第一話、月曜日
「ねえ先輩。わるいことしませんか?」
ポッキーを食いながら、突然葉月は言い出した。
場所は屋上、空は晴れ。雲ひとつない夏空の下、二人で昼食を食べながら話す話題としてふさわしくないものが出てきてしまった。
まあ、よくあることだ。葉月は時々おかしなことを言う。
表面はショートボブの似合うただのかわいい女の子なのだが、僕と話すときだけはなぜか裏がでるらしい。ちなみに今日はましなほうで、時には敬語がなくなることもある。
「いや却下。僕は警察幹部になりたいので、犯罪はなしで」
「大丈夫です。この完璧な計画を聞けば先輩も思わず試したくなります。ハイこれ企画書」
ごり押しされて受け取ったのは『極秘作戦手帳』なんて怪しいもの。開けば丸っこい字で「金を奪って完全逃亡計画」と書いてある。
「却下」
「ええ〜せっかく三日三晩考えに考えぬいたのにー」
僕はため息をひとつ吐いて、
「それで、宿題は」
「先輩が冷たい……わかりましたよー。えっとどこにやったかな」
葉月は持ってきていたかばんを探って、…僕から見るとお菓子しか入ってないように見えたが、やっぱり抜け目のない葉月らしく頼んでおいたものを持ってきてくれていた。
「ジャン!殺された金林先生の資料です!これで貸しひとつですね」
僕は無言で資料を受け取った。こういった資料を集めてこれるのは葉月だけだ。じゃなかったら僕は葉月になんか頼んでいない。
実際あまり楽しい話じゃないし、この学校で起きてしまったことだ。誰かに聞かれたらまずいことになる。つまり悪い話ということだ。
つい先日、というのは三日前のこと。
金林は科学の実験室で大の字で死んでいた。部屋の中は密室。犯行に使われたのはナイフ。血にぬれたそれは遠く離れた廊下に放置されたままだった。
まだ犯人は捕まっていない。
葉月の資料によれば、容疑者は三人。
一人は第一発見者の金林の教え子、と言うか恋人、秋姫さんだ。金林とは密かに付き合っていたみたいで、金林と付き合うまえはかなりのがりがり相当ひどい顔してたが、付き合ってからはすぐに幸せ太りしていったクラスメイトだ。
彼女とは葬式のときにちょっと話したが、かなりおびえているようだった。最近は学校にも来ていない。もう一度くらいは話を聞きに訪ねてのも良いのかもしれない。
ぺらりとページをめくる。
ちょっと知らない顔だ。明らかに人相の悪い、チンピラのような人だ。
男の名前は小林。金林とは一応友人だったらしいが、実際はお金を借りに来ていただけらしい。学校に入り込んでいるのを見たことがあるからこいつが金林先生を殺していたとしてもおかしくない。というかそうであってほしい。
実際殺されたとき金林は薬を所持してたらしいから一番怪しいのはこいつだ。
僕は資料を持って立ち上がる。
「あれ、先輩もう行っちゃうんですか」
「もう昼休みも終わるだろ。葉月も遅れないようにしろよ」
葉月は眉をへの字にまげて、
「ああ、先輩とお話できる時間の短さときたら。先輩、よろしかったらこのまま授業をサボタージュっていうのはいかがでしょう」
「サボタージュって何語だよ」
「知らないんですか先輩!!サボタージュ=サボりという公式を!!」
「却下」
「そんな、使った言葉の繰り返しなんて……、今日の先輩はいつにもましてツンツンしてますよぅ」
澄んだ予鈴のチャイムが鳴った。
放課後、夕暮れの斜陽が足元を染める廊下。人通りはない。
二階の実験室に向かう途中、葉月が突然言い出した。
「先輩ってまだ刑事さんに疑われてるんですか?」
「疑われてるって、別にそんなことはない」
「なるほど、だから突然私に資料集めてきてくれーなんて頼んできたんですね。先輩も相当ピンチなわけだ」
聞いちゃいねえ。
でも、ピンチなのは本当だった。今一番容疑者に近い男といったら間違いなく僕だろう。
なにせ、犯行に使われたナイフは僕のものだったからだ。
加えて犯行時刻の夜八時、僕にはアリバイがなかった。
ほかの二人、秋姫と小林にはそれぞれ友だちと遊んでいた、近所の酒屋で飲んでいた、というアリバイがある。
消去法でいけば僕以外に犯人はいないように見えるが、
「でも僕は殺してないからな、本当」
「そうですよね先輩には動機がないですものね」
……実はなくもないのだが、葉月は調べた情報に目を通さない癖があるので知らないのだろう。
だからといっても僕に誰かを殺す理由なんかない。
正常な人間なら、人間を殺すわけがない。どっかが壊れたやつじゃないと無理だ。
「うーん、でも実際どうするんですか先輩。今の所犯人は確実に先輩だと思うんですけど」
「うん、僕も他の二人は犯人じゃないと思う」
葉月は、本当なのかそれは、なんて顔をしてこっちを見ていた。
「へ、だって先輩それじゃあ、」
「だってアリバイがあるなら犯人じゃないだろ?そして僕も犯人じゃない。と言うことはどこか別のところに真犯人がいるはずだ」
僕としてはあの小林っていうのが犯人だったらほんとよかったんだけど。
葉月は、そんなと息を呑んで、
「そのアリバイを打ち破るトリックとかそういったものを楽しみにしてた私はどうなるんですか!完全に期待はずれですよまったく!!」
