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スクランブル(1)

国籍不明機アンノウン、千島列島の得撫ウルップ島上空より南南西方向へと移動中」


 モッちゃんの報告に、俺は壁に貼ってある日本周辺地図に目をやった。


 地図には日本上空を覆う航空路や、地点標識を送ってくる航空保安無線施設などが細かく記載されていると同時に、領空とその周りに広く設定された防空識別圏も併記されている。


 領空は領土の外側12マイルを取っている。旅客機なら1分とちょっとで領土上空に到達する距離でしかない。このため、領空を侵される前の早い段階で対処できるよう、彼我ひがを判別するための空域として防空識別圏を領空の外側に設けている。


 アンノウンの正確な座標点をモッちゃんから聞くと、今回の対象機は太平洋側に面した防空識別圏の外側線ぎりぎりの辺りを北海道沖から南下してきているようだった。このまま真っ直ぐ南進してくれれば、アンノウンは防空識別圏に入らずに終わる。スクランブルがかかることもない。


 しかし、もし少しでも西寄りに進路を取るようなことがあれば、直ちに発進指令が下されることになるだろう。今、防空監視所レーダーサイトと防空指令所の監視員や要撃管制官は、刻々と南下するアンノウンの進路と意図を見極めようと気を張り詰めているに違いない。


 モッちゃんは整備員たちの待機室に一報を入れ、関連部隊にもてきぱきと現況の情報を流している。

 時折電話が鳴り、最新の情報がもたらされた。


「現在地、三陸沖」


 上がるのか? いよいよ上がるのか?


 ついウロウロと意味もなく歩き回ってしまう。

 このまま穏やかに通り過ぎていけばいいと思う一方で、「来るなら来い」という闘志のような感情も腹の底の方でふつふつと音を立てている。


 ジッパーは読んでいた技術指令書を閉じてヘルメットバッグにしまうと、立ち上がって体をほぐすように軽く肩を回した。そうしながら落ち着きなくソワソワとしている俺をじっと見たが、特に何も言わなかった。


「来るか? イナゾー初のスクランブル」


 ポーチがわざとおどけたような口調で言う。


「縮みあがるかどうか、しっかり確かめてみろよ」


 2機編隊長になろうという段階にもなって、さすがに自分のムスコが縮こまるようなことはないだろう。

 俺は軽い笑い声で受け流したが、そんな態度を装いつつも自分がどこか上の空なのを実感していた。


 と、突然聞き慣れない呼び出し音が鳴った――そう思った瞬間、モッちゃんの手が素早く赤色の受話器を掴み上げた。それを耳に当てると同時にもう片方の手が緊急発進を知らせるベルのスイッチに伸びる。


 俺は弾かれるように身を翻していた。


「スクランブル!」


 モッちゃんの声を背中で受けて格納庫へと続くドアを跳ね飛ばすようにして押し開け、全速力で搭乗機へと走る。俺のすぐ横を、ジッパーが素晴らしい勢いで駆け抜けていく。


 緊急発進指令を告げるベルが格納庫にけたたましく鳴り響く中、整備員の待機室からも隊員たちが転がるように飛び出してくる。


 俺はコクピットに取り付けられた梯子に飛びつくと駆け登った。後から機付長が続き、乗り込んだ俺の体をベルトで固定する。


 目の前で、格納庫の重い扉が軋んだ音を立てて開いていく。飛行場は真っ暗だったが、眼下の道筋を示す灯火は既に点灯されていた。


 手早くヘルメットを被り酸素マスクを口元に合わせながら、心臓が飛び出しそうなほど大きく打ち、頭に血が昇っているのを感じた。

 しかし日々の訓練で身に染みついた動きは緊張に妨げられることはなかった。手はためらうことなくコンソールのスイッチを弾いてゆく。正面にいる整備員とハンドサインでやり取りしながら、目でひとつひとつの計器の数値を確実にチェックする。機体が震え、甲高い音を立ててエンジンが始動する。


