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百里基地航空祭(1)

 秋晴れの抜けるような空に、白と青で艶やかにペイントされた4機の機体がキラキラと輝きながら飛行場の上空を駆け抜けていった。ダイヤモンド形の隊形を取って互いの翼が触れ合いそうなほどの位置を崩さず、飛行場の左から右へと一瞬で飛び去っていく。


 訪れた一般客でごった返す百里基地の上空で、今、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム<ブルーインパルス>の演技が行われていた。今日の航空祭のメインイベントだ。


 F-15やF-4といった戦闘機に比べると遥かに軽やかで高いエンジン音を響かせて、白いスモークを曳きながら頭上に乱れのない軌跡を描くブルーの姿に、誰もが空を見上げ、感嘆の声を上げている。


 305飛行隊の隊舎前に張ったテントの下で、俺とアディーも上空を見上げていた。


 航空祭当日の今日、俺たちは「梅組グッズ」の売り子役を拝命していたのだった。アディーは毎年必ず売り子だ。こいつが立つと売り上げが全然違うらしい――特に女性客の。


 テントに設置した長机に並んだ品――俺たちがいつも被っているのと同じ部隊識別帽、梅組の部隊マークが胸元にプリントされたTシャツ、梅組オリジナルラベルのついた日本酒など――こういったものが不思議とよく売れる。俺たちにとっては普段から使っている何の変哲もないものだが、一般の人から見れば物珍しいのだろう。


 ただ、ブルーが演技をしているこの時間は暇だった。皆、土産や記念品選びを一時中断して、ブルーの動きを見逃すまいと空を仰ぎ見て目を凝らしている。


 俺たちのすぐ側のマニアが腰に下げている携帯無線受信機から、時折声が聞こえてくる。ブルー1番機――隊長機の合図の声だ。


『――チェンジオーバーターン……レッツゴー! ――メイク、デルタ……』


 バンクを取って観客席に青い腹を見せながら、今度は5機になって縦一列で飛行場上空に進入してくる。と、そのうちの2機が同時に機体を捻るようにして縦隊から抜け出すと、隊形の上方にぴたりと位置を取った。隊長機から簡潔に発せられるコールに対してわずかにも遅れることがない。一瞬で広い傘型へと散開した5機は、その形を保ったまま大きく旋回していく。等間隔に並んだ5本の白いスモークが頭上いっぱいに美しい弧を描いた。


 伸びやかでいて、同時に恐ろしく緻密な演技に歓声が沸く。


 5機は傘型のデルタ隊形のまま徐々にお互いの間隔を詰め、一斉にスモークを切るとひとつの小さなまとまりになって飛行場の南に抜けていった。


「怖えなあ!」


 俺は思わず声を上げていた。


「いつ見ても怖えよな。最初の4機のフォーメーションとか、あんな密集隊形で飛べるかよ! 翼の間、何フィートだ? 俺は絶対やりたくないわ」

「俺たちが学生時代に乗ってた練習機とは機敏さが全然違うね」


 眩しそうに目を細めてブルーの動きを追いながら、横にいるアディーも感心したように呟く。


 防府北基地でレシプロ機の操縦課程を修了し、福岡県の芦屋基地に移って初めて乗ったジェット機はT-1だった。ブルーインパルスに使用されているT-4の一代前の練習機だ。それでも、それまで防府で乗っていたプロペラ付きのT-3とは桁違いのジェットの馬力に圧倒された。もちろん、F-15に乗っている今は練習機で飛ぶとむしろゆっくりに思えるくらいだが、当時はそのスピードに仰天したものだ。


 今、頭上を縦横無尽に駆け回っている青い練習機は、学生が教官に怒られないようおっかなびっくり飛ばしている機体と同じとは思えないほど、機敏で切れのある軽やかな動きだった。


「お前もブルーを希望してみたら? 絶対適任だと思うけどな」


 俺は隣のアディーに期待を込めてそう言ってみた。

 ブルーインパルスのメンバーは、言ってみれば航空自衛隊版アイドルだ。全国の基地で演技を披露して回るブルーを追いかける熱烈なファンもいるらしい。アディーなら外見だって、もちろん技量だって問題なくいけるに違いない。


 アディーは苦笑して首を振った。


「希望したからって行けるわけじゃないし、希望しなくたって行かされることもあるからね。まあ、話が来たら『はい』と言うしかないだろうけど――」


 ブルーの人事は、メンバー交代のタイミングと部隊長からの推薦、少しは考慮されているのかもしれない本人の希望、そして何より人事の都合で決まる。「人事は人事(ひとごと)」という言葉があるとおり、どんなに熱烈にブルー配属を希望しても叶わないことだってもちろんあるのだ。


