TOKYO
駅の中なのに、東京駅は見上げるようだった。
人が、とにかく目まぐるしい。人に酔うってよく聞くけど、その意味がよく分かる。じっと黙ってこれを見ていたら、確かに酔っちゃいそうだった。
だけどこんなに人がいっぱいいるのに、この中に知り合いは一人もいない。その事実が、私の自由の象徴だった。
地下鉄なのかJRなのかも分からないさまざまな電車に乗り換えると、おばちゃん二人がさほど大きくない声で話していた。
おばちゃんなのに、標準語。私たちの住む地域はあんまり訛りがきつくなくって、何が方言でどれが標準語なのか線引きがアイマイだったりするんだけど、やっぱり一定の年齢を越えてくると、訛りが目立ってくる。
個人差はあるし、偏見がある訳ではないけど、何となく物珍しく聞こえる。うきうきと周りを見渡す私を見て、寛軌先輩もるんの写真の一件は寝て忘れてくれたらしくて、にこにこしていた。特急で爆睡していた私たちは、すっかり元気になってた。
駅からバスに乗って二十分、そこからまた五分くらい歩いたところが、漉磯先輩のアパートだった。
驚くくらい、外観がキレイだった。だけど立地も交通の便もあんまり良くないから、家賃はそんなに高くないらしいぞって言う説明を寛軌先輩から受けながら部屋を目指すと、漉磯先輩は部屋の前で待っていてくれた。
外観を裏切らずに、部屋の中もかなりキレイだった。漉磯先輩自体もキレイ好きな人らしい。キレイですね、って言うと、まあ確かにここはキレイな方かもね、って妙に大人びた返しをされた。
「来て早々申し訳ないけど、二人とも適宜バイトは探してくれよ。いつまでも置いとけないからね」
ちょっとガラの悪い寛軌先輩がなついてるって言うんだから、そこそこガラの悪い人を想像してたんだけど(まあ見た感じはそのイメージで間違いないけど)、何だかかなりスマートな人っぽい。例えば寛軌先輩は『適宜』なんて言葉は使えない。意味も、ニュアンスが理解できてるか、いないか。
漉磯先輩を見て、るんを思い出す。スマートなところを見て何となく連想したのと、適宜って言葉の意味を教えてくれたのがるんだったからだ。
中学生までのるんは、勉強をあんまりしなかった私の知識とか成績とかを、だいぶ引き上げてくれたと思う。寛軌先輩からは、めっちゃ大人な人、って言うあんまり参考にならない物凄ーくぼやっとした説明を受けていたけど、確かにそれは間違っていないみたいだ。感覚的な印象って、案外馬鹿にできないよな、と思う。
顔はあんまりタイプじゃないけど、寛軌先輩よりしっかりしてそうで、何か頼もしい。漉磯先輩の忠告通り、長居しないよう最大限、努力するつもりだけど、ひとまず合わなそうな人じゃなくて良かったなあって思って息が漏れる。
そんな評価を下していたその時だった。漉磯先輩がしゃっ、とカーテンを引いた。向かいの建物が近いなあ、って思いながら見てた景色が勝手に遮断されてしまう。
「じゃ、始めようか」
漉磯先輩が、無遠慮な様子で私に近づいてくる。あからさまにきょとんとしたであろう私の顔を強く見たかと思うと、あれって言って首を傾げた。
「もしかしてお前、このコに説明してないの?」
漉磯先輩の視線を追っかけるように、私も寛軌先輩を見る。ちょっと、ぎょっとした。寛軌先輩がにやっと嫌らしい顔つきになっていた。
「すんません。何か、こいつしか釣れなかったんですよ。断られたら打つ手なかったんで、黙って連れてきました。でも……先輩もこういう方が、よくないすか?」
声を受けた漉磯先輩の顔も、嫌らしい感じになった。つい一瞬、二瞬前まで、スマートな感じだったのに。その顔つきに釣られたような軽薄な声が、漉磯先輩から漏れた。
「無理やりな、感じ?」
地獄の始まりだった。