「いや、勝手に期待されても。いいから入れ。実験室に着いたぞ」
金林が死んで三日間、さすがにそれくらいすると一般の生徒も簡単に入れるようになっていた。
警察いわくもう調べるところは調べ尽くしたそうだ。
と言ってもまだ誰も好き好んで立ち寄ったりしない。
「こんなこと言ったらだめだけど別に変わったところはないですね。本当にここで人が死んでたなんて信じられないです」
葉月の言うとおり。実験室は特に変わりない。先生用の机に生徒が実験に使う机が六つ。どれもかなり大きなサイズをしているが特に変わりない今まで授業してた時と同じだ。
換気しやすいように窓が左右両側にあるのは、校舎がここだけ飛び出たような形、「←かぎかっこのような形だからだ。
ここで資料を開く。カバンも持ってきているのだから当然。
「どうやら、金林が死んだときはこの入り口から教室の真ん中あたりまで血痕が残ってたみたいだな。倒れてたのはそこ、生徒用の机の下あたりみたいだ」
「え、それって、こうですか」
葉月がとことこと歩いていって、そのまま僕の指したあたりに寝転んだ。すると入り口の僕からは見えなくなる。つまり、
「金林先生は何かから隠れていたってことですか」
葉月は起き上がりながら言った。
「そうだ、この部屋が密室だったのも、金林自身がこの部屋の鍵を閉めてしまったから。金林は鍵をかけた後に死んだ」
これは葬式のときに聞いたこと、秋姫からむりやり聞きだしたことだ。
「金林先生は何かにおびえていた」と。
そして金林が死んだ今、今度は秋姫がなにかにおびえている。
「よし、それじゃ次は秋姫の家に行こうか」
「えええええええっ!!」
耳がキーン、となった。
「何で他の女のところに行かなきゃ行けないんですか!?もっとまったりしましょうよほらここで!」
「人が死んだところで待ったりできねーよ」
「ぐ、正論ですね。正論は嫌われるんですよ!」
びしっと葉月は僕を指差した。
「人を指すなって、ほら、いくぞ」
勝手に一人で歩き出す。もう時間は五時になっていた。
「先輩こんなところに置いていかないでくださいよ!怖いじゃないですかぁ」
葉月は涙声だった。
途中、僕に襲い掛かってきた猫を葉月が蹴散らしながら到着した。
秋姫の家はカメラ付きインターホンのあるごくごく普通の邸宅だった。
「おお、ブルジョアジー……」
葉月がまた意味不明なことを言っていた。
迷ったのは数秒、意を決してインターホンを押した。
あ、なんて言えばいいんだ?
「はい、秋姫ですが」
「はい、葉月ですけど。そちらに秋姫 紫苑さんいますか?」
気づけば葉月のほうが応対していた。なんだか悔しいが秋姫とは葬式のとき以来気まずくなっているからちょうどよかったのかも知れない。
「紫苑のお友達かしら」
「はい、実はそうなんです。ちょっと取り次いでもらえますか」
わかりました、と一度途切れる。と同時、「先輩先輩」
葉月が呼んでいた。
「先輩の出番です。友達とかうそなんで、ここから先は先輩ががんばってください」
ここまできて丸投げか。
「しょうがないな、来るって言ったのは僕だし」
その時、再びインターホンがつながった。
「……もしもし、紫苑ですけど。あなた葉月さん?」
「いや、そうじゃない、久しぶりだね秋姫さん」
「……またあなたか。なに、その顔で母をだましたの?」
僕の顔でだませるわけがないのだが。どう見たって女の子には見えまい。
僕にはあまりふざける余裕がのこってない。
資料に載っていた僕のこと。
もうそれは、確実に僕を犯人として扱っていた。
「違う。今日は聞きたいことがあってやってきた」
一呼吸置いてから、
「単刀直入に聞くと、秋姫は犯人じゃないよな?」
「は、」
「何言ってるんですか先輩っ」
なんか小声がうるさいが無視して。
「で、金林を殺してないよな?」
この質問でわかるのだ。なぜ、金林が死んだか。
そして、僕が聞いたのは身が裂けるような慟哭だった。
「殺すわけがないでしょう!!私たちは愛し合っていたのに、なんで、先生だけが死ななきゃいけないのよ。結婚だってしようねって、それなのに……」
後半はほとんど泣きそうだった。もしかしたら本当に泣いてたかもしれない。
「ありがとう、これでかなりわかったよ。…ごめんな、秋姫」
推理は終わった。
僕はそっと立ち去る。
その後をあわてて葉月がついてきた。
「先輩。あのさっきわかった、っていいましたよね」
秋姫の家を立ち去った後、もうかなり暗かったので葉月を送ることを申し出た。
僕が車道の右側を歩いて、葉月がぼくの左側。
「それは犯人が、ってことですか?」
二人歩く道は暗い。でも前を見てお互いの顔を見て話した。
「ぜんぜん違う。僕にはまだ何もわかってないよ」
ところどころ灯る電灯の光、葉月はひとつ息を吐いた。
「結局、まだ何も進んでないんですなあ。先輩はこのままじゃ捕まってしまいますよ」
声はからかっているような、慰めているような、
「なんだよ励ましてくれるのか」
「そりゃまあ、私、先輩のこと好きですから」
――――――好き?
