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騒動の後(1)

 

「――で? なんであんな騒ぎになったんだよ?」


 時計の針が11時を回ろうという頃になって、ようやくアディーは部屋に戻ってきた。夜間飛行訓練ナイトのディブリーフィングと明日のフライトの準備に、今夜は更に隊長との面接も想定外に加わって、やることが目白押しの夜だったことは簡単に想像できた。

 大変だったのは分かっていたが、やっとのことで自室に帰ってきたアディーを捕まえると、俺はさっそく釈明を求めた。


「お互い割り切った関係だと思ってたんだけどな」


 アディーは荷物を入れたモスグリーンのヘルメットバッグを床に置くと、フライトスーツ姿のまま自分のベッドに腰かけて大きく一息ついた。その左の頬にはまだはっきりと赤みが残っている。マダムは怨念を込めてよっぽど力いっぱい叩いたのだろう。


「忙しいから平日には連絡しないでほしいと話しておいたのに、しつこく電話をかけてきたりメールの返信を催促してくるようになったから面倒くさくなって。それで、俺の考えを伝えてお互い納得して別れたつもりだったんだ」

「どう考えたらあれが納得してるように見えるよ? 執着し過ぎて、可愛さ余って憎さ百倍って感じだったけど?」


 呆れて畳みかけるようにそう言うと、アディーは皮肉そうな笑みを俺に向けた。


「それはもちろん執着もするだろ。パイロットの肩書きを持っててちょっといい車に乗ってるから引き止めておきたいだけなんだよ。そういう考えの女にしたら、俺と一緒にいたら自分に箔がつくんだろう。だから俺も彼女たちが望むように振る舞ってやるし、俺は俺で楽しませてもらってるだけ」


 アディーの言いように俺は唖然とした。左頬の赤みを改めて見やり、ようやく呻くように言葉を押し出した。


「お前……それは絶対歪んでるぞ!」

「俺も自分で酷い男だとは思うよ」


 アディーは醒めた笑いを浮かべた。


「でも彼女たちだって、もし俺が体を悪くしてパイロットを免になったら、あっさり離れていくと思うけどな。今はネームバリューで寄ってきてるだけなんだよ」


 浮ついた交際関係だとは思っていたが、アディーがここまで冷淡な考えを持って女と付き合っていたとはさすがに思いもよらなかった。


 まあでも、それならそれでもいい。他人の俺がそこまでとやかく言うのはお節介だ。

 だが、もう一方の件については同期として看過できない。


「お前さ――」


 俺は気を持ち直して厳めしい声で言った。身を屈めて自分のバッグからノートやファイルを取り出していたアディーが顔を上げる。


「ちょっとは反省してんのか? 隊長や総括班長や、他のみんなにまで迷惑かけたんだぞ」

「反省はしてる」

「そうかよ? ヘラヘラして、そんな風には全然見えないけどな」


 語気を強めてそう言うと、さすがにアディーはムッとしたように俺を見た。そのきつい視線に、俺はこれまで漠然と感じていたことをはっきりと言ってやった。


「お前、世の中の女に恨みでもあるのか? 昔、手酷いことされたとかで、その仕返しを今やってるとか?」


 アディーが顔を強張らせ、今まで見たこともないような険しい目つきで俺を睨む。

 いつもは穏やかな人間が見せた迫力に俺はうっかり気圧されそうになったが、それでも負けじと踏ん張った。


「こんな不義理ばっかりしてたら、お前いつかほんとに後ろから刺されるぞ」


 言いながら、だんだんイライラしてくるのが自分でも分かった。

 俺の悪い癖だ。腹を立てて喋るうち、どんどん頭に血が昇って収まりがつかなくなってくる。今回は流血沙汰になるんじゃないかと深刻に危惧した分なおさらだった。


「自分の女が職場に乗り込んできて引っ叩かれた――お前はそれくらいにしか感じてないだろうけどな。俺は一部始終を見てたけど、もしかしたらナイフでも持ってきてるんじゃないか、もし取り出してお前に向けるようなことがあったらすぐに飛びついて奪い取ってやろうと思って、ずっと身構えてたんだぞ。お前はそういうこと考えてたか!? え? 考えてなんかなかっただろ!? どれだけ俺が心配したか、分かってないだろ!?」


 最後の方は地団太踏んで怒鳴りたいくらいだったが、さすがにそれは必死に抑えた。

 アディーは意固地な様子でムスッとしてそっぽを向いている。どうせこれ以上何を言ったところで聞く耳を持たないだろうし、俺自身も自分の感情に抑えがきかなくなりそうだった。激高して興奮するあまり余計なことを言いすぎて後悔する羽目になった失敗は今までにもう何度も経験済みだ。


 だから俺は自制心を総動員してどうにかそこまでで口を閉じると、くるりとアディーに背を向けて自分のベッドに飛び込み、頭から勢いよく毛布を被った。我ながら子どもじみているとは思うが、ああそのとおり、どうせ俺は短気で思慮の足りない幼稚な子どもだ。


 毛布の中で荒く鼻息をついていると、背中の向こうでファイルかノートを机に叩きつけるような激しい音が聞こえた。更に何かを乱雑に扱う物音が続き、スチールロッカーの扉がバシンと騒々しく閉められ、居室のドアが派手な音と共に開け閉めされたかと思うと、苛々としたように床を叩くサンダル履きの足音が廊下の向こうへ遠ざかっていった。きっとアディーは胸の中で悪態をつきながらシャワーでも浴びにいったのだろう。


 完全に床に八つ当たりしている足音を聞いていて、毛布の下に潜っていた俺はなおさら腹が立ってきた。


 どうせ反省なんかしちゃいないんだろう。隊長や総括班長、モッちゃんがあの発狂マダムを相手にできるだけ穏便に取り計らおうとどれだけ苦心していたか、あいつは知りもしないんだ。


 まあ……俺も、最初は野次馬根性で面白がって見物していた節は否定できないが、それでもとにかく、アディーが今回の騒ぎで隊に多大な迷惑をかけたことは確かだ。隊長、総括班長だけでなく、飛行班の隊員全員があの騒ぎで恒常業務やディブリーフィングに充てる時間を丸々潰されてしまったのだ。最後には衛生隊の世話にまでなり、マダムに付き添って市民病院まで足を運んだ総括班長とモッちゃんがくたびれた顔で戻ってきたのは夜も10時を回った頃だった。


 恐縮していたたまれなくなっても不思議ではないくらいの迷惑を周りにかけているにもかかわらず、飄々と「俺は俺で楽しませてもらってるだけ」と言ってのけられる感覚が信じ難い。


 何なんだよ、あいつ。分かってんのかよ――。


 腹の底はまだムカムカしている。今はしんと静まり返った部屋の中で、俺はベッドの上でふて寝したまま鼻から大きく息を吐き出した。


 しばらくすると、消灯時刻はとうに過ぎて深閑とした廊下をこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。アディーが戻ってきたのだ。俺は毛布を更に深く頭の上に引き上げた。


 アディーは少しの間ガタガタと何かをやっていた。いつもだったら俺がベッドに入っている時には気を遣って音を立てないようにしているから、今もまだ機嫌が悪いままに違いない。やがて、厚手の毛布越しにも部屋の灯りが消されたのが分かった。さすがにこんな時にはお互い「おやすみ」の言葉もない。こういう時、同部屋というのはキツい。


 不愉快で重苦しい気分を抱え込んだまま、俺はまんじりともせず毛布の中で丸まって、なかなか収まらない腹立たしさを鼻息と共に吐き出していた。




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