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引っかかる日(1)

 休み明けの月曜。晴天の日が多い10月の関東にしては珍しく、今日は朝からどんよりとした天気だった。


 窓の外を見ると、もうだいぶ視程が悪くなってきていた。いつもなら滑走路の遥か向こうにくっきりと見えるはずの筑波山の姿は、今はすっかりもやに隠されている。朝一番に行われた気象隊のウェザーブリーフィングでは、この後雲は更に増え続け、天気は次第に崩れていき、まとまった雨の予報も入っているということだった。こんな日はできれば飛びたくないものだ。


 時刻は昼の少し前、セカンドピリオドの開始時刻になっていた。


 低く垂れこめた雲と地面との間にいつにも増して激しく轟音を響き渡らせ、305のF-15が次々に離陸していた。

 オレンジ色のアフターバーナーを目一杯焚いて、滑走路端の辺りで一気に機首を引き上げる。機体の姿はすぐに空一面を覆う雲に隠され、くぐもったエンジン音だけが余韻のように長く辺りに残された。すぐさまそれを掻き消すように、後続機がはっきりとした硬質な轟きとともに上空を目指して滑走路を離れていく。


 今日、この後の俺のフライトは夜間飛行訓練ナイトに予定されていた。だが、こんな様子では夜まで天気が持つかどうか怪しいところだ。

 それでも一応準備は万全にしておきつつ、幾つかあてがわれていた付加業務を時間のある日中のうちに終わらせておこうと机に向かおうとした時だった。


「イナゾー、お前の練成訓練、サードにも入れとったから」


 バインダーをモッちゃんに渡していたハスキーが、俺の姿を目にすると大したこともない調子でそう言った。


「スケジュール、チェックしとけよ。それからよ、アディーにも言っとって」


 「分かりました」と平静な態度で応じながらも、俺は内心「ぐううっ……」と呻いて目を白黒させていた――できれば飛びたくないと思う日に限ってフライトが入る……。


 ハスキーから受け取った書類をチェックしながら、モッちゃんがスケジュールボード上のサードピリオドの欄に掲げられた名前を貼り替えている。「INZ」「ZIP」「MRC」と書かれたマグネットシートが、アサインされた機体番号とともに新たに付け加えられた。編隊長が俺、ウイングマン役の教官にジッパー、対抗機にマルコというメンバーだ。


 この突然のフライトの組み込みは、敢えて言うならハスキーの「しごき」だ――いや、一応「愛に満ちた」と頭に付け加えておこう――「愛に満ちたしごき」


 何かと騒動事が好きで落ち着かない先輩だが、ハスキーは訓練幹部として飛行班員たちの能力の底上げを図るべく、日々の訓練計画を練っている。

 2機編隊長練成訓練中の人間に対しては、突発的な事態にも臨機応変に対応できる能力を鍛えようという意図で突然こんなスケジュールの変更をしたりするのだ。俺と同じ訓練に取り組んでいるアディーも同様に、急にアサインされたのがその証拠だ。


 第1回目ファーストのフライトを終え、機動解析を仕上げてオペレーションルームに戻ってきたアディーを呼び止めると、俺はサードに組まれたことを教えてやった。


「やっぱり。こんな天気だし、何となくそう来そうな予感はしてたんだ」


 アディーはスケジュールボードを見上げて自分の編隊メンバーを確認しながら苦笑した。


 新たにフライトが入るとなると、一気に気忙しさが増し始める。

 俺はマルコとジッパーにフライトが入ったことを知らせてプリブリーフィングの開始時間を告げると、大急ぎでシラバスを開いて訓練計画を練り、それが終わると防空指令所(DC)に打ち合わせの電話を入れた。


 俺の編隊を担当する要撃管制官はまだ新人のようだった。まごつく相手にいつもより丁寧に訓練の流れを説明しなければならないので、普段より余計に時間がかかる。


 忙しい時に限って――電話口でついイライラしてしまう。


 ターニャだったらよかったのにな――内容の確認のために相手がたどたどしく復唱する声を聞きながら、ちらりとそんな考えがよぎる。

 顔を見たことはなく「ターニャ」というタックネームしか知らないが、落ち着いた低めのボイスの女性要撃管制官のことが思い浮かんだ。電話や無線で交わす彼女とのやり取りは毎回ストレスなくスムーズにできた。飛行班のパイロットの間でも彼女の誘導技術に対する評価は高い。彼女の受け持ちに当たればラッキーと思えるような、人気のコントローラーだった。