心臓は止まった。
というか、今の状況。
告られた!?
ということなんだろうか!!
思わず首を90度横へ。そうしたら、
「あの、先輩。もしかして気づいてませんでした?」
葉月の真っ赤に染まった顔が見れた。
なんだか不機嫌そうなんだけど、嬉しそうで、って
うわあ葉月をまともに見れない!
恥ずかしすぎる。こんなのはじめてかも!
「先輩、告られたの初めてですか?」
「あああああ、っそそうだ!まったく初めて、だ」
「初めてですか。まったく、先輩はいつも冷たい冷徹人間のくせに、こんなときだけおかしくなっちゃって」
葉月がくすくす笑った。
「うれしいですよ、先輩。先輩をおかしくできるのが私だけで」
「っ、―」
なんだろう、葉月が笑うとその、
「はい、青春の一ページごくろーさん」
何の脈絡もなく、冷水を浴びせられたような気分になった。
「おめーが犯人か?坊主」
目の前にいたのは紛れもなく、僕と秋姫を除いた最後の容疑者。
小林 達弘、その人だった。
「実際さ、俺も友達殺されて、はらわた煮えくりかえってんだよ。…聞いた話じゃ、お前の持ち物が凶器に使われたんだって?なら決まりだろ。お前が犯人なんだよ、坊主」
現れた男に、実際迷惑だとしか思えない。
「わかるか?証拠がある以上、犯人はお前だ。とっとと自主しやがれこのクソ」
だがこいつにも聞かなきゃいけないことはある。
「小林、さん。あなた、金林先生にお金を借りてたそうですね。いくらぐらいですか?」
「は、なに言ってんだよ。あれは借りてたんじゃなくてあいつが勝手に俺に渡していただけだって。あいつはなかなかいい財布だったのによ。よくも殺してくれたよな」
小林が近づいてくる。なんだろうか今は小林より大切なことがあるってのに。
「僕の話は終わりました。帰るので道をあけてもらえますか」
「っち、気にいらねーな。俺の言うこと全部無視しやがって」
小林が僕の胸倉をつかむ。
「殺すぞてめぇ、おい」
だめだ。今の僕に触れれば、
「先輩。この人、殺そう?」
葉月が黙っちゃいない。
「え」
小林が気づいても、もう遅い。
すでに小林には親指がない。
つかもうとしても親指がなければ手としての機能は果たせない。
僕の体は支えを失った左側から倒れる。
「ああああああああああああああああああああっ!!」
小林が欠けた右手をもって暴れた。血を止めようとしているようだが。
「死ねよ、おまえ」
もはや葉月に理性はなく、僕にはとめる力がない。
だから、この結末は避けられない。
「ぎっ」
聞き苦しい断末魔とともに、一振りのナイフが下ろされる。
後に残るは血を撒き散らす結末だけだ。
二週間前のあの日も葉月は普通じゃなかった。
僕が金林にすこし殴られたのだ。
もちろんそのことはすぐに謝ってもらったが。
あの時の金林は薬をキメちゃててどうしようもなかった。なんで金林が薬に手をだしたのかなんて知らないが、あてずっぽで言うなら、秋姫との関係じゃないだろうか。
秋姫は結婚という言葉を簡単に口にした。それに、学校に来なくなるなったのが二週間前。その前の秋姫のおなかが、少し膨らんでいるのに僕はなんとなく気づいていた。ようするに秋姫は妊娠してたんだろう。
それが金林には耐えられなかったんじゃないだろうか。逃げ道に薬を求めたとき、幸か不幸か小林がいた。金林は定期的にお金を出して薬を買っていんだと思う。
そうして薬におぼれてしまった。僕を殴りさえせずに、他の誰かなら金林は死なずに済んだ。
いや、この言い方にも語弊があるか。
金林は最終的に自分で死を選んだのだから。
「ひぃ、はああああああああ!!た、たすけ、助けてくれ。てが、足が、血があああ」
小林はまだ生きている。葉月が落としたカッターから遠ざかろうとしていたが、どうもうまく立てないようだった。
僕の目の前の光景が証明するように葉月は決して人を殺さない。
葉月が狙うのは主に指、足、髪の毛くらいで殺せるようなところは狙わない。
