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梅組流 酒の宴(2)

 

 俺は思わず瞬きして顔を上げた。


 声を上げたのは、向かいの席に座っている飛行管理員の中森3曹だった。俺たちはモッちゃんと呼んでいる。

 まるで俺の心内こころうちを見透かしたようなモッちゃんの言葉に面食らったが、モッちゃんが声を掛けたのは俺にではなく、彼女の隣に座っている相手に対してだった。俺の3期上の先輩である長峰1尉、ポーチだ。


 俺は思い詰めていた感情が突如ぶつ切りにされたような宙ぶらりんな感覚の中で、目の前の二人を眺めた。


 ポーチは酔いが回ってだるそうな様子で座卓に肘をつきながら、片手にグラスを持ち、箸で茶碗蒸しの中の銀杏を取り出そうと突っつきまわしていた。ふてくされた子どものように俯いて、ぶつぶつ言っている。


「でもさあ……嫁さん、子ども連れて黙って実家に帰ったまま戻って来ないんだよ? もう2週間だよ。きっともう離婚だよ」


 いつもは「イナゾー! ボケたことばっかりやるな! 今のお前じゃリーダーになんかなれねぇんだよ!」と吠えまくっているポーチ先輩が、今日はやけにしおらしい。

 一方のモッちゃんは、チューハイを呑んで上気した顔でポーチに懇々と説いている。


「だから、まだ離婚なんて切り出されてないのに諦めてどうするんですか。迎えに行ってあげたらどうです? 奥さん、待っていると思いますよ」

「でもさ、戻ってきたってどうせまた同じなんだよ……。『平日は朝早くて帰りは遅い、土日はいつも待機やアラートがあるから家族でどこにも行けない、どうせうちは母子家庭と同じよ』って――仕方ないだろ、仕事なんだからさ……」

「難しいですよね……そのあたりを奥さんに理解してもらえればいいんですけど――。ポーチさん、銀杏はスプーンを使った方が早いと思いますよ」


 モッちゃんに指摘されて、ポーチは素直に箸を置いてスプーンに持ち替えた。その横でモッちゃんは真剣に解決策を考え込んでいる。


 彼女は確か俺やアディーよりひとつかふたつ年上のはずだった。ぱっちりとした二重の目は好奇心にあふれてよく動き、賢そうで、その印象にたがわず実際に仕事上でも細かいことまで気を利かせる。

 そんな彼女は飛行班員たちにとっての肝っ玉母さん的な存在になっていた。髪も小ざっぱりと短くしていて、年頃の女らしい色気をあまり感じさせないところが――そう言うとモッちゃんから抗議が来るが――かえって男たちを安心させるのかもしれない。同じ男相手には変な対抗心が邪魔をして話せないことも、モッちゃんに対してなら不思議と皆素直に口に出す。


 とりとめのない愚痴を嫌な顔もせずにうんうんと聞いてくれ、時には相手の階級や年齢もお構いなしにぴしゃっと叱咤してくれる。彼女が飛行管理員として仕事をしているカウンターは、さながら飛行班のよろず相談所だ。

 この間などは、結婚10周年のスイートテンを迎える班長が、奥さんを喜ばせるためのサプライズイベントは何をしたらいいだろうかと真剣に相談していた。

 隊長でさえモッちゃんには一目置いているようで、部下たちの心情把握のために彼女から話を聞くこともあるようだった。


「――でもやっぱり迎えには行った方がいいと思いますよ? ケーキでも買って、『いつもありがとう』って感謝の気持ちを伝えてみたらどうですか?」

「ありがたいとはいつも思ってるよ。でも、そんな今更なぁ……なんか、照れくさいし」

「女っていうのは――」


 まだ煮え切らないポーチに対して、モッちゃんは根気よく続けた。


「――『分かってくれているだろう』じゃダメなんですよ。ちゃんと口に出して伝えてほしいものなんです」

「でもなあ……」

「ポーチさん、奥さんと仲直りしたいんですよね?」

「うん……」

「じゃあ、躊躇っていないでやってみないと!」


 それ以上の有無を言わせぬ押しの強さでモッちゃんは言い切った。

 ポーチは今度はスプーンで無意味に茶碗蒸しをかき混ぜていたが、彼女の言葉に押されて自分自身に言い聞かせるように、「そうだな。うん、そうだよな」と呟いていた。


 それまで二人の横で黙って話を聞いていたアディーが心持ち体を乗り出して、ポーチの向こうにいるモッちゃんに声を掛けた。


「モッちゃんはカウンセラーにでもなったら良かったのに」

「実は私もそう思って、大学の時に心理学の講義を取ったりカウンセリングの実習授業に出たりしたんですけど――」


 彼女はチューハイを一口飲むと、エビの天ぷらを自分の取り皿に乗せた。


「――カウンセラーって、相手に自分の意見を押しつけたらいけないんですよ。ひたすら話を聞いてあげて、相談者が自分自身で答えを見つけるように持って行かなきゃならないんです。これは私には無理だと思って。だって、絶対に口を挟みたくなっちゃいますから」

「ああ――きっとそうだろうね」


 アディーは笑って納得したように頷いた。それを見たモッちゃんは天ぷらを口に運ぼうとしていた手を止めて、不服そうに眉を寄せて口を尖らせた。


「アディーさん、私のこと、お節介オバサンみたいに思ってるでしょう」

「オバサンとは言ってないよ、四捨五入したら30になるとは言っても」

「アディーさんも、何か相談事があったらいつでもこの三十路に声をかけてくれていいんですよ? 髪の悩みとか、遠慮なんかせずに」


 にこやかな笑みとよそいきの声でモッちゃんに切り返されたアディーは、ぐっと詰まって苦い顔になった。

 この二人はなぜかいつも年齢と髪のネタで張り合っている。アディーは何かにつけてモッちゃんをおちょくるようなことを言って、しかし結局は必ず返り討ちに遭っていた。それでもめげないアディーには半ば感心し、半ば呆れる。


 やめとけやめとけ。モッちゃんに口で勝とうなんて一生無理な話だぞ。


 口には出さずにそう呟きつつ、自分の皿に残ったマグロの刺身に大葉を巻きつけた。


 俺もモッちゃんに話を聞いてもらおうかな……。ぴしりと一喝してもらえば、このうだうだとした気弱な考えも吹き飛んで、また少しは前向きになれるかもしれない……。


「――フォックス・ワン!」


 突然、ドスの利いた声とともに俺のグラスに日本酒がどぼどぼと降ってきた。俺は思わず箸を放り出し、酒の勢いに左右にかしいで倒れそうになったグラスを慌てて支えた。


 見上げると、一升瓶の底を片方の手のひらだけで支えて掲げ持ったジッパーが俺の横に立っていた。




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