奴隷(おとな)
第1話 奴隷
砂の間から突き出した灰色のコンクリートを背にして、俺は顔を覆う分厚い防塵マスクを片手で外した。
そして、一気に水筒の水を口に含んだ。口のなかが砂でじゃりじゃりするが冷たくてうまいと思った。長時間神経を張り詰めて疲れきった全身にわずかだが活力が戻る。
沙漠での戦闘は危険極まりない。砂の中に敵が潜んでいたら、遮る物のない沙漠では狙撃されて終わりだ。いや、単純に敵に囲まれたら逃げようもない。だから、こんな馬鹿げた作戦をする大人なんていなかった。オールド東京の地下にある旧式の武器や携帯食料の回収が俺の人生を変える・・・とまでは言わないものの変えるきっかけにはなるはずだ。もちろん小銭に命をかけるなんて馬鹿げていると思う。それに到底作戦とは呼べないものだ。自殺行為と言ってもいい。俺は自分の愚かさに笑いをこらえながら再びマスクを装着した。
一人っ子で両親がいない孤児なんて、俺の暮す西の立川・八王子スラムでは珍しくもなんともない。だから、俺もそのことを不幸と思ったこともない。何しろそれ以上に不幸で絶望的な毎日だったから。旧米軍基地のある福生で戦闘訓練をうけたD1クラスの傭兵のガキや大人がスラムで好き放題に暴れまわってあらゆる犯罪をおこしていた。無抵抗にやられる。おとなは誰も抵抗しない。おとなはみんな、生まれたときからの運命だとかぬかしやがる。馬鹿じゃねぇのか。
人が人を差別し、蹂躙するなんて許せねぇよ。悔しい。悔しい。悔しい。
だから、俺は力が欲しかった。差別され搾取される奴隷のようにはなりたくなかった。あいつら奴隷は喜んで奴隷をやっている。
だが俺は違う、武器と食料と金さえあれば、俺は強くなれる。俺は俺の敵とたたかう。
俺は摂氏50度の地獄を再び歩き始める。ぐずぐずしている暇はない。はやく大陸間弾道ミサイルの落下した新宿跡地までいかなくてはいけない。
古代遺跡のように風化したあそこなら、まだ武器や食料も残っているだろうし、何より隠れる場所がある。
「おそかったわね」
無表情な少女が突然地中から顔を出した。
「うわぁ」
おもわず腰がぬけて倒れこむ俺。
「どうかした」
「どうかしたじゃねぇよ! どこから出てきたんだ」
「ここには昔、地下に電車が走っていたのよ」
同じE1クラスの生まれとは思えないほどに博学な少女は、海のような青い瞳をしている。混血児だ。抹茶色のロングヘアにゴーグルをつけた背の低いコケティシュな容姿の色白な美少女。
「日焼けしたくないし」
そこかよ、ってそれどころじゃねぇだろ。
「死にたくないもの、おいで」
ちゃうがこっちこっちと手招きする。
「ちゃうはほんとマイペースだな」
「こんな場所を進むおにぃほどじゃないよ」
俺とちゃうは兄妹でもなんでもない。なのにちゃうは俺をおにぃとよぶ。
「ここから新宿にいけるのか?」
ちゃうは黙って人差し指を唇にあてた。静かにしろという意味だ。
静かな暗闇の中を二人してうつぶせになり、気配を闇に溶け込ませる。灯りはない。1時間ほど進むとかすかに地面がゆれた。地震か?
「おにぃ、よけて」
ちゃうに背中を引っ張られ、おれはコンクリートの隙間に押し込まれる。
地響きとともに白く発光した巨大な鉄の塊がものすごいスピードで通り過ぎてゆく。
「戦闘型兵器じゃあないようだな」
ほっとした俺は自分の手が、柔らかく巨大で丸い未知の物体に触れていることに気づいた。
「電車みたい。前に読んだ本にあった」
ちゃうはまったく気にするそぶりを見せず、無表情に言った。俺は顔を赤くする。背は低いくせにおっぱいはでかいな。待てよ、今、かなりおいしいシチュエーションなんじゃないのか。俺はごくりと生唾を飲みこんだ。
「がはははっ、見つけたぞどぶねずみ! こんなところで交尾か!」
下品な野太い声が真っ暗なトンネルに響きわたる。
「大人ってほんと馬鹿よね」
「同感だ」
電車が来た方向から、メタリックブルーの人間搭載型ロボット兵器は、ゴリラのような姿をしていて、巨大な腕を天井に突き刺しながら空中を移動している。俺は黒い外套の下から2020年製のダイヤモンドすら貫く特殊アルミ合金の2丁拳銃をすばやく取り出した。ちゃうもポケットから手裏剣を取り出し、投げた。自動で加速し高速回転する手裏剣がマシンに突き刺さり爆発する。
「くそがきが、効かねぇんだよ! なんたって、このマシンはD1クラスの人間を大量に喰っているカルマコングだからなぁ」
カルマコングが右腕を大きく振ると、その風圧だけでちゃうは吹き飛ばされてしまう。
「ちゃう!」
「てめえら、ついてねぇな。今日は新型兵器の実験なんだよ」
「あら、やっぱり」
無表情のまま空中を1回転して、ちゃうはカルマコングの関節にすばやく手裏剣を投げ込む。
「ぬお!?」
わずかだが、カルマコングの腕にひびがはいった。
「おにぃ、足止めを頼んだわよ」
そのまま闇の中へと消えていくちゃう。あいつは忍者かよ。ぼやきながらカルマコングと対峙する。勝算は1%もない。詰んだな。死んだ。くそ。ちゃうめ、いきて戻れたらピーでピーなお礼でもしてもらわねえと割りに合わないぞ。
「しかたねぇな」
俺はため息を吐いた。
「ふははは。安心しろ。カルマコングの餌にしてやる。ありがたく思え」
分厚い装甲の下に有機体のカルマコングのコアがある。俺もその中にとりこまれるってことだろう。
「自殺するか」
俺の敗北宣言も虚しく、カルマコングが大きく口をひらいた。
「させねぇよ。おまえらEランクの人間は死ぬまで、いや、死んでからも奴隷なんだよ!」
刹那、2丁拳銃の銃口を赤いコアに向ける。
「はぁ、じゃあやっぱりもうすこし生きてみるか。1度もセックスしてないしな」