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入間基地航空祭(1)

 カーン、カーン、カーン、カーン……。


 踏切の遮断機が下りることを知らせる警報音がすぐ近くでまた鳴り始めた。少しすると電車が通過する騒々しい音がそれに重なる。


 6時の起床ラッパはついさっき鳴ったばかりだ。それなのにこのけたたましい警報音はもう1時間も前から5分おきに鳴り響いて、俺の安眠を妨害している。これだから入間いるまの外来宿舎はかなわない。


 ――11月第1週目の祝日、文化の日。


 埼玉県にある入間基地では、例年この日に航空祭が行われる。その支援のために、俺とアディーは航空祭前日の昨日からここ入間基地を訪れていた。


 昨日の夜も終電が過ぎる0時過ぎまでこの忌々しい警報音に煩わされた。基地の中には西武池袋線が走っていて、最寄りの稲荷山公園駅は基地の敷地内に食い込んでいる。そして、俺たちのように他基地から訪れた隊員が泊まる外来宿舎<入間INN>は、この線路に近いところに建てられていた。日頃、畑と森に囲まれた静かな場所で安眠を約束されている身には、なかなか辛い環境だ。


 その上、夜明け前からは部屋の窓際に設置されているスチーム暖房機が「カン、カン、カン」と金属同士を打ちつけるような、これまた耳障りな音を立てて動き始めた。それでも何とか睡眠時間をキープしようと、どの基地に行っても同じ仕様のベッドの上で薄茶色の毛布を頭まで被ってしつこく粘っていた。それなのに、踏切と暖房機の音に加えて今度はアディーまでもが俺の眠りを邪魔しに来た。


「イナゾー、そろそろ起きたほうがいいんじゃないか? 喫食申請を出してるんだから、朝食を食べに行かないと」


 毛布の上から容赦なく揺り起こされ、俺はとうとう諦めてむっくりと起き上がった。まだ猛烈に眠い。練成訓練の気がかりが無い時くらいは心置きなく寝ていたいところだが、今日は一応仕事で来ているのだ。いつまでも惰眠を貪っている訳にもいかない。


 隣のベッドは既にきちんと整えられていて、アディーはその上で洗面用具や手荷物などを片付け始めていた。


 俺は渋々ベッドから出ると、寝ぼけまなこのまま洗面所で洗顔を済ませ、ジャージを脱いでフライトスーツに着替えた。食堂に向かうためにアディーと連れだって外来宿舎を出る。


 冷え込みの強い朝だった。パイロットジャンパーを着ていて良かったと思えるくらいの気温だ。宿舎前のロータリーに植えられている桜の木々には黄色い葉が混じり始めている。その葉の間から透けて見える空は、航空祭には絶好の快晴だった。

 早朝のひんやりとした空気に、寝不足でぼんやりとしていた頭がようやく覚めてくる。


 入間INNに面して駐機場地区へと真っ直ぐに続く大通りには、「祝 航空祭 歓迎 入間基地」という横断幕が掲げられていた。8時半の開門時刻まではまだ2時間弱あった。航空祭が始まれば黒山の人だかりになるだろうこの大通りも今はひっそりとして、出勤してくる隊員が車や自転車で通り過ぎてゆくだけだ。


 それでも、一年のうちで最大のイベントの開始を前に、基地全体が何となく浮き立っているように感じる。基地の外柵の向こうでは、熱心な見物客たちがこの早い時間からもうスタンバイして今か今かと開門を待っているのだろう。


 大通りを渡り、外来宿舎からほど近い食堂で簡単な朝飯をかきこむと、すぐに部屋に戻って私物の荷物やフライトに使う細かい備品をまとめ、宿舎をチェックアウトした。そのまま飛行場地区に向かう。


 この入間基地には、第2輸送航空隊、飛行点検隊、航空総隊司令部支援飛行隊、入間ヘリコプター空輸隊という、4つの航空部隊が同居している。輸送や支援を主任務とする部隊群だ。戦闘機は配備されていない。


 もっとも、電車1本で40分程度しかかからず都心に出られるこの住宅過密地域の上をアフターバーナーを全開にした戦闘機が日夜飛びまわっていたら、それはもう大変な騒ぎになることだろう。

 日頃騒音をまき散らして飛んでいる当事者の俺でさえ、あの空気を引き裂く轟音には辟易することがある。平日の日中、アラート明けでふらふらと独身幹部宿舎(BOQ)に戻ってきていざ寝ようとする時にF-15やF-4が爆音とともに上空を飛んでいたりすると、「うるせー!」と空に向かって怒鳴りたくなるくらいなのだから。


 大通りに沿って200メートルほど歩くと、そこがもう駐機場だ。目の前に広々と開けた敷地の滑走路側には、既に多種多様な航空機が機首を揃えて整然と駐機されていた。


 航空自衛隊の花形の存在であるブルーインパルスを中央にして、所在部隊の輸送機、支援機、ヘリコプターをメインに、陸自の多用途ヘリや攻撃ヘリ、海自の対潜哨戒機などの航空機も含め、広大な駐機場の端から端までずらりと一列に並べてある。俺とアディーが持ってきたF-15もその列の端の方に展示されていた。


 もう観客を迎える準備はほぼ整えられているのだろう。今はまだ静まり返っている駐機場には、作業服を着た隊員たちが航空機の説明を書いた看板や立ち入り禁止区域のロープを確認をする姿がちらほら見えるだけだった。


 俺とアディーは規制用のロープをくぐってキャノピーが開かれている自分の機体の元に向かった。コクピットに掛けられている梯子を登り、私物を入れたスポーツバッグを座席後部の電子機器室にしまうと、駐機場の中央付近にある飛行場勤務隊と気象隊の入る建物に向かった。帰投時の飛行計画を作るためだ。


 建物の中の一室が飛行計画室になっていた。そこには、他基地から訪れた搭乗員がくつろげるようにソファーとローテーブルが置かれている。壁際には入間飛行場を離陸する際の管制上の注意点などが細かく書かれたパネルが掲げられ、全国の飛行場の必要情報や設備の諸元が事細かく記された用紙が綴じ込まれた何冊もの分厚いファイルも準備されていた。


 俺は部屋に備え付けの書類ケースから飛行計画書を2枚取り出すと、1枚をアディーに渡した。

 記入のためのデスクに向かって、コールサイン、飛行方式、航空機の型式、出発飛行場など、薄紙の2枚複写になっている飛行計画書の中の項目を埋めてゆく。


 ……あれ?


