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入間基地航空祭(3)

 声をかけてきたその女性は下にスラックスを合わせた制服姿で、手に紙袋と茶封筒を持っていた。見覚えはない人だ。


 俺は反射的に相手の上着の襟元と肩口に目をやって階級を確認した。完全階級社会に身を置く自衛官のさがだ。

 襟元に階級章はなく、肩章に銀色の棒が1本と桜が3つ付いていた。1尉だ。つまり俺たちより階級はひとつ上になる。


 彼女はリノリウム張りの床に短靴のヒールの音をコツコツと響かせて足早に近づいてくると、軽く一礼して微笑みを浮かべた。自衛官らしく髪は後ろできっちりまとめられている。切れ長の目元は涼しげで、きつい印象はない。


「防空管制隊の谷屋たにや1尉と申します。お食事中に突然すみません」


 待合ソファーに腰かけて膝に食べかけの弁当を乗せたまま、俺たちはいきなりのことにただ驚いて目の前の女性幹部自衛官を見上げていた。


 でも――会ったことはないはずなのに、何かが引っかかった。


 ……どこかで聞いたことのある声だ。はっきりとして、少し低めで落ち着いていて、頭にすんなり入ってくる――。


「……あっ」


 俺とアディーは同時に声を上げていた。


「ターニャ――ターニャさん? 要撃管制官コントローラーの」


 とっさに弁当を横の座席に置くと、アディーも俺も慌てて立ち上がった。

 突然始まった初対面の者同士のわさわさとしたやりとりに、陸自や海自の搭乗員たちが何事かとこちらを窺っている。


 谷屋1尉はその真っ直ぐな眼差しを俺に向けると、確信のこもった声で言った。


「その声はイナゾーさんですね?」

「はい、稲津2尉です! いつもお世話になってます!」


 上ずった調子で体育会系の挨拶をした俺の横で、アディーが彼女にスマートな笑みを見せる。


「村上2尉です。初めまして」

「初めまして――アディーさんですね?」


 谷屋1尉は改めて俺とアディーを順に見て、「お二人とも、イメージしていたとおりです」と言ってまた笑顔になった。


 あまり意識したことはなかったが、日々二人三脚で訓練や任務にあたっていると言ってもいい中部航空方面隊の防空指令所(DC)は、この入間基地に所在しているのだ。


 いつもボイスのやり取りをしている相手に何か気の利いたセリフが言えないものかと、頭をフル回転させて考える。「いつも支援してくれてありがとうございます」ではありきたりだし、「あなたの誘導、とてもいいです」ではさすがにちょっとどうかと思う。


 あれこれ考えあぐねている俺の横で、アディーがまるで世間話でもするような気負いのなさで彼女に話しかける。


「ターニャさんのコントロールだと、すごくフライトしやすいんです。戦況の全体的なイメージがすっと頭に入ってくる感じで。うちの隊では幸運の女神と呼んでいるくらいなんですよ」


 ああ、くそー! アディーの奴、さらりとうまいセリフ吐きやがって!


 こういう場面に慣れていない俺は、結局隣でうんうんと頷くことしかできない。


「いえ、そんな。いつも反省することばかりで。まだまだです」


 彼女は謙虚に答えると、今度は俺に目を向けた。


「イナゾーさんは、この間……」


 言葉を切った彼女がGロック墜落未遂のことを言っているのだとすぐに分かった。俺は思わず姿勢を正して頭を下げた。


「いやぁ……その節はどうもお騒がせしました」

「管制を担当していたバレルはあの後しばらく震えていました。墜落間違いなしと思ったそうです」

「いや本当にすみません……何とか無事生還できました」

「本当にご無事で何よりでした」


 彼女は深く頷くようにしてしみじみとそう言ってから、またしっかりと俺の目を捉える。てらいのない澄んだ眼差しに、我知らずどぎまぎしてしまう。


 彼女はふと手元の封筒に注意を向けた。


「せっかく百里からいらっしゃっているので、今日はこれをお渡ししたいと思いまして」


 そう言って、手にしていたA4サイズの薄い茶封筒を差し出す。


 封が綴じられていなかったので、断りを入れて中の書類を引き出してみた。パウチされたコピー用紙2枚に、何やらカラフルに印刷してある。


 『入間DC 要撃管制官の紹介』とパステルカラーの大見出しで書かれたタイトルの下に、顔写真と名前、管制官ごとの呼び名が丸っこい書体で印字され、趣味が簡単に付け加えられていた。

