1-3
「どうしたの?」
「いや、なんかドアが開いたから」
寝る前にしっかり閉めたから勝手に開くとは考えられないが。だが家は築十年、どこか緩んでいたのかもしれない。不思議に思いながらも、ドアを閉めようとドアノブを握った。
「こんばんは〜」
耳元でぼそりと、とても不快な声がした。反射的に声のした方へ顔を向けながら手で耳元を払う。
「どこ見てるんだ?」
今度は振り向いた方向と逆側から声。得体の知れない恐怖心から普段からは考えられない速さで声のする方を向いた。
「だ、誰だお前!」
襟の立ったジャケットに黒いパンツというホスト風の服装をした、金髪で肌の浅黒い男がベッドの上に腰掛けていた。
「会いたかったぜ」
両手を大きく広げ、歓迎の意を示す。何故こちらが迎えられている。
「だから誰だよ!」
「この際それはどうでもいいと思わね?」
「思わねーよ!」
男はひょうひょうとしていて、まるで旧友に会ったかのようにフランクだ。だが行動の節々からいい加減さがにじみ出ている。信用できない。まあ不法侵入している時点で信頼には値しないが。
「いや、それよりどっから入った! 父さんと母さんは!?」
「普通に玄関からこっそり入った。ご両親はしらねーよバーカ!」
「こっそり入るな! 逆切れもすんな!」
「わりと冷静だなあ。つまんねー」
男は大げさに嘆息すると、徐に立ち上がった。そして右手を自分の背に回した。
「あれ?」
落としたかな、ととぼけたように男は言うと、まるでパントマイマーのように体中を弄り始める。少ししてジャケットの胸元に手を入れたところで手を止める。そして蒼甫を見据えると、にっこりと気持ち悪い顔で笑った。むしろ笑顔というより口角を上げて歯を剥きだしただけの変顔。男はその変顔を保ったままジャケットから手を引きぬく。
「じゃあ、一緒に来い」
その手には拳銃。こんなの映画で見たことあるな、と蒼甫は現実離れした出来事に、それを画面の外から見ているかのように呆けていた。自分が当事者という感じは殆ど無い。ただ目の前で起きていることが現実であるとは妙に納得できている。こういう時漫画の主人公なら抗ったりするんだろうか。せめて痛くないのがいい。映画の見過ぎか、半ば条件反射で両手を挙げる。無抵抗の表現。
――それは男の手がゆっくりと蒼甫に伸びたその瞬間に起きた。
「なっ!?」
男が一瞬狼狽したかと思うや否や、背後のガラス窓が割れる音と何かが落ちたような重い音がした。驚愕というよりかはむしろ防衛本能が働いたというべきか、蒼甫は目の前に突き付けられた拳銃の存在も忘れて後ろを振り返った。
また別の見知らぬ男が一人……いや、彼は知り合いだ。ショットガンを構えているし、変な防具に身を包んでいるが、間違いなくそうだ。
「太郎!!」
太郎は蒼甫に目もくれず、早々一発、男に発砲した。鼓膜がはち切れんばかりの音が夜の静けさを引き裂く。至近距離でショットガンの発砲を受けた男は上半身の半分が吹っ飛んだ。硝煙の匂いと血の匂いが混ざる。蒼甫は視覚と嗅覚を襲う悪夢に吐いた。
「ごめん」
背中越しに太郎はそう呟くと、ショットガンを背負い、うずくまる蒼甫の脇腹に腕を入れて強引に担ぎあげた。そしてそのまま窓から飛び出す。太郎は蒼甫よりも背が低いし見た目からして腕っ節が強いという印象はない。そんな男が自分より大きい男を軽々と片腕で持ち上げる。しかも蒼甫の部屋は一戸建ての二階に位置しているが、そこからなんのためらいもなく飛び降りる。異常だ。まるで自分の知っている世界からズレた世界にいるような感覚。
「まだ気分は悪い?」
蒼甫の家から少し行ったところにある公園で、太郎は蒼甫を降ろした。嘔吐物のせいで気持ち悪くなった口を水道で思いっきり濯いだ。
「そうだ、父さん達は!?」
「大丈夫、僕の仲間が避難させたよ」
安心して、と太郎は笑った。いつもと変わらない笑顔に、また違和感を覚える。
「さっきの何なんだよ。お前、なんで銃なんか持ってんだよ。なんで人殺してんだよ!」
信頼していた者に裏切られたように感じた。実際誰も裏切ってはいない訳だが、そう感じた。
「あれは人間じゃない」
吐き捨てるように太郎は言った。
「化け物だ」
「はっ? あれが化け物だって?」
