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アラート(2)

 下ネタの話題を注意されて神妙に口を噤んだポーチの代わりに、アディーがその場を引き継いだ。


「モッちゃん、ずいぶん長いこと外を眺めてたけど、何かそんなに面白いものでも見えるの?」


 モッちゃんは気を取り直したように咳払いをひとつして答えた。


誘導路灯タクシーウェイ・ライトを見ていたんです。宝石みたいで綺麗ですよね、あの青白い光って。星空がすぐそこにあるようで」


 なるほど――そんなことを考えながら眺めていたのか。その傍らで「縮んだ話」なんかをされたら、確かに気分もぶち壊しだろう。


 納得しながら、俺もソファーに座ったまま首だけ伸ばして窓の外に目を向けてみた。


 青い光の誘導路灯と、白い光の滑走路灯がぽつぽつと見えている。誘導路や滑走路には、夜でもその道幅や道筋が分かるように傘の長いキノコのような形をした灯火が一定間隔で置かれている。今はカーテンの隙間からなので全体は見えないが、夜間訓練のある時に駐機場に出れば、数えきれないほどの光が足元のあちこちに散らばって見えるのだった。


 ライトはライトにしか見たことがなかったが、そんな風にも感じるものなのか――モッちゃん、案外ロマンチストなんだな。


 確かに宝石や星空という例えは詩的だが、そんな女らしい言葉がモッちゃんの口から出たのが意外だった。


「まあでも、上空うえで見る星空には敵わないけどね。あれは圧巻だよ。キャノピーの外のどの方向を向いても満天の星が見えるんだ」


 そう言ったアディーを恨めしそうな顔で見て、モッちゃんは溜め息をついた。


「私は残念ながら空を飛べませんから、飛行場の光で満足するしかないんです――あっ……」


 窓の方に目を戻したモッちゃんが小さく声を上げた。俺もアディーもつられて窓の外を見た。誘導路灯も滑走路灯もすっかり消えて、窓ガラスには明るい部屋にいる自分たちの姿しか映っていなかった。飛行訓練がすべて終わったので、管制塔が飛行場の灯火の電源を切ったのだ。


 モッちゃんは残念そうに外を眺めていたが、急に窓ガラスにぐいっと顔を寄せると両手で自分の頬を挟んで呟いた。


「肌が疲れてる……シフトに入ると途端にくるなぁ……」


 その言葉をアディーが聞き漏らすはずがなかった。「これは絶好のおちょくりどころ」とばかりに、その目に笑いが一気に滲む。


「モッちゃん、もしかしてそろそろ『お肌の曲がり角』? あれって何歳ぐらいのことなの?」

「25歳くらいですかね」

「じゃあ真っ只中だ――いや、もう曲がり切っちゃった?」

「まだ曲がり途中ですよ」


 モッちゃんは横目でアディーを見やって続けた。


「アディーさんの場合、20歳はたちくらいが地肌の曲がり角でしたか?」


 相変わらず年齢と髪のネタで応酬する二人の不毛なやり取りを聞きつつ、俺はリクライニングソファーを立って脚や腕を伸ばし、軽くストレッチした。


 下半身には耐Gスーツを身に着けているために大きな動きがしづらい。5分待機中はスクランブルがかかった時にすぐさまコクピットに飛び込み発進できるよう、できる限りの装備を整えてスタンバイしているのだ。


 技術指令書を読んでいたジッパーが、目の前に飛んでくるハエを煩わしそうに手で払いのけながら目だけを上げて俺を見ると、ぶっきらぼうに言った。


「体動かしたいなら、ほら、緊急発進指令スクランブル・オーダー。このブンブンうるさいのをやっつけてみろ」


 近くに養鶏場や養豚場が多いせいか、この基地にはハエが多い。

 両面に糊のついたリボン状の茶色い半透明の紙が、アラート待機室の隅の天井からぶら下がっている。そこには結構な数のハエが貼りついていた。

 実家の牛舎にはあちこちにハエ取り紙を吊り下げていたが、まさか自衛隊に入ってまでこの紙を目にすることになるとは思ってもみなかったので、初めてここで発見した時には驚いたものだ。


