こんな日常(一)ヘリクス視点
言うなれば、それは少しのいたずら心と少々のお節介から仕向けたことだった。
「それでね、陛下ったら酷いのよ」
『そのうち戻る』という書置きと共に国のことは後継者に指名したギードに勝手に任せ、可愛い妹のいる国・レストアの王城へやってきて数日目の午後。
日課にしている二人でのお茶の時間にティアがぷっくりと頬を膨らませてすねた表情でそうぼやいた。
基本的にこのお茶の時間になされる話題は互いの近況のことだったり何気ない日常のことだったり昔のことだったり。様々だけれど、なんだかんだで一番多いのはティアによる、もう惚気話にしか聞こえない内容の、義弟に対する愚痴ではないだろうか。
やれ一度捕まったら放してもらうのに苦労するだの、やれ心配性で口うるさいときがあるから困るだの。
もともとお喋りな妹ではあるけれど、わりと赤裸々に、おそらく怒りとは違う理由で顔を赤らめながら話される兄心は、かなり複雑だ。
とくにティアが私の、本当の意味で“妹”であったころは、恋愛事には全くと言っていいほど興味を示さず、『私には兄上がいるからいいの』と言っていたほどだったから余計に。
まったく。この子がこんな恋をすることになるとは思わなかった。
つい小さく苦笑を漏らすと、それを聞き取ったティアに「兄上。聞いてらっしゃる?」と責められてしまって、私は取り繕って首を傾げてティアの話を促す。
「で、何が酷いって?」
「だからね、昨日マリアが結婚した後の話をしていてね、そうなったらマリアはオードラン公爵邸で暮らすことになるらしいんだけど、昔から付き合いがあるし屋敷の人たちは皆顔見知りだから何も問題はないと思うって。ほら、私がアブレンにいる間もマリアにはあちらで過ごしてもらっていたほどだし。でね、それなら私はちょっと寂しいなっていう話と一緒にね、夜、陛下に、それにしてもまさかマリアとアルフレッド様が昔から親しくしている仲だったとは全然気づかなかったわってぼやいたの。そしたら陛下ったらね、
『マリアがアルフレッドのことを“アル様”と呼んでいる時点で気付くだろ。普通は』
って呆れかえった目で私を見ながらそう言うのよ。でもそんなの、マリアだけなんて私が知るわけないじゃない。一部の侍女たちはそう呼んでるのかなとか思わない?」
「……うーん、と」
どうやら真剣に同意を求められているらしく、できることなら私としてもそれに応えてあげたい。
けれど、
「えっと……、何かしら、兄上」
「彼の言う通り、影で勝手にというならそういうこともあるのかもしれないけれど……、本人に対して直接そう呼んでいるのならばそれなりに親しい関係と充分察することが出来たんじゃないかな」
「……それはそう、かもしれないけれど」
「前から言っているけれど、自分の身を護るためにも、もう少し君は目の前の出来事から些細な情報も読み取る力を身につけなさい」
「……はい。兄上」
しょぼんと素直に頷いたティアも実は自分の失態にうすうす気が付いてはいたのだろう。
「勿論、私にとって君のそういう無暗やたらと人を疑ってかからないところはとても好ましいと思うけどね」
むしろ好ましくないところなどあろうはずもなく、どこをどう切り取っても可愛くてたまらない妹なのだけれども。
「本当?」
私の慰めの言葉に半信半疑というようにそう尋ねてくるティアへ、微笑みこくりと頷く。
すると、ティアは嬉しそうに頬を綻ばせ、だけど次の瞬間何かに気が付いたように再び頬を大きく膨らませてしまった。
「そうよ! それだわ」
「ティア?」
「あの人はそういうフォローが全くないんだわ! いつもいつも、愛想なく人を馬鹿にした物言いばっかりで、私を褒めてくれるってことがないのよ。私がどんなに王妃として頑張っても着飾ってもしれっとしてて……! 無理やり評価をねだっても『いいんじゃないか』って言ってくれるのがせいぜいだし。もうっ! 一度でいいからぎゃふんと言わせてやりたいっ」
「あーー……、うん」
正直、はた目から見える分だけでもあれだけ普段彼を振り回しておいて何を言っているんだと思わなくもない。
確かに義弟に愛想というものはまったくもって見当たらず、だけど、だからこそその『いいんじゃないか』というのは彼なりに最大限の誉め言葉なのではないかと思うのだけれど。
まあそれを傍観し、時に煽って愉しむことで、普段ティアを独り占めしている彼に対して憂さ晴らしをしている身としては庇ってやるつもりなど毛頭ないが。
「どうしたら陛下にぎゃふんと言わせられるのかしら? 陛下の嫌いなもの……。女の人、を近付けるのは私が嫌だし、甘いものを口に押し込んでみたり、真正面でずっと喋りとおしてあげるのは、……うんざりはされても何かが違う気がするし」
一泡吹かせる方法をうーんと腕を組んで考え込むティアを眺めながらゆったりと目の前のお茶を口に運ぶ。
そこへ、「陛下」とアブレンから連れてきている護衛の一人が私の傍へ歩み寄ってきて跪き、耳元でアブレン側から寄こされた伝言を伝えてくる。
それを聞き終え。
「陛下。使者にはいかが伝えましょう」と指示を仰がれるその傍らで「どうにか陛下を見返す方法……」と呟くティアの声が聞こえてきて。
そういえば、と。ふと、ある疑問が頭に浮かぶ。
手早く護衛に言づてを託して追い払い、もう一度ティアへと向き合った。
「ティア」
「はい?」
「君は、普段も彼のことを“陛下”と呼んでいるのかい?」
「? ええ。そうだけど、何か?」
「思ったのだけど、私も一応アブレンでは“陛下”と呼ばれていてね。少々紛らわしいな、と」
「そういわれればそうね。言語が違うからあまり気にはならなかったけれど」
「双方から“陛下”という呼称を聞くことになる私としては少し複雑でね。そこで提案なんだけれど、一度、彼のことを名前で呼んでみるなんていうのはどうかな?」
「名前で?」
きょとんと目を丸くしたティアがぱちぱちと瞬きをする。
「そう。要は彼を動揺させたいんだろう? 絶対に少しくらいは吃驚すると思うんだけど」
「そうかもしれないけど、いえ、確実に嫌がられるとは思うんだけど、それは違う意味でというか、えーーと……」
何か引っかかることでもあるのだろうか。
どこか気まずげに人差し指で頬を掻くティアの顔は段々と俯き、声が萎んでいく。
そのことを少し不思議に思いながら、それでも。
「いつまでも陛下だと他人行儀だ。さっき話していたティアの侍女の話だってそうだけれど、本来呼び方一つで親密さが分かるというものだよ。ティアが誰よりも彼と親しいはずなのに」
「……そう、ね。考えてみるわ」
考え込むように、重々しく頷いたティアの声には躊躇いと、なんだか拗ねたような、かつ何故だか悲し気な響きが宿っていたのは少し気になったけれど。
次の日のお茶の時間。
その何故か弱弱しい反応しか見せなかったティアへの違和感は案の定というか、どうやら杞憂に終わったようで。
行儀悪く目の前のテーブルに突っ伏し「何秒かだけ固まらせることには成功したけれど、とんでもない返り討ちにあったわ」と嘆く妹の姿がそこにはあって。
ぐったりと疲れ果てている妹を前に、なんとくなくこの結果が予想できていた私は、「すまない」と心の中で謝罪しながら、それでも満たされ、幸せそうな日常を送る愛しい妹の姿にやっぱりただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。