 今度はデルタ隊形のままループを描いて空高くまで昇りつめた5機が、太陽の光を一瞬跳ね返して反転したと思うと、観客席に真っ白な背中を見せてスモークを曳きながら降下し始めた。一筋にまとまって見えていた5本のスモークは、ブルーが高度を下げてくるとともに指を広げたように等間隔で大きく広がった。観客席の正面で水平飛行に移った5つの機体は飛行場全体に硬質なエンジン音を響かせ、白いスモークを残して観衆の頭上を飛び去っていった。


 その姿を追って観客たちが一斉に振り返る。「うわー!」「すげぇなぁ!」といった歓声があちこちから聞こえてきた。

 テントの近くでは、幼稚園生くらいの女の子が「私もあれに乗る!」と興奮した甲高い声を上げながら、肩車してくれている父親の上で足をばたつかせている。


 そんな観衆の反応に笑みを浮かべながら、アディーは改めて続けた。


「ブルーもやりがいがあるだろうけど――でも、まずはリーダー資格を取らないとね」


 その言葉に、俺も大きく頷いた。

 ブルーインパルスのメンバーには、最低限の要件として戦闘機の2機編隊長の資格が求められる。

 しかしその前に、アディーの言うとおり、ブルーに行きたいかどうかに関わらず今俺たちがすべきことは、戦闘機乗りとして一人前になること――何よりもそれがまず第一だ。


 隊形を組みなおして再び上空に入ってくるはずのブルーの姿を探して、空を仰いだままの観客たち。一方で、駐機場の奥に整然と並べられた何種類もの地上展示機を丹念に見て回っている人もいる。その前に立つ警備係の隊員と一緒に記念撮影している人もちらほら目についた。


 駐機場を埋めるたくさんの人々。

 目の前の群衆を眺めていると、普段は気にも留めずにいることが今更ながらに意識されてくる――こんなにも多くの人が航空機に興味を持ち、わざわざ遠くから何時間もかけて俺たちの仕事を見に来ているという、一種の不思議な感覚。


 自分たちにとって、飛行機に触れることや飛ぶことは日常であって、何も珍しいことではない。空に向かうことにロマンを感じるとか、戦闘機のマッハに近いスピードに酔いしれるだとか、そんな感慨を持つことはない。俺たちにとってはそれが仕事――空に上がれば常に真剣勝負であり、それがやるべきことだからだ。


 たまに、夜間飛行訓練ナイトで上がった時に、雲海を足元にして頭上に広がる空――宇宙に続いていることを実感する真っ暗な空に、淡い筋のように見える天の川と、鋭く輝く数えきれないほどの星――地上では見ることのできない夜空の美しさに、思わず息を呑むことはある。でもそれはほんの一瞬だ。


 耳元では防空指令所の要撃管制官から彼我ひがの距離や方位などの情報が次々に流れ、レーダーに映し出される情報と併せて、神経を張り詰めて見えない相手を追い込んでいく。

 空中格闘戦ともなると体にのしかかってくる猛烈なGに抗うために渾身の力を込めるせいで、地上に下りてきた時にはフライトスーツはぐっしょりと汗に濡れ、腕や太腿の内側にはGを受けてプチプチと切れた毛細血管からの出血で一面に細かい斑点ができている。脳ミソの細い血管だって同じように切れているはずだ。


 これがロマンになるんだろうか……?


 しかし、実際にこうして戦闘機を見に多くの人たちが混雑の中をわざわざやってきて、フライトスーツを着た自分たちを見ると遠巻きにして羨望の眼差しを向けてくる。


 ――むしろロマンと感じてくれる方がいい。


 ふと、そんな風に思った。


 一般の人たちから見て、超音速で飛べる金属の塊を自在に操って空へ向かう姿にロマンが感じられなくなった時――それはこの国が平穏でなくなったということだ。自衛隊の存在が世間の注目を浴びて称賛される時――それは人々が穏やかな生活を送れなくなった時なのだ。


 だから、空を飛べるということにロマンや憧れを漠然と感じてもらえる程度でいい。

 戦闘機に乗ることがどんなにきついかとか、どんなに危険かということを、あえて声高に主張する必要はない。この国の人々が空の下で何の心配もせず、あえて空を意識する必要もなく日々の生活を営んでいけるよう、黙々と自分たちの任務をこなすことが俺たちの務めなのだから……。


 ――と、テントの下で柄にもなく哲学的な思いに浸っていると、突然、能天気なほど明るい声が割り込んできた。


「あっ! イナゾー先輩、アディー先輩、売り子役お疲れ様っす!」


 振り返ると、隊の建物から出てきたマルコがこちらに駆け寄ってくるところだった。マルコの後に続いて、奥さんの姿もドアの向こうから現れた。





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