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リーダー会の宴(1)

 検定試験が行われたその週の金曜。


 だいぶ暗くなりかけて夜の訪れを感じさせる西の空には、それでもまだ鮮やかな夕焼けの色合いがかすかに残っている。穏やかに吹いてくる風に冷たさはなく、もうすっかり春めいていた。課業を終えて出かける前にひと風呂浴びてきた体を心地よく冷ましてくれる。


 俺とアディーは相乗りしてきたタクシーから降りると、馴染みの寿司屋の暖簾(のれん)をくぐった。「らっしゃい!」という大将の威勢のいい(しゃが)れ声に出迎えられる。女将さんが「いらっしゃいませー」と笑顔を見せた。


 305飛行隊が懇意にさせてもらっているこの店を借り切って、これから宴会が始まろうとしていた。


 とは言っても、集まっているのは飛行班員全員ではない。座敷に居並ぶのは自分より上の先輩ばかり。今日は305の編隊長のみが(つど)う「リーダー会」なのだ。俺とアディーの編隊長昇格祝いだった。


 座卓の上には刺身や寿司の盛り合わせ、天ぷら、蒸し物、旬の魚の煮つけや小鍋がすっかり用意されている。いつもよりも豪華な料理だ。人の()い大将が祝い膳だからとサービスしてくれたという。


 各自の手元にビールのグラスが行き渡ると、幹事役のフックが座を立った。


「ではこれより、この度晴れて編隊長となった稲津2尉と村上2尉の祝賀会を始めたいと思います。隊長、乾杯の音頭をお願いします」


 促されてグラスを手に立ち上がった隊長は、一同を見渡すと口を開いた。


「この305飛行隊を担うリーダーに、新たに2人の若手が加わることとなった。イナゾー、アディー、ふたりともおめでとう! 君たちは、これからは編隊長として部下の命を預かることとなる。ウイングマンと共に必ず無事に地上に戻ってくること――このことを常に念頭に置いて、日々、任務の完遂に努めるように。そして、『強・速・美・誠実』の気概を継承する後輩の育成に励んでもらいたい。新しい2人のリーダーの門出を心から祝し――乾杯!」

「乾杯!」

「おめでとう!」


 あちこちからの祝いの言葉と共に、皆でグラスを掲げて豪快にビールをあおる。


「ようやくお前もリーダー(こっち)側に来たな!」


 俺の向かい側で既に1杯目を飲み干したポーチが上機嫌に言う。

 リーダー会に参加できるというのは、飛行隊の中ではひとつのステータスだ。ポーチの言葉に、この場に身を置ける喜びをしみじみと実感する。


「もうお前に、『文句があるならリーダーになってから言ってこい!』とは怒鳴れなくなったな」


 俺は笑って先輩に新しいグラスを差し出した。305の流儀に(のっと)り、日本酒の一升瓶の底を片方の手のひらだけで支え持ち、なみなみと注ぐ。

 美味そうにグラスに口をつけるポーチの横で、ジッパーが刺身をつまみながらいつもの仏頂面で口を開いた。


「まあ、お前もここに来るまでに、ほんとに色々とやらかしてくれたよな――味方を撃ちかけたり、海に突っ込みそうになったり、最後の最後ではエマーに当たったり」


 緊急事態の発生は俺にはどうともできないので大目に見てもらいたいところだが、他の事案では確かにジッパーに迷惑をかけている。

 俺は苦笑いして首をすくめたが、あまり表情を動かさないこの先輩のぶっきらぼうな言いぐさの中にも、感慨深さが滲んでいるような気がした。


 ジッパーは俺の手から瓶を取ると、俺のグラスに勢いよく酒を注ぎ込みながらニヤリとした。


「お前は鍛え甲斐があったよ。要領も良くないし、フライトのセンスが目立ってある訳じゃない。人より回り道してようやく人並みにたどり着けるまどろっこしさだ。それでも――叩けば叩くだけ、反動で伸びてくる。気骨だけは人一倍に感じられたからな」


 瓶を置き、酒のせいで充血しはじめた目を上げたジッパーが挑発するように笑みを見せる。


「これからは下から追われる立場になるからな。後輩から(あなど)られるようなしょぼいリーダーになるのか、それとも一目置かれるリーダーになるのか――後はもう、自分次第だぞ」


 俺はグラスの縁近くまで満たされた日本酒を数口飲み下すと、ジッパーの目を見返してニッと笑ってやった。


「後輩に負けるつもりはありません。ジッパー先輩のことも、必ず追い抜いて見せますよ!」

「やれるもんならやってみろ」


 ジッパーは薄い唇の端を上げ、不敵に笑って目を細めた。


「イナゾー! アディー!」


 座敷の奥から野太い声に呼ばれた。見ると、飛行班長のパールがぞんざいに手招きしている。

 俺はジッパーから受けた杯を飲み干し、グラスと一升瓶を手に腰を上げた。少し離れて座っていたアディーと連れ立って班長のもとへ向かう。


 俺たちが胡坐(あぐら)座りで落ち着く前に、パールは手近にあった酒瓶を掴んでそれぞれのグラスに酒を注ぎ切った。


「ようやっとお前たちも一人前の戦闘機乗りになったな」


 班長は空になった瓶を背後に押しやると、開けられたばかりの新しい一升瓶を引き寄せながら俺とアディーに交互に目を当てた。


「イナゾーよ、お前はあからさまに悪戦苦闘してきたよな。アディーも、お前は器用にやる方だが、それだって思うようにいかないことも多かったはずだ。試行錯誤の連続だったろうよ。もちろんそれはこれからもだけどな――色々と苦労してきたことは、自分の財産だ。試行錯誤したからこそ見えるものがある。ウイングマンがどこで(つまず)くのか、どういう考えで行動しがちなのか。自分が失敗してきたからこそ読めるようになる――いいか、ふたりとも。これまで自分が積み上げてきたことに自信を持て。自信のないリーダーに、ウイングマンはついていけないからな」

