21~30
21. 乱雑した部屋
クリーニング会社から派遣された清掃員は溜め息をついた。またこのゴミ屋敷か。
足場がないその部屋は、見るに耐えない惨状であった。
空のカップラーメン、脱ぎ散らかした靴下、放置された漫画の数々。リビングだけなら可愛いものだがキッチンや風呂場もひどいものだった。
賞味期限の調味料はもちろん、空いていないキムチや、納豆などの、発酵食品が悪臭を漂わせている。清掃員は思わず顔をしかめた。
しばらく掃除されてないであろう湯船には、カビが繁殖している。
しかしこんなゴミ屋敷は、はっきり言って序の口だ。同僚と一緒に手早く終わらせてしまおう。清掃員達は作業に取りかかり、それは午後まで続いた。ふと違和感に気付く。
先ほど掃除した部屋がまた汚れているのだ。むしろゴミが増えている。なんだコレは!
ゴミはたちまち増えていき、家中を詰め込まれていった。清掃員はゴミ袋の山へ消えていった……。
「部屋の乱れは心の乱れ! 掃除はこまめに!」
というCMがお茶の間に流れてくるのは後の話。
22. 間違えた一歩
目の前に続くのは困難な道。
丸で描かれた部分を渡らなくてはならない。しかも片足でだ。なんて険しい道なんだ。
定期的に両足置いてもいい場所があるが、油断は出来ない。リズムを大事に、テンポよく渡るんだ。 どれくらい時間が経っただろう。二つの丸に片足ずつ置いて休みに入る。既にふくらはぎは膨れ上がり、足の筋肉も音を上げ、骨が軋んでいく。ここまで足を酷使したことはなかった。しかし、越えなくてはならない。
リズムを崩すな、冷静さを保て、この道を渡り終えたら目一杯、足湯に浸かろう。マッサージを受けるのもいいな。
無我夢中で跳ねる、跳ねる、飛び跳ねる!
しかし一気に進んだからか、足がついにもつれてしまった。せっかくここまできたのに……! 諦めたくない。
最後の最後、片足に全体重を持っていき、必死で飛び込んだ。
気付けば、拍手や歓声で覆われていた。訳も分からず倒れたままでいると、興奮気味の女性がマイクを持って、こちらにやってきた。
「おめでとうございます! けんけんぱマラソン初の完走者です!」
23. 理解できない台詞
「あー」「うー」「わん」「くーん」
昼下がり、一人と一匹の会話を楽しむ者。それは私だ。
うちの赤ん坊は飼い犬と仲が良く、いつも私達には分からない会話を繰り広げているのだ。端から見ると微笑ましいもので、彼らも彼らで、彼らなりに楽しんでいるのだろう。
言葉ではなく体や心で通じ合っているのだと思う。
「うっ……ああーん!!」
洗濯ものを干している最中、赤ん坊の泣き声が私の耳に届いた。もしかしてケンカ? あんなに仲が良かったのに!
何事かと室内に駆け込むと、わあわあ泣く赤ん坊とわんわん吠える犬。……さっぱり原因が分からない!
