百里基地航空祭(4)
アディーが優美を案内している間に、俺は人の少ない場所を探してしばらくウロウロした後、一般客が立ち入ることのできない建物の陰を見つけてビデオを再生した。
小さな画面の中に随分歳を取ったような気がする母親の姿が現れた。記憶にあるのと変わらない牛舎の前で、緊張気味に立っている。
『――賢二ぃ、元気にしてますかぁ? 母ちゃんも牛たちも相変わらず元気でやっています。賢ちゃんが長いこと顔見せてくれないんで心配だけども、便りの無いのは良い便りと思って安心することにしています。えーとなぁ……ゆるくない仕事だと思うけども、ちゃんと栄養のあるもん食べて、よーく寝て、体に気ぃつけてなぁ。毎日、賢ちゃんの無事を仏壇に向かって拝んでます――』
その後、『ほらぁ、他にもっと何か喋ってよ』と促す優美の声に、『もういいさぁ』と困ったように笑った母親の姿が映ったところで映像は途切れた。
不覚にも、鼻の奥がツンとしてきた。俺は慌てて画面から目を上げて何度か瞬いた。
――いつまで「賢ちゃん」なんて呼んでるんだよ。俺、もう26の大人だよ。食事の心配しなくたって、毎日基地の食堂で栄養満点でカロリー十分な料理食べてっから。母ちゃん、何にも知らねぇんだから……。
体を寄せている建物の陰を、ひんやりとして乾いた秋の風が通り抜けていった。
千歳でも夏の半ばにはもうこんな風が吹いていた――フライトに追われる毎日であえて思い出すこともなかった実家の記憶が次々に蘇ってきた――赤い屋根の牛舎。牛糞と飼料のにおいが入り混じってムッと鼻を衝く空気。もごもごと口を動かして餌を噛み潰し、長くて厚い舌で口の周りを舐めまわしながら思い思いに籠った鳴き声を上げる牛たち。その額にあるつむじをぐりぐりと撫でては、短くて硬い毛が逆立つ感触を楽しんでいたっけ……。
高校1年の冬に父親が脳卒中で死んでから、俺はそれまで続けていたサッカー部を辞めて、学校が終わると家の仕事を手伝うようになった。優美はまだ小学生だったし、いくら助っ人を雇っているとはいえ、休日もなく母親がひとりで牛の世話から経理の仕事までをするのはさすがに無理があると思ったからだった。
母親が俺に家業を継いで欲しいと考えていることは何となく察していた。酪農の仕事は嫌いじゃない。でも、それとは比べ物にならないほど、やっぱり俺は牧場の遥か向こうの空を駆けのぼっていく灰色の機体を自分の手で操ってみたくて仕方なかった。
だから俺は、道端の古びた掲示板に貼られていた『自衛官募集』のポスターにあった電話番号を控えてきて、募集を担当している地方連絡部にこっそり電話をかけてみた。そしてどうしたら戦闘機のパイロットになれるかを訊ねた。
地連の広報官はわざわざ俺が通っていた高校の近くまで説明に出向いてくれた。
俺を担当してくれた人は航空自衛官ではなく定年間近の陸自の曹長だったが、親身になって相談に乗ってくれた。パンフレットを広げながら、戦闘機パイロットになるには2つのコースがあること――ひとつは高校卒業後に航空学生課程に入る道。もうひとつは防衛大学校に進み、4年後の卒業時に空自のパイロット要員に選ばれて操縦課程に進む道があることを教えてくれた。
俺は戦闘機乗りを目指すのなら最短コースで一日も早く飛行機に乗りたかったし、防大に合格できたとしても空自に振り入れられるという確約はないという話だったので、迷わず航空学生を希望した。
それからというもの、空いた時間を見つけては牧場の周りをランニングしたり、航空学生の受験のための勉強も少しずつやり始めた。
それまでサッカー漬けで勉強なんて二の次だったから、机に向かっている俺を見た母親は『大学にでも行く気になったのかねぇ』と本気で驚いたように呟いていた。もしかしたら畜産大学でも目指し始めたのではないかという期待も少しはあったのかもしれない。
何となく後ろめたくて自衛隊を目指していることは口に出せず、航空学生の過去問の冊子は勉強机の引き出しの奥に隠しておいた。
高校3年になり、結局母親には黙ったまま航空学生の採用試験に臨んだ。
1次の学科試験、2次の面接と適性検査、身体検査をどうにかクリアしてたどり着いた最終の3次試験。T-3初等練習機を実際に操縦しての検査だ。
試験のために最寄りの千歳基地から静岡県の静浜基地までC-1輸送機に乗せられて移動することになっていた。泊りがけで5日間に亘る試験になるので、家を空ける口実をどうしようかとあれこれ考えていたのだが――2次の面接の時に言われた言葉がずっと心に引っかかっていた。
3人いる面接官のひとりから、パイロットを希望していることに対して保護者の同意があるかと質問された時のことだ。
訊いてきた中年の面接官は制服の左胸にウイングマークをつけていた。