「はい!」


 俺もアディーも、飛行班長の言葉に背筋を伸ばす。


「ここにいる編隊長全員が、お前たちを昇格させることを文句なく認めた。この305で2機編隊長資格を得たことに自信を持て。そしてこれからは、後輩たちをウイングマンの頃からリーダーになれそうかどうか見極めながら鍛えていけ」

「はいっ!」


 自分も見習い戦闘機乗りとして配属された時から先輩たちの厳しい眼識を受け続け、そして認められたのだ――そうと思うと感無量だった。


 しかし、編隊長になることはゴールではない。部下を連れて無事に任務を完遂すること。それと同時に、今後を担っていける後進を鍛え育てること――その両輪があってこそ、部隊はどんな事態にも対処しうる態勢を保持することができるのだ。


 浮かれてばかりもいられない。身が引き締まる思いで班長の言葉を噛みしめる。


「――よし、真面目な話はここまでだ。今日はもう思いっきり飲んで食え! 祝いの料理だぞ!」


 班長は豪快にそう言い放つと、俺たちのグラスに溢れんばかりの酒を注ぎこんだ。


 先輩たちからも祝辞と今後の健闘を期待する声をかけられ、皆で大いに飲み交わし、大いに食べ、大いに騒いだ。女将さんが一度に何本も運び込む新しい酒瓶はあちこちに回されてすぐに空となり、男たちが酒に灼けた声で気炎を上げる。


 アルコールもすっかり回り宴も盛り上がってきたところで、ハスキーが威勢よく声を上げた。


「よぅし、そんじゃあイナゾーとアディー! めでたくリーダーとなってタックネームをどうするか、発表といくかぁ!」


 野太い囃し声が飛び交う中で立ち上がった俺たちに、いい調子で酔っぱらった先輩たちの陽気な視線が集まる。


「じゃあ、まずはアディー!」


 ハスキーに名指しされたアディーはまだ若干の迷いが残るような困惑気味の笑みを浮かべたが、そのためらいも僅かな間だけだった。思い切るように顔を上げると、一同を前にしてはっきりと言った。


「自分は――色々考えたんですが、これからもタックネームはこのままで行きたいと思います」


 「どれもしっくり来なくて」と付け加えた同期に、周囲から「アディー、本当にそれでいいのか!? ハゲたら洒落にならねぇぞ!」とからかい交じりの念押しが飛ぶ。

 アディーは苦笑して頷いた。


「育毛剤の世話にならないよう、頭髪ケアに励みます」

「やせ我慢なんかしないで、必要になったらいつでも遠慮なく言ってこいよ! いいの教えてやるから!」


 頼もしいことを言って頭を突き出して見せたのは、既にあらゆる育毛剤を試したことがあるという噂の、8期上のザビエル先輩だ。


「ザビエル、よく見たら頭頂部濃くなってるんじゃないか!?」


 頭のてっぺんをまじまじと覗き込んで驚きの声を上げた同僚たちに、「だろ!?」とザビエルが得意気に胸を張る。そのやり取りにどっと笑いが沸いた。


「よっし、アディーはアディーのままか! イナゾー、お前はタックネームどうするよ?」


 すっかり司会役を自任しているハスキーが今度は俺に話を向ける。


 心機一転、リーダーになったからには新しいタックネームでやっていこうかと、頭を絞ってあれこれと考えに考えた。だがどの候補も、その名前で呼ばれることをイメージすると今一つ自分らしくない。気取った感じに思えてしまってどうにも居心地が悪いのだ。


 305に配属されてから今まで、先輩たちから事あるごとに「イナゾー! 間抜けなことするな!」「イナゾー! しっかりウイングマンのこと見てろ! 目を切るな!」と怒鳴られ、(しご)かれてきた。多くの失敗と反省を繰り返しながら、やっとの思いでひとつひとつ掴み取ってきた。野暮ったくもあるタックネームは、これまで無我夢中で突き進んできた自分自身そのものだ。そして俺は、リーダーとなったこれからも変わることなく、自分の信じるところに従ってがむしゃらにやっていくつもりだ。


 だからもう、決めていた。


「俺も、タックネームはこれからもイナゾーで行きます!」


 きっぱりとそう宣言した。


 先輩たちから一斉に「何だよー、ふたりとも変わらずかぁ!」「ちょっとからかってやろうと待ち構えてたのに!」と残念そうな冷やかしの声が上がる。それでも、もうそれ以上しつこく茶化す者はいなかった。


 野武士のような厳つい顔をすっかり赤くした班長が、上背のある体を揺らせて立ち上がる。手にしたグラスを掲げ、アルコールでいつもよりも更に潰れた濁声(だみごえ)を張り上げた。


「一人前の戦闘機乗りとなったイナゾーとアディーに――第305飛行隊のこれからを担う2人の新しいリーダーに――乾杯!」

「乾杯!!」


 景気のいい唱和の声が座敷いっぱいに響き渡る。

 俺たちは時間を忘れてより一層賑やかに、騒がしく酒を酌み交わしたのだった。



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