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マダム来襲(1)

「――俺がここでブリブリブリーッ!って回ってブリブリブリッ!って来てギュイッ!って入ろうとしたのにさ、お前が入れてくれなかったからタイミングを逃しちゃったんだよ。何でお前あんなところでガンッて入ってくんの? そこは抜くとこじゃんかよ」


 ハスキーが左右の腕と掌を交差させるように盛んに動かし、唾を飛ばしながら俺の向かいで熱心に喋りたてている。

 腹を壊してトイレに駆け込んだ話ではない。今はフライト後のディブリーフィングの最中だ。


 空中格闘戦で旋回を繰り返し、俺とウイングマン役の教官ハスキーとで詰将棋のように少しずつ対抗機を追い込んでいった。あと少しでウイングマンが撃てる位置に入れるという時に、俺が旋回を緩めなかったせいで意図せずウイングマンの動きを遮ってしまったのだ。


 ハスキーは机に敷かれたアクリル板に紙巻き色鉛筆(グリペン)で書き殴られた機動図の上で、F-15に見立てて平らにした両方の掌を使って上空での2機の動きを細かく再現する。そうしながら「ブリブリブリーッ」だの「ガンッ」だの「ギュイッ」だの、やたらと効果音の多い解説と容赦ないダメ出しがつく。ハスキーが教官だと毎度のことだ。


 「ブリブリッ」というのは恐らく、Gを制限値の上限ぎりぎりまでかけて最大速力で行うマキシマム・ターンを表しているんだろうと思う。どうも語感が良くないので、せめて「バリバリ」にした方がいいんじゃないかとつい毎回思ってしまう。


 シベリアンハスキーに似て長い鼻筋近くにキュッと寄った三白眼を俺に向け、ハスキーは口を尖らせ顎をしゃくった。


「お前あそこで抜かずに何考えてたんだよ。言ってみろよ」

「はいっ、ええと……ウイングマンが位置を取れずにまだ入れる状況にないと考えて動きました」

「だからさ、そこをちゃんと見てないと、せっかく追い込んできてるのに肝心なところでウイングマンが動けなくなるじゃんか。状況判断が甘いんだよ」

「はいっ」


 最近は戦況が全体的に見えるようになってきたと手応えを感じることも多くなってきたものの、やっぱりまだまだリーダーとしての理想的な視野の広さが足りない。


 なかなかうまくいかねぇなぁ――頭を掻いて唸りながら、ディブリーフィングを終えてラウンジに向かう――指摘された細かい点をもう一度さらいなおさないと。煮詰まったコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れたのでもガブ飲みして、今日はもうひと踏ん張りだ。


 時間は夜の8時近くになっていた。

 前段のタイムスケジュールで上がっている隣の204飛行隊の夜間飛行訓練ナイト組は戻り始めたようだ。遠くの方から響いてくる硬い爆音の轟きが徐々に大きくなって聞こえ始めていた。


 マグカップになみなみと入れた甘いコーヒーを啜りながら自分のデスクに戻ろうとした時、ラウンジの向かいにある総括班から電話を受ける声が聞こえてきた。総括班長の矢部3佐――タック―ネーム「ピグモ」の声だ。


「え? 村上ですか? はい、村上あきらでしたらうちの隊におりますが――」


 いつも開きっぱなしになっているドアの奥で、総括班長が怪訝そうに答えているのが聞こえた。


「面会ですか? ――え? 女性が? ……ちょっとお待ちください」


 どうやら基地正門の警備に当たっている警衛所からの電話のようだった。

 応答の中で出されたアディーの名前が気になって、俺はさり気なく中を覗いてみた。


「……アディーの奴、何をやらかしたんだ」


 がっしりと張り出した眉骨の下の半月形のぎょろ目を瞬かせ、総括班長は困惑した面持ちでそう呟きながら急いで隊長室に入っていった。


 耳をそばだてていると、電話に対応する声は隊長に代わった。


「これから迎えの者をそちらに向かわせるので――ええ、幹部引率と言うことで入門許可を――ええ。そういうことで、よろしく頼みます」


 電話を切った隊長と総括班長は連れ立って隊長室から出てくると、オペレーションルームに入っていった。

 「アディー」「女性」「面会」という言葉が出たら、何事かと思うのが人情だ――俺はマグカップを持ったまま勇んで二人の後に続いた。


 隊長がフライトのスケジュールボードと壁に掛かっている時計を確認していた。305もそろそろ帰投リカバリーの時間だ。


「アディーは今どの辺りだ?」


 リカバリー・フェーズを迎え、訓練空域から戻ってくる何機もの在空機と管制塔の間で交わされる忙しないやり取りが無線機から流れていた。

 飛行場を望む席で無線のモニターと離発着機の監視を担当する任務にあたっていた先輩が、隊長の問いかけを受けて答えた。


「今、イニシャルに入ったところです」


 飛行場に着陸する経路に入るための最初のポイントを過ぎたあたりだ。


「それならここに戻ってくるまでまだ少し時間はあるな」


 隊長は確認するようにそう呟くと、飛行管理員が詰めているカウンターを振り返った。


「荒城2曹、ちょっと中森3曹を借りてもいいか」

「はい。大丈夫ですが――」


 飛行管理員のチーフである荒城2曹の返事と同時に、カウンターからモッちゃんが顔を覗かせた。


「これから総括班長と一緒に警衛所に人を迎えに行ってくれ」


 隊長にそう指示され、「分かりました」と応じながらも何事かという面持ちでモッちゃんがカウンターから出てきた。

 彼女を近くに呼び寄せると、隊長は声を低めて続けた。


「相手は女性だ。どうも酔っているらしいから、男だけで連れてくるのはちょっとな。中森3曹、よろしく頼んだぞ」

「ええっ……!? はい――」


 「これは厄介事になりそうだ」というように目を丸くして口をへの字に結んだモッちゃんは、廊下の壁に並んだフックに掛けてある自分の識別帽を取ると、総括班長について出かけていった。


 ここまでの一部始終を見ていた俺は、もうすっかり気もそぞろになってしまった。


 平日のこんな時間、こんな辺鄙な場所まで面会に押しかけてくる部外者の酔っぱらった女――考えてみただけでもひと騒動ありそうだ。ナイトで上がる前のアディーにいつもと変わった様子は別段見られなかったから、あいつは自分が不在の間に地上でこんな事件が起こっているとは夢にも思っていないことだろう。


 まさか職場で痴話喧嘩が始まるのか??――不謹慎とは思いつつ、野次馬根性がむくむくと頭をもたげてきて、俺はマグカップを手にしたまま廊下とラウンジの間を無駄に行ったり来たりしてしまった――今まで散々ルーズな女関係を持ってきたアディーに、いよいよ手痛いしっぺ返しか……!?


 気になって気になって、とてもじゃないがディブリで指摘された点のフィードバックに集中するどころじゃない。


 しばらく経って、廊下の先の出入り口の方から数人の声が入り混じって聞こえてきた。


 俺はラウンジから顔を出した。廊下の左右を覗いてみる。


 隊長がいつもと変わらない端然とした態度でオペレーションルームから出てきた。厄介そうな想定外の客を出迎えにラウンジの横を足早に通り過ぎざま、好奇心丸出しで首だけ出して様子を窺っている俺にちらりと目を向けた。隊長は片方の眉を上げると、「大人しくしているんだぞ」と念を押すように無言の目配せをした。


 隊長の向かう先に、あたふたして落ち着かない総括班長と礼儀正しく対応するモッちゃんに支えられるようにして、背の高い女がひとり、ふらつきながら立っていた。




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