 顔写真は乙女チックな花柄模様のフレームで仰々しく縁取られている。どこかの安いキャバクラのホステス紹介看板みたいだ。引き攣った無理やりな笑顔を作っている中年の男性管制官たちの写真にこの装飾は毒がありすぎる。


 これを見た305のパイロットたちが腹を抱えて爆笑する様子がありありと目に浮かんだ。訓練中にボイスを聞いた途端、吹き出してしまうかもしれない。

 横から覗きこんでいるアディーも笑いを堪えている。


 手にしたシートに目が釘付けになったまま、俺はつい訊いてしまった。


「これ……ターニャさんが作られたんですか?」

「いえ、レーダー監視員の若い子が」


 彼女も苦笑している。


「上司は作り直すように言ったらしいんですけど、その子は『暗い部屋に一日中籠っているモグラのような警戒管制のイメージを一新しましょう!』って粘ったらしくて」


 うん、確かに一新できそうだ……。


 もう1枚を見てみると、隅の方に「バレル」の文字を見つけた。新人らしく若い見た目だった。肉付きのいい顔で二カッと笑っている。きっと体格もバレルのようなのだろう。小花のフレームが恐ろしくミスマッチだ。


 そして谷屋1尉もそこに載っていた。彼女なら花に囲われていても文句なく許せる。


 ――谷屋みずき。ターニャ。1尉。趣味、ツーリング。


「ツーリング……バイクに乗られるんですか?」


 目の前に立つ色白の和風美人の印象からは意外な気がして、俺は思わず顔を上げてそう訊ねた。

 彼女は少し照れたように微笑んで頷いた。


「はい。でもツーリングって偉そうに書いていますけど、実はまだ一度しか行ったことがないんです。バイクの免許を取ってから、何だかんだ仕事が忙しくなってしまって」

「どんなバイクに?」

「ヤマハのSRX400です――イナゾーさんもお好きなんですか?」

「あっ……はい。自分はカワサキのゼファー1100です」

「ずいぶん大きいのをお持ちなんですね!」


 バイクの会話になったところに、アディーがさり気なく口を挟んできた。


「今度ツーリングに行かれる時はぜひ声をかけてやってくださいよ。稲津2尉はバイクのことは詳しいですし、何かのときには色々と役に立つと思いますから」


 お前、何を勝手に人のこと売り込んでるんだよ!――俺は慌ててアディーを振り返り、目で無言の抗議を送った。アディーは「何か余計なことしたか?」というようにとぼけた顔でしれっと俺に笑いかける。

 そんな俺たちを見て、彼女はまた笑顔を濃くした。


「それは心強いです。じゃあ、ぜひ今度ご一緒に」


 そう言うと、彼女は手に持っていた紙袋を差し出した。


「これ、よろしければ皆さんで召し上がってください――ありきたりのもので何ですが」


 俺たちは恐縮しながら頂戴した。


「それじゃあ、私はこれで失礼します。お食事中にお邪魔しました。帰りの道中もどうぞお気をつけて」

「わざわざどうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします」


 3人それぞれに頭を下げて挨拶すると、谷屋1尉は穏やかな笑みを残して待合室を出ていった。


「――これで次はDC直通ラインでツーリングの具体的な日程調整だな」


 帰ってゆく彼女の後ろ姿を見送りながら当然のようにそう言うアディーに、俺はムキになって改めて抗議した。


「さっきから何勝手なこと言ってんだよ。それに、仕事中にそんな話できるかよ」

「何ならこれからの話の進め方、アドバイスしようか?」

「だからいいって!」


 楽しそうにしているアディーを睨んでから、受け取った紙の手提げ袋を覗いてみた。中には入間基地限定販売の黒糖まんじゅうやら瓦煎餅やらサブレやら、色々な種類の菓子折りが入っていた。


