺も思わずニンマリした。


「覚えてる! 途中で褌が緩んで危うくポロリしそうになってたよな」


 全国に展開している戦闘機部隊が一堂に会し戦闘技術を競う、航空総隊の戦技競技会。その催しが百里基地で開かれた際に、サンバは応援団のメンバーとして305の隊旗を振り回しながら雄叫びを上げて駆け回り、年に一度行われる真剣勝負のお祭り騒ぎを色々な意味で大いに盛り上げていた。顔だけでなくノリまでラテンな先輩だった。


 その先輩が優雅かつ紳士的な態度でファンサービスに努め、航空自衛隊の広告塔を立派にこなしているのだ。実際にそんな姿を目にすると、「サンバ先輩も頑張ってるんだな」という、妙にしみじみとした労りの気持ちにもなってくる。まあ、今でも中身は305にいた時のままだろうとは思うが。


 ブルーインパルスのメンバーが全員建物内に引っ込むと、駐機場の一角に殺到していたファンたちもまた思い思いに散り始めた。


 アディーが俺の背中をどんと叩いた。


「それじゃあ、俺たちはそろそろ行こうか」


 そう言ってから、「頭、ちゃんと切り替わったか?」とからかい混じりに念を押すような口ぶりで付け加える。

 俺はアディーに頷いて見せた。ようやく谷屋1尉のことから航空祭の場に思考が戻ってきた。

 どんな時にもフライトに際しては気持ちの切り替えが肝心だ。事故に繋がるような隙は極力持たないようにしなければならない。特に今日のような、一般の人たちが多く集まっている場で行うフライトであればなおさらだ。

 自分の両頬を叩いて気持ちを引き締めると、谷屋1尉から預かった土産と封筒が入ったヘルメットバッグを手に取った。


 アディーと連れ立って空輸ターミナルを出る。未だに混雑している駐機場を避けて建物裏の道を通り、気象隊と飛行場勤務隊が入る建物へと向かった。

 飛行計画室に置いておいたヘルメットを取り、気象隊でもう一度予報に変更がないかをチェックしてから飛勤隊に顔を出して一声かける。


「今から出ますんで、よろしくお願いします」

「了解しました! どうぞお気をつけて」


 窓口にいた隊員が「百里のF-15の方、出まーす!」と外来機支援班の整備員たちに知らせる声を背中に受けながら、再びげっそりするような雑踏の中に分け入っていく。

 イベントの華であるブルーインパルスの展示飛行が終わったとはいえ、この後帰投する外来機の離陸までを目に収めようと留まっている観客もまだ多いのだろう。


 立ち入り禁止のロープをくぐってF-15の元に向かう。

 外来機の中で一番に帰投することを考え併せて、機体はタクシーアウトしやすいように展示機の列からは少し奥まったところに駐機されていた。

 見学エリアの最前列付近を占めているマニアが俺たちの姿を見つけ、一斉にカメラを向けてくる。

 観客の視線の中で乗り込む前の外部点検を行い、支援班の整備員と通常どおりのやり取りをしつつ、俺はいつもよりもちょっとだけ姿勢よく胸を張ってみる。


 コクピットに掛けてある梯子を登り、既に積み込んであった私物の入ったスポーツバッグと一緒に、土産の詰まったヘルメットバッグも電子機器室にしまった。そうしてから自分の体をコクピットに滑り込ませ、ハーネスで体を固定しヘルメットとマスクを装着する。それまで聞こえていた駐機場のざわめきは一気に遠ざかった。


 イヤーマフを付けて前方に立つ整備員とインターコム経由で言葉を交わしつつ、ハンドサインも示しながらエンジンの起動に入る。

 やがてF-15特有の甲高いエンジン音が響き始めると、見物人は更に増え始めた。手に手にカメラやビデオを掲げて、機体各所の作動点検の様子を映像に収めている。


 先に上がるアディーが管制塔を呼び出す声が無線を通じて耳元に聞こえてきた。


『入間グラウンド、エンジョイ15。地上滑走許可願う』

『エンジョイ15、使用滑走路35。地上滑走許可する』

『滑走路35。地上滑走許可、了解』


 タイヤ止めが外され、アディーの機体がゆっくりと動き出した。

 駐機場にすし詰めの観衆のあちこちから手が振られる。幾つもの長い望遠レンズがF-15の動きを同じように追っている。


 アディーに続き、エンジョイ16のコールサインで管制塔にコンタクトし地上滑走許可を得た俺も、整備員にチョークアウトを指示した。爪先で強く踏みこんでいたラダーペダルから力を抜き、ブレーキを緩める。

 掲げた片腕を左右に動かし、横に伸ばしたもう片方の腕で機首を振る方向を示す整備員の指示に従い機体を進める。最後に姿勢を正してこちらに敬礼を向け見送る整備員たちに答礼すると、俺は観客に向かって手を振った。


 谷屋1尉もこの観衆に混じって見てくれているかな――そんなことがちらりと頭をよぎったが、非番でなければ彼女は今もまた防空指令所(DC)の管制室に籠っているのだろうと思い返した。