決して威圧的な態度ではないが、高校生の下手なごまかしなど簡単に見抜いてしまいそうな眼差しに、俺はすっかり観念して覚悟を決めた。これで落とされるかもしれないと思いつつ、家の状況と母親には何も話していないことをそのまま伝えた。
『稲津君』
その面接官は心持ち身を乗り出すようにして、しっかりと俺の目を捉えて話し始めた。
『家のことを考えて後ろめたく感じる気持は良く分かる。でも、本気でパイロットを目指すのであれば、お母様には早いうちにきちんと話しておいたほうがいい。自衛隊のパイロットになるということは――パイロットだけでなく自衛官となるということは、万が一のことも覚悟しておかなければならないんだ。これは君だけの話ではなく、今まで君を大切に育ててくれた親御さんにも十分理解しておいてもらわなければいけないことなんだよ――分かるね? だからできる限り早く、お母様には君の考えを話しておきなさい』
諭すようにそう説かれ、俺は恐縮して「はい」と返事するしかなかった。ただ「パイロットになってやる、絶対になりたいんだ!」とひとりで意気込んでいた自分が妙に子どもっぽく思えて恥ずかしかった。
その時の忠告がいつも頭から離れずにはいたものの、どうにも言い出しにくくてぐずぐずと先送りにしていた。が、いよいよ3次試験まで間がなくなって、やはりこのままではいけないとようやく思い切った。
夜、居間で洗濯物を畳んでいた母親のところに行くと、俺は正座をして話を切り出した。
『母ちゃん、俺、自衛隊に入ろうと思う――戦闘機のパイロットになりたいんだ』
服を畳む手を止め、母親は驚いた顔で俺のことを見た。
『2次試験までは合格してるんだ。来週、最終試験で飛行機に乗ってくる』
母親は突然の話が飲み込めない様子で言葉もなく俺の顔を見つめるだけだったが、やがて大きく長い息をつくと笑顔を見せた。
『そうかぁ……。あんた、ちっちゃい頃から空ばっか見てたもんね……。頑張っておいで』
そして翌日にはわざわざ新しい服と下着を用意してくれた。出発前日の夕飯には、縁起担ぎに大きなトンカツを山盛りになるほど揚げてくれた。
『お兄ちゃん、いきなり飛行機の運転なんてできるのぉ?』
カツを頬張りながら横目で俺を冷やかすように眺める優美に、『馬鹿、運転じゃねぇよ。飛行機は操縦って言うんだよ』と応酬した俺を見て笑いながら、母親は『賢二なら大丈夫さぁ』といつもと変わらないのんびりとした調子で言っていた。
3次試験は――楽しかった。いや、実際は頭が真っ白になって上空で自分がどんな操作をしたのかはよく覚えていないが、とにかく楽しかった。
バッ……バッ……バババッ……と腹の底を揺るがすような爆音とともに機体が震えてT-3のエンジンがスタートし、機首についたプロペラが次第に勢いを増して回転し始める。
俺はコクピットの後席で、興奮のあまり機体と同じように身震いしていた。
機体に触れながら入念に点検を行う整備員の動き、教官と管制塔とのやり取り、目の前に長く開けた滑走路……何もかもが刺激的だった。
上空でのテストの出来はほとんど記憶にないが、グラグラとして覚束なかった機体が前席の教官の操縦に代わった途端ぴたりと位置を決め、澱みのない動きで軽やかに空を飛んで行くことに驚愕した。
T-3のコクピットからは、自分の胸のあたりから上、キャノピーの外360度ほぼすべての景色が見渡せた。空の上では見えるものがこんなにも違うのかという感激ばかりだった。この世界を自在に飛べたら――そう思わずにはいられなかった。
そして1月下旬、合格発表の日の朝。
『お兄ちゃーん、自衛隊の人から電話ー!』
サンダル履きで雪道に滑りながら、中学の制服姿の優美が上着も羽織らずに大声を上げて家から走り出てきた。
登校前に牛舎の掃除をしていた俺はデッキブラシを放り出し長靴のまま全力ダッシュで自宅に駆け戻ると、電話機の横に置かれたままの受話器に飛びついた。
ずいぶん遅れてふうふう息をつきながら家に入ってきた母親を振り返り、俺は受話器を手にしたまま放心状態で呟いていた。
『合格って……』
とたんに母親は泣き笑いの顔になった。
『やったねぇ、賢ちゃん……』
俺が家業を継がずに家を出る事が決まった時だった。その時母親が何を思っていたのかは分からない。
後日、合格通知を持った広報官がスーツを着て家に挨拶にやってきた。
『賢二君はわたくしどもが責任を持ってお預かりいたしますので、どうぞご安心ください』
父親の位牌の入った仏壇がある居間の座卓の前で、広報官は正座したままきっちり10度の礼をしてそう言った。その向かいに座っていた母親は、『息子をどうかよろしくお願いいたします』とそれだけを言い、背を丸めて深々と頭を下げた。
高校を卒業した3月下旬、まだ雪の残る自宅の玄関口で母親と妹に見送られ、俺は大きなスポーツバッグひとつを持って家を出たのだった。大きな期待と、拭いきれない後ろめたさを感じながら……。