「こんなにたくさん、気を遣わせたなぁ。ヘルメットバッグに入るかな?」


 見学客の前で土産が入っていると明らかに分かる大きな紙袋をぶら下げて歩くのも憚られる。とにかくこんなイベントの日は一挙一動を注目されるのだ。


「俺とお前のに分けて入れれば大丈夫じゃないか?」


 アディーがそう言ったので土産の箱を分けて封筒と一緒にバッグに詰めながら、頭の中ではついつい谷屋1尉の姿を思い浮かべてしまう。


「でもなんか……カッコよかったな」


 思わずぽろりと漏らしてしまった言葉に、アディーがすかさず食いつく。


「おっ、イナゾー君、惚れましたか」

「アディーちゃん、俺は君みたいに惚れっぽくないから」


 じろりと一瞥をくれ、再びソファーに腰を下ろすと食事に戻った。食べかけだった弁当をつつきながらも、どうにも落ち着かない気分だ。


「彼女、一般大出身かな? あの感じはやっぱり防大かな?」

「防大にしてはソフトな気がするし、一般大にしては硬派な感じだね。部内出身ではなさそうだし」

「どっちにしろ、高卒の俺たちなんて相手にならないだろうけどなぁ」

「あれ? やっぱり相手にしてほしかったんだ、イナゾー君?」

「だから違うって、アディーちゃん」


 アディーは「ほんと分かりやすすぎるよなぁ、お前は」と言ってクスクスと笑っている。口に料理を運んでもまだニヤニヤとしたままだ。

 俺はむっつりとアディーを睨んでやった。


 観客で黒く埋め尽くされている駐機場の奥では、CH-47が空中消火のデモンストレーションを始めていた。明るい迷彩柄の3機の大型ヘリが一列に並んで飛行場に進入してくる。それぞれの腹の下には、水ではち切れそうなほど膨らんだオレンジ色の大きなバケットを吊り下げていた。


 建物内にいても、前後のローターブレードの重々しく力強い回転音が腹の底に響いてくる。車両も積み込める大きな機体と何トンもの水を空中に浮かせて運ぶことのできるパワーだ。ターミナルの窓ガラスが振動で激しくガタガタと揺れ始めた。


 飛行場の中央付近でバケットの底が解放される。一気に放出される大量の水とともに盛大な水煙が上がり、陽の光を受けて虹がかかった。


 CH-47の雄姿に目を当てながらも、俺は谷屋1尉のことを思い返していた――凛として綺麗な女性ひとだったと改めて思う。


 あんな人と一緒にツーリングに行けたらどんなにいいだろうなぁ……。一緒にバイクで走って、途中の道の駅で休憩がてら食事でもして……。


 ついつい妄想が膨らんでしまう。

 航空祭の支援にアサインされた時は、代休がもらえるかどうかもかなり怪しいのに休日を潰されて割に合わない思いだったが、今となってみれば休日返上で来た甲斐があったというものだ。かなりの役得だった。


 でもきっと彼氏くらいいるよなぁ……いやでも、お愛想でも「ツーリング一緒に」って言ってたから、もしかしたら付き合っている男はまだいないのかも……いやぁ、やっぱりあんな美人なんだから、男ばっかりの職場にいて彼氏がいないなんてこと、ないよなぁ……。


 弁当を残さず食べ終えたアディーが立ち上がった。飲み干したペットボトルと空箱をまとめながら、ぼんやりと窓の外を眺めている俺の様子にまた含み笑いを浮かべる。


「帰る時、浮かれて制限高度越したりとか、管制指示違反しないように注意しろよ。後で大目玉食らうぞ」

「うん――気をつける」


 俺は外を見たまま素直に頷いた。もぐもぐと何かのおかずを噛みながら、確かに上の空かもしれないと自分でも思う。


 帰投時刻まであと2時間ほどだ。





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