 既に滑走路上で離陸前の最終チェックを終えたアディーがその旨を管制塔に告げている。


『入間タワー、エンジョイ15。離陸準備完了。ハイレートクライムでの離陸及び滑走路上空での360度旋回とローパス1回をリクエスト』


 すぐさま管制官の歯切れのいいボイスが応える。


『エンジョイ15、リクエストを了承。風は静穏。離陸許可する』

『離陸許可、了解』


 誘導路を進む俺と入れ違いに、アディーの乗ったF-15は尾部についた2基の排気ノズルから青白い炎を吹き出して滑走路を疾走してゆく。熱風が生み出す陽炎に滑走路奥の景色が滲む。


 機体が浮き上がりきゃくが格納されると、流れるような動きで機首が大きく引き上げられた。いつもながら、アディーらしい滑らかな離陸だ。陽の光を受けてキャノピーがキラリ、キラリと輝く。

 艶のない灰色の広い背を見せて数秒で快晴の空高くまで駆けのぼると、アディーは機体を捻るようにして急旋回に入った。


 洋上の訓練空域で行う機動と比べると遥かに緩い動きだが、滑走路の端にスタンバイし、コクピットの中で離陸を待つ俺の体にも頭上で焚かれるアフターバーナーの轟きと振動がはっきりと伝わってきた。

 アディーは1周回済ませると姿勢を戻して飛行場の南側から会場上空に進入し、低速で翼を大きく左右に振りながら北の方角へと抜けていった。この後はそのまま百里へと戻るのだ。


 続いて俺にも管制塔から離陸許可が出された。先発機と同様の機動を行うことになっていた。ブレーキを解き、体に弱い圧迫を感じながら加速する。視界の端を風景が高速で流れ去ってゆく。路面の凹凸を拾う3箇所の脚から伝わってくる、突き上げるような振動がふっと消えた。目の前にまっすぐに続く滑走路が次第に下方へ遠ざかってゆく。脚をしまい、操縦桿をさらに手前に引いて一直線に空へと向かう。


 視界の左下に見えていた格納庫や管制塔などの施設の姿は今やすっかり小さくなっていた。上昇を抑えるために翼を傾けると、基地の周辺一帯にびっしりと建ち並ぶ住宅地が俯瞰できた。滑走路の北側を蛇行して流れる入間川が太陽の光を反射して鈍く輝いている。


 そのまま90度に近いバンクを取り轟音を響かせながら、右旋回で上空をひと回りする機動に入る。本気ではないとはいえ、体にかかるGはそれなりにきつい。腹筋を使い息を詰めて呼吸しつつ、横目で視界の右下を確認する。眼下の地上には、整然と並べられた多種多様な航空機の姿と駐機場を黒々と埋める観衆の様子が見えていた。


 旋回を終えて水平飛行に移ると操縦桿を左右に倒してゆるゆると翼を振り、観衆に向かってF-15からの挨拶をしつつ、管制塔に無線を入れた。


『入間タワー、エンジョイ16。ミッション終了、帰投する』

『エンジョイ16、入間タワー。右旋回で進路010を取り高度2000フィートまで上昇、指示があるまで高度を維持。横田デパーチャーとコンタクトせよ』


 指示を復唱した後に『良い一日をグッディ』と挨拶を交わし、入間の管制を離れた。この後は横田基地の米軍が管轄する管制区域に入る。当然ながら管制官も見事な巻き舌のアメリカ人だ。

 英語が苦手な俺は、早口で告げられる無線周波数の数字を復唱する際に困らないよう片手で手早くメモの準備をしつつ、間もなくやり取りすることになるネイティブ英語に心構えをする。


 以前、まだ3尉だった頃に「横田基地アプローチ体験」と称する訓練があり、連絡機として使っているT-4に乗ってこの空域を訪れたことがあった。

 外国語に疎い日本人に対する手加減や配慮のかけらもなく当然のようにまくし立てられる英語に、俺は泡を食ってめちゃくちゃな数字を復唱し、後席に乗っていた飛行班長に呆れられたものだった。


 その時に比べると、今日は緊張度合いが低い気がする。と言っても、自分の語学力が上がったなんてことはまったくない。単に気分的な理由だ。入間での大収穫――谷屋1尉と顔見知りになれたことを考えると、それだけで心が浮き立った。「ネイティブ英語でも何でも来い!」という、どんと構えた気分になる。


 結局、俺は根拠のない自信を漲らせて横田のアメリカ人管制官との交信を乗り切ると、百里までの約40分間のフライトを上機嫌で終えた。

 休日が丸一日潰れたが、思ってもみなかった特典がついてきた入間基地航空祭の支援任務は、百里基地への着陸と同時に無事完了となった。


 ――そして翌日。

 谷屋1尉から土産と共に渡された妙にキッチュで斬新な要撃管制官紹介シートは、予想どおり305の飛行班員たちから大爆笑で迎えられ、DCとの直通電話の前にしっかりと貼りつけられたのだった。




(第3章 了)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