何があったの、とどちらに聞いても伝わらず、立ち往生する私。ああ、私も泣きたくなってきた。ついに私も泣き始め、しゃくりあげながら赤ん坊を抱きしめる。言葉にならない声が口からこぼれてしまう。助っ人として実家に電話し救助を求めた。
なんて情けないんだろう。気のせいか、犬が哀れみの目でこちらを見ている気がした。
24. 待っていたもの
ちょっと買い物行ってきてよ。そう母に言われ、暇を持て余していた少女は快く外に出た。早く早く、と何故か急かされた。
歩いている途中、旧友に会った。懐かしさのあまり話し込んでいたようで、30分近く経っていたことに気付く。目的を思い出した少女は、渋々旧友と別れた。
買い物リストにあるものを、次々かごに入れていく。その時近所の女性と出会った。世間話をしながら一緒に買い物を楽しむ。女性と服のコーナーまで見始め、つい女性のコーディネートに熱が出てしまった。
またもや30分時間をロスしてしまったようで、女性も急いで帰ると言って別れる。
帰り道、歩いていると少女は老人と散歩している犬に懐かれた。たまたま買っていたビーフジャーキーを渡すと、さらに懐かれつい犬とじゃれ合ってしまった。
失礼かと危惧した少女だったが、むしろ微笑ましそうに眺めていた。別れる際、何故かパーティー用のたすきをもらった。
さらに時間が経ち、いい加減怒られると帰宅した。リビングへの扉を開いた瞬間、クラッカーの鳴る音と、飾り付けされた部屋が。
「誕生日おめでとう」
両親の他に旧友、近所の女性が拍手で迎える。全て母が計画したことだったのだ。
皆、少女を祝うために協力してくれたらしい。驚きと嬉しさで、少女の目から涙がこぼれ落ちそうになった。しかしふと、涙が引っ込む。
初対面のはずの老人は何故たすきをくれたのだろう? ちょっとした疑問は目の前のケーキに消え、少女は輪の中に駆け込んでいった。
25. 滴る(したたる)汗
こんにちは、私は氷。あっついね、今年の夏は一際暑いわ。まさに溶けるような暑さね。暑いだけじゃなくうるさいし。蝉がみんみん鳴いててやかましいわあ。
皆、夏はどのようにお過ごしかしら。海行ってる? キャンプやバーベーキューした? あ、花火大会も夏の風物詩ね。
私は商売に精を出してるわ。かき氷にシャーベットアイス、保冷剤。多方面で活動してて夏の間は引っ張りだこよ!
特にお祭りなんかちびっ子に人気じゃない? かき氷。可愛い子供たちのために、命も氷も削ってを差し上げるわけよ。うまいこと言ったでしょ? でも、こんなにやりがいのある仕事はないわ。
美味しく食べてくれたら本望だもの。今日も屋台が開くわ、じゃあ失礼。
いらっしゃい! 何味にする?
26. 黒い人影
影とは、その人自身の分身のようなものだと思っていた。自分の動きを一挙一動真似する変な物体。 黒くて、時に大きくなって、斜めに見えたり、細く見えたり。様々な形状を持ち、いつまでも本人から離れようとしないもの。
しかし目の前にある、このシルエットはなんだ。黒くゆらゆらしている、私と同じ背格好の物体は私の部屋で煙草をふかしていた。
ゆらゆらと紫煙を吐き出している。どうして影が私の身を離れているのか、そしてどうして私の部屋で煙草なのか。
一体なんだ、このふてぶてしさは。私の存在に気付いた影は振り向き、「よっ」と軽い挨拶をするように手を挙げた。いくらなんでも軽すぎる。
ゆらゆらして、どうしてそんなゆらゆらしてるんだ。私と同じ動きをするのが影だろう。早く真似をしろ。私についてこい。
そのような旨を影に伝えても、飄々とした態度を崩さず、煙草を私の机に押し付けゴミ箱に投げ入れた。
くそう、ゆらゆらしくさって。まったく不思議な現象である。
27. 困惑した顔
今日は真っ向勝負だ。苦手なことに突き当たるのは、いわば人生の試練だ。これを克服出来ないとは恥ずべきことだ。真正面から立ち向かうべきなんだ。
今日こそは食べてもらうよ。苦手なブロッコリーを!