 でも、だからと言って「彼女に代わってくれ」と注文をつけるほど俺たちは不遜じゃない。俺だって新米の頃は、管制官に「おいおい、頼むよ。しっかりしてくれよ」と思われそうなことを散々やらかしてきた。誰にもそういう時期は必ずあるものだ。


 それに、航空機を運航するうえで、関係する部隊との良好な関係と互いの信頼感は何より大切だ。周りからのサポート無くしてはどんな優れた戦闘機もただの金属の塊だし、空を飛ぶことができなければ戦闘機乗りなんて他に大したことができるわけじゃない。多くの人間に支えられて初めて俺たちパイロットは航空機を飛ばすことができ、自分の特技を活かすことができるのだ。戦闘操縦者としてのプライドは持ちつつも、決して傲慢であってはならない。


 つい苛立ってしまった自分に対して自戒を込めた考えを巡らせながら、俺はフライト前のプリブリーフィングの場に急いだ。さっと窓の外に目をやり、改めて空の様子を確かめる。

 雲はますます厚く密になって空を覆い、辺りは暗さを増していた。今にも雨が降ってきそうだ。


 やっかいだな――訓練を終えて戻る頃には、視程は飛行訓練ができる基準値以下まで落ちているかもしれない。百里に下りられなくなり、目的地変更になる可能性もある。代替飛行場オルタネートに指定されている小松と松島の天気と進入方法をさらいなおしておいた方がいいだろうな……。


 もしもの場合も考えて、ブリーフィングに入る前に気象情報端末で小松基地と松島基地の天候を手早く確認し、小振りのファイルにスクラップしているそれぞれの飛行場の飛行情報に改めて手早く目を通して頭に入れると、マルコとジッパーが待つオペレーションルームの一角に急ぎ足で向かった。


 2人は既に席に着いている。

 黙って手元のファイルに目を落としているジッパーは相変わらず威圧感たっぷりだ。お調子者のマルコでさえジッパーの前では神妙にしている。


「本日の訓練計画についてのブリーフィングを実施します」


 卓に向かい、気象状況やオルタネートのことなどを頭の隅で反芻しつつそう口を切った途端、ジッパーにじろりと目を向けられた。


 しまった……しょぱなからやらかしてしまった。


 俺は慌てて言いなおした。


「――ブリーフィングを実施する」


 通常であれば、編隊内で最も経験の長い者や階級的に上になる者が編隊長リーダーになる訳だから、当然リーダーは命令口調で話を進める。ウイングマンは畏まってリーダーからのブリーフィングを受けることになるのだが、2機編隊長練成訓練となるとウイングマンには教官資格を持った先輩が就く。つまり、先輩相手に上の立場から物を言わなければならない訳だ。


 例えばポーチやハスキーのような先輩だと、後輩がブリーフィングする時はいつも腕組みして椅子にふんぞり返って聞いている。そんな姿を前にして、こちらがうっかり口を滑らせてデス・マス調を使おうものなら、「ウイングマン相手にそんな言い方するのかよ?」と真顔でツッコミが入る。いつも怒鳴られている相手に対して「~せよ」「~を実施する」という言い方をしなければならないのだから、やりづらくて仕方ない。

 「いや、そもそもそんな態度のデカいウイングマンはいませんから!」と汗をかきかき心の中で呻きつつ、努めて編隊長然とした態度を取り繕いブリーフィングを進めることになる。


「――コールサイン、リーダーが19(ワン・ナイナー)、ウイングマン・ジッパーが20(ツー・ゼロ)、対抗機のマルコが21(ツー・ワン)。チョークアウト、1445(ひとよんよんご)。訓練の主眼、中距離からの接敵及び正対で会敵してからの格闘戦。ウイングマンは支援機として動き、リーダー機による対抗機撃破を目指す。次に、状況の流れを説明する――」


 俺の前の席に端然とした様子で座っているジッパーは、唇を引き結んだいつもの気難しそうな顔で時折軽く頷きながら説明を聞いている。平素は軽口ばかり叩いているマルコも、いざフライトに関わることとなれば一転して真剣な態度に変わる。


 メモに目をやりながら一通りのことを伝え終えると、俺は顔を上げてジッパーとマルコを見た。


「以上、何か質問」

「なし」


 2人がすぐさま短く答える。俺たちは席を立ち、互いに短く一礼を交わした。


「よろしくお願いします!」


 気を引き締めて。広く視野を保つ。力み過ぎない……。


 救命胴衣などの装備を整えに救命装備班に向かいながら、俺はいつもと同じように留意すべき事柄を自分に言い聞かせた。装具を身につけながらも考えられる限りの状況を思い浮かべては、指示を出すタイミングや機動方法を頭の中でしつこいくらいにシミュレーションしていた。





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