そもそも僕の持ち歩くナイフはせいぜい長さ指の半分くらいのカッターナイフくらいで、しかも名前入りだったから警察にすぐばれたのだ。
そんなものじゃ、死にたくない人は殺せない。逆に言えば、
死にたい人間なら殺せる。
あの日の放課後、おそらく葉月は金林を襲いに行った。僕と一緒に帰った後、もう一度学校に向かったんだろう。
葉月は俺のカッターで金林を襲った。
どうやったかなんて知らないが、たぶん追い掛け回して散々怖がらせてから適当に斬りつけたんだろう。
だけど、そのとき刃物をのこしていってしまった。
血を撒き散らしながら実験室の鍵を閉め、机にもぐりこんだ金林はその時思ったんだろうな。
ああ、これでやっと死ねるって。
いろいろなごたごたを自分は殺人事件の被害者として終わらせられる。
付き合っていた学生との結婚話も、小林との関係も、すべてだ。
そう思った金林は、血を止めれば助かったのに、助かろうともしなかった。
そもそも、思い出してみろ、「大の字」で死んでるなんておかしいだろう。出血したならそこを押さえるのが普通だ。
だから金林は死にたがっていたんだよ。
自らの意思で死を望んだ結果、自らの意思で死ねただけの話。
まあ、薬で正気じゃなかっただけかもだが。
「わかったかい小林。僕は殺してないし、葉月も殺してない。金林は自分で死を選んだんだよ」
「ああ、っつ、わ、わかった。だから、早く俺を助け、いや、助けてください!」
ふう、脅しはこれくらいでいいか。
念のためいっておくがこれは推理じゃない。たんに小林を納得させるための方便にすぎない。
僕の推理は嘘っぱちだ。
今小林は痛みで判断力を失ってるからこんな話でも信用するだろう。
まあでも真犯人を探すことは続けなくちゃいけないのだが。
その小林の傷は僕から見てもたいしたことなかった。ちょっと血が出ているくらいで、それもあと数分でとまる。
「わかった、助けてやる。取れちゃった親指も完全に治してやるよ」
「ああ、ありがとう、っつ、お前、名前なんていうんだ。誰に聞いても知らないっていうからさ」
名前か、僕は眠っている葉月を見た。僕のために勝手に暴れて、暴れた後はこれだ。
記憶すらなくすので後始末は本当に苦労する。だけど、いまだけは、感謝してもいい。
こうして名乗れる機会は本当に少ないんだ。
今日くらいはいいんじゃないか。許されない名をつかっても。
そうして僕はなるべくゆっくりと口を開いて、
今日僕がしたことは何の意味もない。
いってしまえば子供のままごとのようなものだ。
推理といいながら真実を明らかにせず、証拠もなしに犯人を決め付ける。
僕らが探偵だったのなら、これほど当てにならない探偵もないだろう。
もとより僕に真実は必要ない。ただ、そう。
僕には僕以外の真犯人が必要なのだ。
だからこれは推理なんかじゃない。
僕の身代わり立てるための、地道な労働作業でしかない。
現時点。僕の身代わりとしてふさわしいのは、
「おはようございます先輩ってきゃあ!」
僕の目の前で葉月がこけた。
「おい、大丈夫か、顔面もろだったけど」
「はいっ平気です!先輩のお返事をいただかないと私の純情乙女ハーツが、今にも、そう今にも破裂しそうで!!」
今この場所でか。朝日陽光降り注ぐ正門中央でか。
「なら、いますぐ体育館裏にいきましょうです!ほら早く!」
葉月に引っ張られる僕。
例え葉月が何をしようとかまわない。
人殺しだって、別にいいだろう。
僕は彼女の笑顔のために、彼女の犯罪を容認する。
この後輩の顔を見てないと、調子が狂うし。
ただ、そばにいてほしいだけだ、われながら純情だよな。
「さあ、たっぷりじっくり答えをききますからね先輩!!」
見れば葉月の耳まで赤くなっている。
握られた手の温度を感じつつ、僕は昨日感じたあの思いを伝える言葉をさがしていた。
「まあ、一時限目はサボタージュで」




