3-2
走りだして間もなくだった。
「蒼甫ええええええええ!」
突如背後から蒼甫を呼ぶ甲高い声が響いた。それを聞いたにも関わらず、蒼甫は振り返ることはしなかった。否、できなかった。後ろを向いたら、少しでもスピードを落としたら死ぬと防衛本能が悲鳴を上げている。相手と蒼甫の速さは別次元だが、少しでも長く生きるためには振り返ってはいけないと直感した。
そんな中それは連続した機関銃の銃声の合間に、その音を掻き消すように響いた。天が落ちて来たと錯覚するくらいの急激な背景の変化が起こる。体が地面に叩きつけられた瞬間、自分が何かによって転ばされたと理解した。つま先に少し痛みが走った。
「よく頑張ったな」
そしてそれも一瞬の出来事だった。うつ伏せに倒れた蒼甫の側に人の気配が現れた。顔を上げると、全身黒を基調としたコスプレのような防具で身を包み、悪目立ちする漆黒のヘルメットで顔を隠した何者かが蒼甫のすぐ側で片膝をついていた。ヘルメットで聞き取りづらいが声質からして若い男だと推測できる。それにしてもヘルメット同士の見つめ合う光景はさぞシュールだろう。
「君の足元を掬わせて頂いた。だがそれも君を守るため、許して欲しい。更に安心して欲しい。何故って? それはこの場は俺の独壇場と化すからだ」
すっと、男は立ちがあり、蒼甫が逃げてきた方を見据える。
「俺が気になるか。今はこの世を統べる神々と同等の力を持つ者、とだけ言っておこう」
多分今の人が吉岡の言う仲間、なんだろうな。
「いざ参る!」
きっと強くて、便りにもなる男なのだろう。だがなんだ、この人に関わりたくないという感情が沸々と湧いてくる。あの人は間違いないなく思春期特有の精神状態をこじらせたタイプの人だ。しかも悪い方向に。
「遅い!」
「相変わらず手厳しい。これでも愛する乙女の為に全速力で来たつもりなんだけど」
「なるちゃんに触ったら燃やす。なるちゃんにキモい言葉をかけたら燃やす。なるちゃんを見たら燃やす」
「た、助けに来たのに……」
男の登場で場は拮抗した。むしろ、相手側は異様な緊張感に包まれている。
「さて、このアラヒトが現れた事は何を意味するか、貴様らは理解しているな?」
アラヒトと名乗った男は威圧的な口調で相手を制した。だが相手側は逆に覚悟を決めたようで、お互いを一瞥した後、ゆっくりと身構えた。その表情はまるで自殺をする前の人のように暗く影が差していた。
不意にリーダー格と思われる男が軽く右手を挙げた。その瞬間、猛々しい咆哮をあげながら側にいた二人がアラヒトへ向かって特攻を仕掛けた。機関銃の弾が発射される音と打撃音が交錯する。だがそれもつかの間、すぐに場は静寂に包まれる。
「それが貴様らの選択か」
アラヒトは平然とその場に立っていた。傍らに横たわる二つの体をまるで道端の石ころのように見ながら。蒼甫には何が起こっていたのかは理解できなかった。
「大丈夫?」
気付けば蒼甫の側には吉岡と玉田の姿があった。二人は幾らか被弾したようで服が所々破けていた。だが思ったよりも怪我はしていない様子だった。
「あ、ああ。何とかな。……あれが吉岡の言ってた仲間なの?」
「ええ。思考はアレだけど、多分うちの組織で最強」
「あんなのがか?」
底の浅い組織のように感じてきた。
「あんなのが、なの……」
玉田は深い溜息をついた。しかし二人の表情には不思議と不安や懸念といった感情は現れていない。むしろ全幅の信頼を置いていて安心しきっている様にさえ見える。実際目の前で玉田と吉岡が苦戦を強いられた相手二人を一瞬で伸す程であるからそれは当然なのだが――
「脆いな。貴様らはこの閃光の右手の錆にもならない」
――恥ずかし過ぎて目も当てられない。
「さあ、これが最後。そして貴様の永久の始まりだ!」
某オラオラな主人公がする様な決めポーズを取りながら、アラヒトは高らかに言い放った。蒼甫は全ては風景であると自分に言い聞かせながら動向を見守ることにした。