 ジッパーが無線で管制塔を呼び出す声がヘルメットに内蔵されたスピーカーから聞こえてきた。


『百里管制塔、エンジョイ01、スクランブルオーダー』

『エンジョイ01、離陸許可。離陸後、方位055、最大速力で高度2万5千まで上昇。テイルジャックとチャンネル1でコンタクトせよ』


 ジッパーの低い声が管制指示を澱みなく復唱する。


 武装をロックする赤い布のついた長いピンが整備員の手ですべて外され、こちらに掲げて示される。離陸準備は完全に整った。


 ヘルメットを被りマスクをつけたジッパーの顔がちらりとこちらを向く。離れていてもよく分かる眼光鋭い目が俺を見た。


『イナゾー、しっかり俺についてこいよ』

「……はい!」


 「俺についてこい」――リーダーの動揺のない確固としたその言葉に、沸騰しかけていた頭がすっとクリアになる。


 輪留めが外され、整備員の誘導に従って格納庫から暗闇の飛行場へと進み出る。こちらに敬礼を寄越した整備員たちの真剣な目が、動き出した機体を最後の最後まで追う。


 前を行くジッパーは管制官の指示どおり速やかに滑走路に入った。

 機体の尾部でオレンジの光を吹く2つのノズルがキュッと縮まる。と同時に、機体は一気に押し出されるように加速し滑走を開始した。


 高温の熱が作り出す陽炎に、奥に見える飛行場灯火の光が滲む。アフターバーナーの眩しいほどの光が轟音とともに勢いを増して遠ざかり、黒々とした夜空を駆け昇っていく。


 俺も遅れることなくジッパーに続いた。

 離陸するとすぐさま機首を急角度に引き上げ、軽いGを感じながら一直線にリーダーの元を目指す。

 小さな灯火が無数に散らばる飛行場は数秒のうちに背後の遥か彼方に遠ざかり、機体はぐんぐん昇っていく。上昇率がいいのは外気が冷え込んでいるせいだろう。秋の夜空は雲ひとつなく澄み渡っている。ふと、視界の隅が妙に明るく感じて頭を巡らせると、東の空に冴え冴えとした満月が昇っていた。


 上空でリーダー機に追いつき、ウイングマンの位置につく。


 ジッパーが入間基地の防空指令所を呼び出した。


『テイルジャック、エンジョイ01。離陸完了』

『エンジョイ01、レーダーで捕捉した。方位055、高度2万5千フィートまで上昇せよ』

『了解』


 ジッパーは翼を翻すと北東方向に進路を取った。俺も機体を傾け後に続く。


 これから向かう先に国籍不明の航空機がいる。飛行計画の通報がなく上がってくるということは、一般の旅客機や自家用機ではない。ほぼ間違いなく軍用機だ。当然、武器弾薬の装備はしていることだろう。


 そしてこちらの戦闘機の武装ロックは外され、万が一の時には実弾を撃てる――相手を撃墜できる態勢にある。


 対象機の搭乗員、ジッパー、そして俺というたった数人の間で少しでも下手なことをすれば、直ちに国家間の外交問題に発展する可能性のある現場に、今、自分は赴こうとしている。


 その事実を改めて胸の中で確認した途端、急に口の中が乾くのを感じた。


 マスクの下の自分の呼吸音がやけに耳についた。俺は何度も唾を飲み下し、スロットルから左手を離すと自分の股の間をそっと触ってみた。


 ――なんてこった! 縮まってる!


 スクランブルのサイレンが鳴った時こそ心臓が飛び出しそうなほど緊張したものの、上空うえに上がった今はもうしっかりと落ち着いているつもりだったのに。自負心だけは一丁前に持ってはいても、俺はまだまだ修行が足りない――。


 思わずマスクの下で失笑を漏らし、しかしすぐに気持ちを引き締めた。


 自分がとんでもなく緊張していることだけはしっかり分かった。後はもう、何度も訓練を重ねてきたことを粛々とこなすまでだ。


 開き直って自分にそう言い聞かせると、少しは冷静になれた気がした。


 要撃管制官から対象機の情報がもたらされる。


『目標機、方位60、距離230、進路240、速度310、高度1万9千……』


 速度310ノット――時速600キロ弱だ。この速さだと相手はプロペラ機か?


 防空指令所からの誘導で細かく進路を取りながら進むうち、機体に搭載しているレーダーにひとつの機影が現れた。同時にジッパーから防空指令所に状況が伝えられる。


『テイルジャック、エンジョイ01。国籍不明機をレーダーで捕捉』

『了解。目標確認急げ』


 どこまでも広がる夜空の中の一点にいる国籍不明機。


 俺はレーダーに映る輝点の動きを注意深く探りつつ、要撃管制官の指示を受けて目標に向かうために大きく機体を傾けたリーダー機に続き、同様にバンクを取って機首を振った。




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