「そうね、化け物」
公園の街灯の届かない暗がりの方から女性の声が聞こえた。蒼甫は一瞬身構えるがそれを太郎は左手で制した。
「大丈夫だった?」
「外村……先輩?」
街頭に反射して艶めく髪、その凛々しい佇まいは確かに外村先輩だった。自分の置かれている状況がどんどんわからなくなる。
「名栗君、災難だったわね」
「え、ええまあ」
「太郎が間に合あってよかった」
何気なく先輩は太郎を呼び捨てで読んでいた。しかも口調がいつもより乱雑だ。もしかしたらこれが素の先輩なのかもしれない。
「あの、二人は何をしてるんですか? 俺はどうなっちゃうんですか?」
「そこ、気になるわよね」
不敵な笑みを浮かべて、先輩は続ける。
「私達と一緒にくれば、全部教えてあげる」
そう言うと右手を蒼甫に差し出した。そして、今度は先程とは打って変わって屈託のない笑顔で、とって、と言った。その笑顔に魅入られたかのように、否、実際魅入られていた蒼甫は右手を取ろうとした。
「待ちなさい!」
飛んできた石が外村先輩の手を弾いた。チッ、と外村先輩は舌打ちをして後ろに飛び退いた。それをきっかけに蒼甫は我に返った。
「そいつは私達が預かる!」
「吉岡!?」
そういえば電話をかけっぱなしだったことを今更思い出した。だが、電話での事を心配して駆けつけてきた訳ではないことは明白だ。
「あら、相良さんのとこの子犬さんじゃない」
「どうとでも言えばいい。でもそいつはこちらに渡してもらう」
「助けたのは私達よ?」
「私達は昨夜の接触の後からそいつの家を包囲して、周りの安全を確保していた。あとはゴーサインを待つだけだった。それにそいつの両親を保護したのは私達」
色々不可解な言葉が発せられるが口を挟める雰囲気ではなく、一度開いた口をゆっくり戻す。
「上の許可を得なければ動けないのね。その間に名栗君が死んでいたら?」
口を挟む以前に簡単に物騒な単語が飛び交うその会話は到底蒼甫にはついて行けなかった。
「それは絶対ないという確信が――」
「絶対なんて有り得ない。それってあなた達が一番わかってることじゃないの?」
吉岡が押し黙る。その表情をみた先輩は勝ち誇ったように妖艶な笑みを浮かべた。それを睨む吉岡の目は悔しさに満ちていた。
話を聞いていた蒼甫は自分が何故渦中にいるのか考えるだけで精一杯だった。ただ、一つ言いたいことがある。
「お、俺を取り合って争うのは止めて!」
下心など断じて微塵もない、心から出た言葉を放った。月並みな表現だが自分が原因で誰かが傷つくのは耐えられなかった。ただ、その本気度と相反して余りにもお間抜けな台詞に先輩は堪えきれず吹き出した。それに続けと言わんばかりに太郎も笑い出す。
「……毒気抜かれちゃった」
結果として丸く収まったことに吉岡は少々不満気だった。
「どうせここも囲んでるんでしょ。結局渡すしかないみたいだし。ただし預けるだけ。そこ間違わないでね?」
いくわよ、タロウ。そう小さく言うと先輩は薄暗闇へと消えていった。
「太郎、俺はどうなるんだ?」
危機感を持て。太郎は口癖のように常日頃言っていた。いつも警告していた。それを冗談と聞く耳持たなかった以前の自分を悔やむ。
「大丈夫だよ、ソウスケ」
「でも……」
「大丈夫。ヨシオカを信じて」
太郎は吉岡に目配せする。それに対してぷいとそっぽを向いた吉岡に太郎は苦笑した。そして蒼甫に小さく手を振ると、駆け足で先輩を追って行った。残ったのは蒼甫と吉岡の二人。普段からすればなんとも奇妙な組み合わせだ。
「今すぐ何かしろなんて言わない」
二人が去った後訪れた静寂を終わらせたのは吉岡だった。
「でも、一緒に来てもらう。それが一番安全だから」
「俺は何が起こってるのかわからない」
でも、親友は言った。彼女を、吉岡を信じろと。彼女が言った通り今すぐ何かするのは無理だ。
「でも、あいつは、タロウは信じられる。だから、ヨシオカも信じる」
「ありがと」
小さい声で吉岡は確かにそう言った。その後すぐそっぽを向いたが、これは照れ隠しなのだと気づいた。それが物珍しくておかしくて、蒼甫は少し笑った。
「……先行く」
「え、ちょっと!」
「知らない」
ずんずんと遠ざかる背中を、蒼甫は必死に追いかけた。