 俺は手近にあった新聞を丸めると、ソファー前のローテーブルの隅に止まって前脚を擦り合わせている1匹に狙いを定めた。息を潜めてそっと近づき、力任せに新聞紙の棒を叩きつける。


「よし! 1機撃墜!」


 棒の先で汚らしく潰れたハエに触らないよう注意しながら、広げた広告の上に死骸を落とす。

 それを見ていたジッパーが顔をしかめて体を起こした。


「馬鹿野郎。止まってる奴をやっつけてどうする。爆撃機じゃないんだ。戦闘機乗りファイターなら飛んでるのを落としてなんぼだろうが」


 おお、そうか。


 妙に説得力のあるジッパーの言葉に、今度は勢いよく飛びまわるハエを叩こうと棒を振り回した。しかし飛んでいる奴を落とすとなると、これはかなりの至難の業だった。新聞紙の筒が虚しく宙を切るばかりだ。


「くそっ! すばしっこいな!」


 ジッパーは俺の奮闘を仏頂面でしばらく眺めていたが、ハエにかすりもしない俺の腕前に呆れたように口を開いた。


「まだまだだな。撃墜王エースの記録は8匹だぞ。誰だか知ってるか?」


 待機室のエースの話は初耳だ。首を横に振った俺に、ジッパーは表情を変えずに重々しく答えた。


「この俺だ」

「ほんとですか!? ぜひその技を見せてくださいよ!」

「いいか、よく見てろ」


 ジッパーは俺が持っていた新聞紙棒を取り、巻き直して太さを調節すると、壁を背にして動きを止めた。目だけでハエの動きを追っている。一匹がジッパーの右側を掠めようとした時――電光石火、新聞紙を持った腕が宙を切り、パンッ!と小気味よい音が響いた。

 そっと壁から離した棒の先端には、一瞬で死骸になり果てながらも見苦しく潰れてはいないハエの姿があった。


 驚異的な瞬発力、そして絶妙な力加減。


 ……すげえ!!


「凄いですね、ジッパーさん!」

「宮本武蔵みたいだ」


 モッちゃんもアディーもポーチも目を丸くして驚きの声を上げた。


「305の美学だろ。強・速・美――そして誠実」


 ギャラリーの興奮にも動じず、ジッパーは死んだハエの羽根を爪の先で慎重につまみ、先に俺が仕留めたハエの横にそっと並べると恭しく手を合わせた。


「ちょっと俺にも新聞くれ」


 ポーチがそう言いながら自分の周りをきょろきょろと見回して、手近に置きっぱなしになっていた別の新聞をつかんだ。そして紙面を半分ほどに分けると、「ほれ、お前もやれ」と横にいたアディーに押し付けた。


 各々壁際に陣取り、ジッパーのやり方に倣ってハエが射程域に入ってくるのをじっと待つ。たまに「パン!」と音が響くが、その度に「ああっ、くそっ!」「また逃げられた!」と悔し紛れの唸り声が上がる。

 俺もアディーとポーチに負けじと神経を集中させて撃墜を目指すが、抜群の機動力で身をかわす小さな黒い敵機に翻弄されるばかりだ。待機室のエースの名を物にするにも相当の鍛錬がいりそうだ。


 カウンターの中に戻ったモッちゃんは、新聞紙を手にハエを叩こうと躍起になっている俺たちを楽しそうに眺めている。ジッパーは何事もなかったかのようにソファーに戻ると、再び技術指令書を読み始めた。


 と、突然電話の呼び出し音が待機室に鳴り響いた。


 ハエ叩きに夢中になっていた俺たち3人は、はっとして一斉にカウンターを振り返った。ジッパーもページをめくる手を止めて顔を上げる。


 鳴ったのは防空指令所からのホットラインではなく、別回線の電話だった。モッちゃんはワンコール終わらないうちに受話器を取り上げた。メモを取りながら電話を受けている。


 受話器を置くと、真面目な面持ちに戻ったモッちゃんが用紙を手にして俺たちを見た。


国籍不明機アンノウン情報入りました」


 俺は途端に動悸が大きくなるのを感じた。




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