入間基地航空祭(2)
「……な、何だこりゃ……」
建物を出た途端、俺は思わず立ち竦んで絶句した。
同期のいる第2輸送航空隊とヘリコプター空輸隊を訪れてひとしきり互いの近況などの話をした後、外来機搭乗員の待機場所となっている空輸ターミナルに向かうために何気なくドアを開けると――目の前の駐機場は人であふれかえっていた。
長い望遠レンズをつけたカメラと脚立を担いだマニア、友達同士、カップル、家族連れ、自衛隊OBらしきご老人等々……どこもかしこも人、人、人だ。
「相変わらず大盛況だね、入間の航空祭は」
俺に続いて出てきたアディーも辺りを見渡して感心したように言った。
航空祭が始まってからまだ2時間ちょっとしか経っていないはずだ。それなのに目を疑うほどの人の群れが駐機場を埋めつくしていた。ちょっとの距離さえ真っ直ぐに進めないほどだ。
研修や訓練で何度か入間に来たことはあったが、航空祭当日に居合わせるのは初めてだった。話には聞いていたが、さすが首都圏にある基地の航空祭は人出が違う。例年20万人以上の観客数らしい。だいぶ人が多いと感じる百里の航空祭でさえ7万人前後の入りだ。入間はその倍を軽く超える。
北海道の田舎育ちで「陸の孤島」勤務の俺は、殺人的な雑踏を見ているだけで人の波に酔いそうになってきた。
「アディー……早いとこターミナルに引っ込もう。こんな混雑の中をいつまでもウロウロしてたら酸欠になりそうだ……」
神奈川出身で都会ボーイのアディーは大して苦にもしていない様子だったが、俺がげっそりしながらそう言うと、苦笑しつつ頷いた。
できる限り駐機場の端を通り人の間を縫うようにして、少し先に見える空輸ターミナルに向かう。
フライトスーツを着ている俺たちの姿を目にしたマニアが、部隊識別帽と右胸の梅のワッペンを目ざとく確認して「おっ」という顔になるのが見えた。もし彼らに呼び止められたりしたら、写真を撮られたり握手をしたり、やたらとディープな質問を向けられたりと、大袈裟なことになるだろう。自分の所属基地なら別に構わないが、そんな風に他所の部隊の人間が主催基地の航空祭で悪目立ちするのは気が引けるので、そそくさと足早に先を急いだ。
「入間ターミナル」と平屋根の部分に一文字ずつの看板が掲げられた建物に逃げ込むように入る。ターミナルと言っても民間空港のように意匠に凝った建築物ではない。自衛隊仕様の、必要最低限でデザイン性も何もないぶっきらぼうな箱型の建物だ。
その2階が待合室だった。広々とした部屋の中では既に他の外来機搭乗員たちが思い思いに寛いでいる。同じフライトスーツ姿だが、空自隊員だけでなく、陸自機や海自機のクルーも多かった。
今日の飛行展示は基地所在部隊の航空機がメインとなるので、俺たちも含めここにいる人間は航空祭終了間際の帰投時間になるまで手持ち無沙汰だ。
搭乗員たちは窓辺に立って外の様子を興味深そうに見下ろしていたり、部屋に並ぶ待合ソファーに腰かけて居眠りをしていたり、同じ部隊の者同士で雑談に興じていたりと、とにかく皆これから半日続く暇な時間をどうにかやり過ごそうとしていた。
時計を見ると11時を過ぎるところだった。俺はアディーに声をかけた。
「なあ、ちょっと早いけどもう昼飯にしないか? 2時過ぎには出ていくことになるし」
俺とアディーは帰投の際に少しだけ機動飛行をする予定になっていた。Gもかけるので、胃に食べ物がみっちり入っている状態ではあまりやりたくない。
アディーも壁の時計に目をやりながら頷いた。
「そうだね。時間もたっぷりあるこんな時くらいしかゆっくり噛みしめて食べる機会もないもんな」
俺たちは長机の上に積まれた紅白の熨斗付き弁当とペットボトルのお茶を取ってきて、部屋の一角の席を占めた。
外では第2輸送航空隊のC-1中型輸送機が飛行展示を行っている真っ最中だった。
迷彩色に塗られ、背中についた後退翼とT字型の尾翼の形が特徴的な輸送機が6機も翼を並べて編隊を組んでいる。重く籠ったようなエンジン音を響かせながら飛ぶ様は、F-15とはまた違った堂々の存在感だ。
編隊はそのままいったん通過すると、今度は1機ずつに分かれて会場上空に進入してきた。戦闘機のハイレートクライムばりの急角度で上昇したり、そのままコロンと背面になってしまうのではないかと心配になるほどのバンクを取って旋回したりと、機動性の良さをここぞとばかりにアピールしている。
