他人に迷惑かけずにさっさと死ね
後半は自殺方法についての記述がありますので、多少グロ表現が含まれます。
申し訳ないですが、苦手な方はバック推奨です。
『自殺のために包丁を買ったが自殺をためらい、死罪になるために通行人を殺した(うろ覚え)』というのがニュースになった。
筆者の家にテレビはないのでどれほどのニュースになっているかは存じないが、そこでのコメントがふと目に付いたので少し文にしてみようと思う。
「他人に迷惑かけずにさっさと死ね」
一見、普通のコメントに見えるかもしれない。
確かに現代日本では殺人は禁忌としているため、正論であるし至って普遍的なコメントだ。
しかしそれは【殺人事件】という面しか見ていないのではないかと筆者は思う。
動機に注目するともう1つの側面が見えてこないだろうか?
「自殺をしようと思ったができなかった」……つまりこれは【殺人事件】であると同時に【自殺未遂事件】でもあるのだ。
自殺する動機について、ここでは深く考察しない。
あくまで本題ではないが、簡潔に述べると「環境に適応できずに死んでいくのは自然界ではごく普通の結末だ」というのが筆者の考え方である。
話を戻そう。筆者も自殺について考えることは多い。
まず読者に誤解してほしくないのは、多くの自殺願望者が「死にたい」と思っているのではなく「生きたくない」と思っていることである。
生きているのがどうしようもなく辛い、だから生きていたくない、というのが自殺願望者の考え方だ。
決して「天国に行きたいから死にたい」「神様と会ってみたいから死にたい」とかそういう理由で自殺願望者になるわけではない。
(決してないとは言い切れないが、そういう者は躊躇いなく自殺することができるはずなので自殺“願望”者とは言えないだろう)
もう一歩 踏み込んで考えてみよう。
痛みとは動物が死なないために存在するものだ。ならば、死ぬ間際に多大な痛みを伴うのは当然と言える。
では例えば「神様に会うためなら少しの痛みぐらいは我慢できる!」と喜々として自殺するなら、自殺に伴う痛みを我慢できるだろう。
しかし「現実が辛いから生きていたくない」というある意味では現実逃避しようとしている人間が自ら痛みを伴う行動をおこなえるのだろうか?
答えは半々だ。
すでに死んでいる者は「痛みを伴ってでも死にたい」という想いがあり、まだ生きている者は「そこまでして死にたくない」という想いがある。
件の容疑者も、そしてまた筆者も後者であることは言うまでもない。
自殺願望者がまず第一に考えることは「痛みを伴わない自殺方法」だ。
痛みを伴わない自殺……のみならまだ思いつくのだが、他人に迷惑のかからないという条件を加えるとなかなか見つからない。
驚くべきことに、人は首を斬られていても数十秒は生きることができるらしい。筆者は医学者ではないので詳しくはないが、首を斬られても脳活動を維持できるだけの要素(酸素や栄養素)が微量で残るからだろう。
そのため痛みを感じさせる原因である神経をマヒさせてから死ぬのが簡単とも言えるが、それらの薬は医師を介さなければ合法で手に入れることはできない。しかし現在の法律に照らし合わせれば一般人に許可が出ることはありえないので、実質的にはこの方法はとることはできないだろう。独自入手ルートがあるのなら別だが、やはり一般人には無理な話だ。
首を斬っても痛い、神経薬は手に入らない……となれば、筆者にはもう頭蓋を粉砕するぐらいの方法ぐらいしか思いつかない。
しかし考えれば分かることだが、頭蓋を粉砕などすれば色々と飛び散る。
電車に飛びだしたり、またはマンションなどから飛び降りることで方法としては可能だと筆者は考えるのだが、電車はもちろん他人の所有物だから汚せば迷惑がかかるし、マンションを所有している者が自殺など考えないだろう。やはり他人の物であるからして、汚せば迷惑がかかる。
いちおう他人にハンマーで叩き割ってもらうことでも方法としては可能だが、現在の法律で「自殺の手伝い」は罪に該当するので迷惑はかかる。そもそもそんな方法では力の加減次第で骨だけ折れて生きてる……なんてこともありえるので、筆者としては無罪であってもオススメはできないのだが。
結局、現在考えうる手段では「痛みを伴わずに迷惑をかけるか」「痛みを伴って迷惑をかけないか」の2択である。
2択である以上、前者の考え方をする者が出てもおかしくはないだろう。というか、飛び降り自殺などはわりと有名な自殺方法でもある。
前者の考え方をする者の中から、件の容疑者のように「どうせ迷惑をかけるのなら どれだけ迷惑をかけても……」と考えても不思議ではない。まあ現在の死罪は絞首刑が主流のはずなので、区分としては首吊り自殺とあまり変わりないのだが。
別に、筆者は自殺のための犯罪を推奨しているのではない。ただ、「こう考える人もいるだろう」という話をしているだけだ。
このニュースを見て「その手があったか!」という人がいたらどうだろうか。ましてや流行のようになったらどうするつもりなのか。
その時になってから対策を考えたのではあまりにも遅すぎる。パトロールを増やしてどうこうという問題でもない。
安楽死に使われる薬を限定的に販売するという犯罪に走らせない方法がある。カウンセリングを強化するなど自殺願望者を減らす方法もある。
もちろんそれで全て解決とはいかないが、タイトルのように一言で切り捨てられる問題ではないことは確かだ。
あなたもどうか、他人事と思わないでほしい。
クラスメイト、あるいは同僚などで1人飯を食べている人をみかけないだろうか。あるいは友達や家族で悩み事をしているような人はいないだろうか。
その人がもしかしたら自殺したいと思っているのかもしれない。そして罪を犯したいと考えるかもしれない。
そうして罪を犯したとき、やはり本人が一番悪いのだろう。しかしあなたには全く責任はないのだろうか?
責任のありかを問うてるのではない。
もしかしたら、あなたの行動が犯罪の予防になるかもしれない。それだけの話だ。
ここまで読んで、どう考えるのかはあなたの自由。
だが、そこで出す結論が浅慮でないことを筆者は願う。
著:ビークル