プロローグ
<プロローグ> 孤独な月のお姫様
人間が死ななくなって50年が過ぎた。それはとても簡単な生物学的理論で、ニュートンの万有引力の法則やワトソン・クリックのDNA2重螺旋のように学校の教科書にも載っている。
とはいえ誰もが不老不死の恩恵に与ることはできない。今でも地球では食料不足や病で亡くなる人間が大勢いる。彼らの多くは取り替えのきく社会の部品であり、貧しく、才も知もない一般人である。
だがそれは仕方のないことで人類が農耕文明に進んだときからのさだめだったのかもしれない。
人間に役割ができ、身分が生まれる。富を有するものともたざるもの。王と奴隷。これがわたしの住む世界。
そう、わたしは王。死や貧困、病、そうした恐怖からもっとも遠い人間、選ばれし者。
誰もがわたしの誕生を祝福し、月に輝く水晶の摩天楼は虹色に輝いた。青き星が限りなくすんだやわらかな空と溶けて見分けがつかないほどの穏やかな日差し。かつて生命のなかった月に咲きほこる色とりどりの花たち。
新たな選ばれし者たちの楽園、その中でもさらに優れた種族による王の選択。それらは量子コンピューターにより選択される。
だから、わたしは知っている。わたしが生まれた日が全てコンピューターにより決定された、しくまれたものであることを。あの花もあの空も偽りのもの。あれを祝福と呼べるだろうか。いや、呼べるはずがない。
だから、わたしは逃げ出した。親も召使いたちもみんな嘘。わたしの本当の親じゃない。誰も本当のわたしを必要となんかしていない。全ては機械の決めたこと。
そして押されるおちこぼれの烙印。人生落ちるのはあっという間だ。
わたしはわたしを必要としなくなった人たちから処分されることが決まった。
そして、わたしは捨てられる。青き星に。
「如月伊代のデーターをS5からE3まで落としていいのですね」
無機質で正六角形をした白い部屋の隅で少女は小さく頷いた。
対角線上の天井にはカメラが設置されていて、一糸まとわぬ少女の裸体を観察している。
「了解しました。それでは、これよりあなたのからだは競売にかけられます」
「いいわ」
カメラに映る少女のからだは青き星、地球へと転送され企業や個人に買収される。
「日本のBUSHIDOUという戦闘用科学兵器製造工場が日本円にして5兆8200億円で落札しました。これより、あなたには240時間監視がつきます」
「はいはい」
「受け渡しはオールド東京の沙漠になります」
地球と月をつなぐエレベーターの中で、あることを思い出した伊代は自分から口を開いた。
「日本て戦争中だったわよね」
機械は何も答えない。
「あなたね、なにかしゃべりなさいよ」
やはり、返事は返ってこなかった。
「まもなく地球に到着します」
壁の1面に映像が写しだされる。いたいけな少女の瞳に映ったのは地獄だった。