C-1はそのずんぐりむっくりした体型からは意外に思うほど機敏に動けるのだ。普段荷物を積んでいる時はごくごく穏やかな飛行しかしないので、こうして本領発揮して飛びまわっている姿を目の当たりにするとなかなか迫力がある。
幕の内弁当をつつきながらC-1の機動飛行を見るとはなしに見ていると、高度を取って現れた機体から、黒い点がぽろぽろと順序良くこぼれるように落ちてきた。やがてそのひとつひとつの点の上に黄泥色のパラシュートが開く。陸上自衛隊第1空挺団の降下展示だ。
見事に等間隔で開いたパラシュートの列を眺めながら、俺は思わず怖気立って唸った。
「習志野を思い出すよなぁ……! よく飛んでる飛行機から飛び出せると思うよ」
操縦課程に入る前の飛行準備課程では、航空機からの緊急脱出に備えて、千葉県にある陸上自衛隊の習志野駐屯地でパラシュート降下訓練を受けるのだ。
駐屯地の中には、芝生が敷き詰められただだっ広い訓練場の真ん中に鉄塔がそびえたっている。赤白に塗り分けられ、頂上部に4本の支柱が張り出した姿の巨大イソギンチャクのような構造物が「降下訓練塔」だった。ビルにすると20階くらいの高さがあったように思う。
開傘した形で置かれたパラシュートに体を繋ぎ、遥か頭上高くにある支柱の先端から垂れ下がったワイヤでまずはゆっくり吊り上げられてゆく。ぶらぶらと頼りなく揺れる足の下の地面は次第に遠ざかってゆき、順番を待ちながら不安そうにこちらを見上げる同じコースの同期たちと、ハンドマイクを手にした空挺教育隊の陸曹の姿が豆粒のように小さくなる。恐る恐る顔を上げれば、山並みひとつない関東平野を埋める市街地がずっと遠くまで見渡せた――窓ガラスも壁もフェンスも一切ない状況で、風に体を直に弄られながら、だ。
『降下用意!』とベテラン陸曹が下からハンドマイクでがなり立てるや否や、ガチャン!と頭上で音がしていきなり体が落下し始めた。心の準備も何もあったもんじゃない。もう、その後は着地の態勢を取るのに無我夢中だった。
――とにもかくにも、パラシュートがあるとはいえあんな高さから体ひとつで落とされるのは、それはもう恐ろしい体験だったことに変わりはない。
空挺の隊員たちは、その降下訓練塔の4倍近くもある高度を新幹線並みの速さで飛んでいる航空機から飛び降りるのだ。俺からしてみたら超人技以外の何物でもない。
今、窓ガラスの向こうでは、そんな超人たちが次から次へと入間飛行場の滑走路上に着地していた。
白身魚のフライを頬張りながらその光景を眺めつつ、「あの降下訓練は2度とやりたくないよな」とアディーに言うと、弁当の煮物を箸でつかもうとしていたアディーは笑みを浮かべながら横目で俺を軽く睨んだ。
「お前はそれでもまだマシだっただろう? 俺なんか学生長だからって初っ端に吊るされる羽目になったんだぞ。教官の陸曹に『1番にやるよな、学生長? 戦闘機パイロットになるんだろ? 怖いとか嫌だとか、グダグダ渋ったりしてみっともない真似しないよなぁ?』なんて言われたら、もう『はい、やります』としか答えようがなかったからな。お前ら同期もみんな薄情な目を俺に向けてきたし」
恨みがましくそう言われれば、確かにそうだった。
地面に置かれた訓練用パラシュートの脇に立った陸曹から『さあ、誰からやるんか?』と薄笑いを浮かべて問われた時、俺たちは皆一斉に、当時学生長だったアディー――村上候補生を見たのだった。誰もが無言だったが、心の中は皆同じ――『村上、頼む! お前が1番にやったら俺たちも続くから!』――と、必死に目で訴えていたのだった。
確かに、何でも最初は嫌だよな。怖いことなら特に。
俺は首を竦めてアディーに愛想笑いをしておいた。
何を思い出したのか、アディーがぷっと噴き出した。
「比江島なんてさ、跳び出し訓練の時に怖がっていつまでもぐずぐずしてたら、後ろから思いっきり陸曹に蹴り落とされてたよな」
降下訓練とはまた別に、習志野では跳び出し訓練というのもやるのだ。人間が最も怖さを感じるという11メートルの高さから外に身を投げる訓練だ。
今でこそ極限状態の中で救難ヘリを飛ばして人命救助に向かっている比江島も、あの頃は同期で1、2を争うほどのビビリだったのだ。
弁当を食べながら落下傘降下展示をのんびりと眺めつつ昔話に笑っていると――突然、横の方から声をかけられた。
「あの……すみません、305の方ですよね?」
女性の声に、俺は慌てて口の中のものを飲み込んだ。
振り向くと、俺たちから少し離れたところに制服姿のすらりとした女性自衛官がひとり立っていた。