これはとある夕食の一コマだ。弟の僕と兄は隣同士で食べるのだが、兄は好き嫌いが多い。高確率で、苦手な食べ物を僕の皿に移す。
そして慣れている僕は、流れるようにそれを兄の皿に返す。
常にと言っていいほど、攻防が起きてしまう。だから食べ終わるのが遅くなるのだけど。そんな不毛な争いを避けるため、僕は遅めに夕食をとることにした。
今、テーブルについているのは兄と母と父だけ。これは移し替えられまい。
兄の目の前には盛り付けサラダのブロッコリーが。眉間にしわを寄せ、顔がひきつっている。手が震えて、持っている箸がカタカタと鳴っている。
しめしめ、日頃の行いだ。覚悟を決めたのか、兄はブロッコリーを掬う。なんと置いてあったカレールーに突っ込んだ! そして勢い良く大口を開けてブロッコリーを食べたのだ。
最初はカレーの味で緩和したと思いきや、やはり食感と味がついてきて非常に不味そうだ。何でもカレーに合うわけじゃないんだから。
ごくっと飲み込んだ兄は、大きくため息をつきながらごちそうさまと食べ終えた。
僕は兄のきてれつな行動と勇気に健闘を称えようと思う。僕は内心で拍手を送った。
28. 今日のご飯
朝、歯磨きと洗顔で覚醒した頭でリビングに向かう。机には母が用意した朝食が置かれている。
空腹で腹の虫が鳴っている彼は、目の前の朝食に意気揚々と席に着いた。
今日の献立はシンプル。ココアとトーストだ。バターが置いてあるので、塗ってから食べようか。彼はバターを手に取る。ナイフでバターを掬い取り、トーストに塗りたくる。
熱で溶け出し、バターがテカテカと照り出す。流れるようにナイフを滑らせ、満遍なく塗ると、トーストにいい具合になじみ始めた。
トーストの香ばしい香りと、バターの独特の匂いが彼の鼻孔をくすぐる。見るだけで食欲をそそる。その上にハチミツを垂らしてみる。
バターの塩気とハチミツ特有の甘ったるさは相性抜群だろう。彼は無意識に口元が濡れていることに気付いた。よだれをつい垂らしてしまったのだ。
眠っていたのではもちろん、ない。
早くこのトーストにかぶりつきたいという欲求の現れなのだ。もったいぶっても仕方がない。彼は大口を開けてトーストを口にするのだった。
「あ、いけね、忘れてた。いただきまーす!」
29. 心地よいメロディ
最近、お気に入りの曲を口ずさむ。以前癖なの、と聞かれるほど自然と歌っていたようで、僕自身驚いたものだ。
機嫌がいいと口ずさむのだろう。歌詞をいまいち覚えていなく、鼻歌になることが多い僕の歌声は、静かな部屋に響いている。
隣にいる君は「下手な鼻歌、不思議と好きだよ」と言ってくれて、リズムに乗るように床を指で叩く。たまに一緒に歌ってくれているのを見て、僕は君と通じ合っているんだと感じる。この小さな演奏会の観客は、きっと僕らだけだ。でも、そんな空間が心地よくてたまらないんだ。
30. 見たことのない文字
これはせいきのだいはっけんだ! 学校の庭を探検していた子供たちは宝を見つけ出した。柔らかい土に面する部分を、シャベルで掘り起こした奥に見えた。それは缶の入れ物だった。
中身を確認すると、紙切れが入っていた。湿った斑点がいくつかあり、大分土で汚れて黄ばんでいる。読もうとしても震えながら書いたような字で全く解読出来ない。
これはなかなかよみとれないもじだ! ぼくらはあらたなれきしをもくげきしたのだよ! 探検隊は万歳、万歳と大きく盛り上がった。
隊長の少年は家に持ち帰り、テレビを見ていた父親にすぐさま紙を見せた。横目に見た父親は勢いよく二度見する。
少年は意外な反応に首を傾げた。そして紙を奪い取り、まじまじと見ていると父親の顔がみるみる赤くなっていくのを、少年は見た。頭を抱え悶える姿は、見たことのない光景で、少年は困惑する。
ねつがでてしまったのだろうか。父親は落ち着きを取り戻したところで、紙を自分の部屋へ持っていってしまった。
結局文字の解読は出来なかったが、今思えば少年にはあの字に見覚えがあり、読める箇所があった。
「出会ったころから、あなたのことが……」
理解すれば早い。とんだだいはっけんをしてしまった。少年は自分の運と父親の当時の純情さにぐっと拳を握り締めた。