 俺はいったん手を止めた。


移動開始時刻(EOBT)って、1430(ひとよんさんまる)でいいんだよな?」


 隣で同じく書類に書き込んでいるアディーに訊いてみる。

 EOBT――つまり駐機していた場所から航空機が滑走路に向かうための移動を始める時刻だ。確か事前の調整では14時半だったはずだ。


 アディーは鉛筆を走らせたまま「ああ」と頷いた。

 俺は頭の中で逆算した。飛行計画書には日本標準時ではなく協定世界時で記入することになっている。


「えーと、じゃあ9時間差だから……0530ゼロファイブスリーゼロって書けばいいんだよな?」

「そう」


 アディーが顔を上げ、「何を今更そんなことを」と言いたそうな呆れた表情で俺を見る。

 他基地に出かけていったり変則的なミッションでない限り書く機会のない書類なので、ついまごついてしまうのだ――まあ、俺だけかもしれないが。


 それでも後の項目は問題なく書き上げると、計画書を持って今度は気象隊を訪れた。カウンター越しに、ベテランの予報官から今日の天気の推移状況についてブリーフィングを受ける。

 入間も百里も一日をとおして概ね快晴――説明のために提示された天気図や衛星写真を見ても、気がかりになる要素は何も見当たらなかった。天気に関して余計な心配は必要なさそうだ。


「今日は統計的には快晴の日が多い、天気の特異日なんですよ」


 人当たりの柔らかそうな担当予報官は、航空祭当日に終日快晴の予報が出せることに喜びを感じているようで、満足そうな笑顔でそう言ってブリーフィングを締めくくった。


 最後に気象隊の向かいにある飛行場勤務隊に顔を出す。


 窓口を覗くと、すぐに飛行管理班の隊員が現れてにこやかに挨拶をよこした。

 俺たちは挨拶を返しながら、書き上げた飛行計画書を差し出した。


「ちょっと早いですけど、後でまた気象ウェザーを確認して変更がなければこのままいきますので」


 俺がそう告げると、飛行管理員の若い2曹は「了解しました」と快活に応じ、その場で書類に誤記や齟齬がないかの確認を始めた。


 窓口の向こうでは、他の飛行管理員たちがそれぞれ情報端末に向かって別の航空機の飛行計画書の内容を入力していた。パソコン画面横のボードに挟んだ計画書の文字を目でたどりながら、ディスプレイをいちいち確認することなく、驚異的なスピードでキーボードを叩いてローマ字略号ばかりのフライト情報を打ち込んでゆく。


 その傍らの壁には、305(うち)の飛行管理員である荒城2曹とモッちゃんが詰めているカウンターの中にも貼ってある標語、『正確・確実・迅速・臨機応変』と同じものが掲げられていた。


 目の前の2曹はその標語そのままに素早くきっちり記入内容を確かめると、「あ、ここだけ失礼します」と断って俺のスペルミスを1か所訂正した。そして「少々お待ちください」と言って、飛行承認のサインを受けるために飛行場当直幹部の元に俺とアディーの計画書を持っていった。


 承認を待つ間にも、飛行管理班にはあちこちから電話がかかってきていた。カウンター上に並んだ電話がそれぞれに違う呼び出し音を上げる度、班員たちがワンコールと置かずに受話器を取り上げて応対している。飛行場地区の一切の動向を掌握する飛行場勤務隊にとっては、今日は大忙しの一日になるのだろう。


 サインをもらって戻ってきた彼は、複写になった2枚の用紙のうちの1枚をきちんと畳んで俺とアディーに渡しながら、丁寧に説明を始めた。


「外来機の方の待機室は空輸ターミナルの2階になっています。ターミナルの場所は――」

「あ、大丈夫です。分かります」


 俺が説明の手間を取らせないようにと遮ると、彼は笑顔を見せて頷き、続けた。


「昼食用のお弁当と飲み物もそこにご用意しておきますので。今日は一日よろしくお願いします」

「こちらこそ。よろしくお願いします」


 これでとりあえず帰りのフライトの手続きは済んだ。後は帰投の時間になるまで時間を潰すだけだ。


 アディーが腕時計に目をやって言った。


「2輸空とヘリ空隊の方、早いうちに顔出しておく? 飛行展示が始まると向こうも忙しくなるだろうから」


 C-1輸送機を運用する第2輸送航空隊と、2基のローターを備える大型ヘリCH-47を持つヘリコプター空輸隊には航学の同期が1人ずつ配属されていた。せっかくの機会なので百里土産を持って久々に顔を見に行こうとアディーと話していたのだ。


 俺はアディーの言葉に頷いた。


「それに、見学客でごった返すようになったら移動するだけでも一苦労になりそうだしな。よし、今のうちに行っとくか」


 俺たちは土産が入ったヘルメットバッグを持って建物を出た。


 開門予定時刻の8時半を過ぎ、既に基地のゲートは開いたようだ。今はまだまばらだが一般客の姿が駐機場に現れはじめていた。




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