ティア姫の大冒険(三)
「どうですか? お店のほうは」
女の人が、挨拶ついでのように穏やかな声音でそう尋ねる。
「ああ。今、この子たちがお買い上げしてくれたところだよ。順調さ」
おばさんが、私たちを見ながら大きく笑って、女の人は「そうですか」とにこりとにこりと口角を上げた。
「そういえば……、件の盗人はつかまりました?」
「全っ然。尻尾一つつかめやしない。まったく困ったもんだよ。この前もベニートが被害に遭ってね。治安がいいのがこの街の自慢だったっていうのに。ここのところ、イコル地区での被害が連続してるから、今夜から男どもでその辺を見回りしようかっていう話だよ」
「そう、ですか。大変ですのね。うちも協力できればいいのですけれど……」
「いいんだよ。今のところはうちの旦那たちに任せとけば。そこの坊やたちがおっきくなったら頼むけどね」
「ええ。その時は役に立たせてもらおうかしら」
そして、「それでは」と小さく会釈をした女の人に付いて、深く俯いて黙りこくっていた男の子と他の子たちもぞろぞろと去って行った。
「あの人は? アブレンの人間ではありませんよね」
「ああ。そうだよ。とは言ってももう祖国に帰る気はないらしいけどね」
彼らの後ろ姿を見送っていた私は、兄上たちのその会話に視線をおばさんと兄上に戻す。
アブレンは、陸路にも海路にも恵まれていて、貿易も盛んであることから異国の人間が多く出入りしているときく。だから、別にさっきの女の人の蜂蜜色の髪も、周りを見た限り、そんなに珍しいわけではない。
けれど、きっと兄上が気にかかったのは、
「じゃあ、あの子たちは?」
どう見ても、アブレン寄りの血を思わせる私たちと同じ黒髪のあの子どもたち。
血のつながった親子……、とは考えにくいし、それに……。
「ああ。あの子たちは全員ソフィーさんが引き取った身寄りのない孤児たちさ。あの人自身、故郷で旦那さん亡くしたらしくってね、家族が欲しかったんだって。でもあんな5人も引き取って、面倒見て。その上、他の奉仕活動にも熱心な人でね。本当、出来た人だよ」
「へー」
よく分からないけれど、それはとても偉いことらしい。
だけど、そんなことを思っている私の隣でまだ兄上の質問は続く。
「あの人はどうやって生計を立ててるんですか?」
「あはは。子どもが変なところ気にするね。なんでも旦那さんがいくらかお金を遺してくれたらしいよ。それに孤児院から子どもたちを引き取ってるから、毎月国から補助金も貰えるらしくてね。まあ、そこまで不自由はしてないみたいだよ」
「そう、ですか」
「まあ、それはいいけどさ、そんなんで今、ここは少しばかり物騒だからね、もう日も落ちてきたしあんたたちも早く家に帰りな」
おばさんが心配げに言った言葉にえ? と空を見上げると、いつの間に時間が過ぎていたんだろう。お日様がオレンジ色になって傾いていて、もうすでに街は薄暗い。
お城を出たのはお昼前だったはずなのに。
「あんたたち初めて見るけど、うちはどのへんだい?」
「家はあっちだけど……、私たち、家には帰らないのよ。今、冒険中だもの」
「は?」
私の言葉へと返されたおばさんの訝しげな疑問符に、兄上が少し慌てたように口をはさんだ。
「えっと、ちょっと事情があって家出中なんです。少し、家には帰れなくって。あの、この辺でいい宿とかあったら教えていただけませんか?」
「えっ、嫌よ。兄上、私、野宿がいい」
「それは絶対にだめ」
「家出だって? どんな事情があってもそれはよくないね。野宿も宿屋もどっちもダメだよ。さっさと家に帰りな」
「でも! 私、絶対にまだ帰りたくないの!」
難色を示したおばさんに、私は咄嗟に声を上げる。
今、お城に帰ったら、もうきっとこうして外を出歩けることなんてないわ。だから……。
そんな私の必死な思いが伝わったのだろうか。しばらく難しい顔をしていたおばさんが、一つため息を吐き出して「それなら」と私たちを交互に見る。
そして、兄上へと、
「それなら今夜はうちに来るかい? あんたもこんなお人形みたいに可愛い妹連れて宿屋に泊るのも不安だろう? どうだい?」
「いえ、でもそれは……」
「え!? いいの!?」
「ティア!」
「だって!」
野宿もいいけれど、城下の、普通のおうちというものにも行ってもみたい! 野宿は明日の楽しみにとっておいてもいいわ。うん、そうしよう。
そう思う私に、
「遠慮しなくていいんだよ。それに、何かあったのかね……。今日は余計に城の兵たちがこの辺をうろうろしてるしね」
それは!
もしかしなくても、父上が私たちを探すために出した兵たちだ。
「兄上!!」
まだ見つかりたくなんかないのに!
私は、蒼褪めながら兄上の服を引っ張って懇願する。
そこでようやく兄上は迷うようにした後、仕方ないと言った様子で頷いて。
「もう少しで店は畳むから待っておいで」
私たちを見て言ったおばさんのその言葉に、私は大喜びで、兄上はなんだか躊躇った様子で、それでもおばさんには上辺は笑顔を作りながら「ありがとう」とお礼を言って、そしてその日は二人でおばさんのおうちに泊まることになった。
そして、おばさんのお家で初めて食べる庶民流らしい素朴で美味しい夕食をご馳走になった後。
「ねえ、兄上」
「ん?」
「もしかして怒ってらしゃるの?」
「何が?」
「うーんと、ここに泊まりたいって言ったこと?」
おばさんから「今日はここで休みな」と通された部屋で、私はベッドに腰かけて、クッションを抱き締めながら兄上の反応を窺う。
「そんなことないよ」
「でも、」
兄上はそう言うけれど、私が兄上のことで分からないことなんてないのに。だって、あの後から、いつもよりも少しだけだけど兄上の笑顔が作っているように硬いわ。
私が納得できず、むぅっと兄上を見詰めると、兄上は観念したように、苦笑を浮かべながら白状する。
「こうして城の外で夜を過ごすのは初めてだし、その上ティアも一緒だから。多分、おばさんは僕たちが安い宿屋を探してるんだと思って誘ってくれたと思うんだけど、お金はあるし、どちらかというと僕は用心棒のいる宿屋の方に泊まりたかったんだ」
「もしかして、怖いの? いつも付いている護衛がいなくて不安なの?」
つまりそういうことね! と私が問うと、兄上はばつが悪そうに、苦笑のまま私の頭をぐしゃりと撫でる。
でも、何かに不安を抱いていらっしゃる兄上なんて、なかなか見れるものではないから、そんな兄上に、私は得意になって人差し指を一本、ピンと立てた。
「私は怖くなんかないわ。侍女のエバに“これから怒られるぞ”ってときのほうがよっぽど怖いもの」
「警戒心がなさすぎだよ」
「でも、でもね! 今日、城下を初めて歩いてね、こうして、沢山の人とお話出来て思ったの。『レイトの大冒険』の中では怖い人も出てきたのに、この街の人は皆いい人ばっかりだなって。ちょっと物足りなくも感じたけど私ね、嬉しかったのよ。あぁ、ここが父上の守る国なんだなって」
私は、すぐ横にある窓へと視線を向けて、外の景色を見ながら「ねえ、兄上」と声をかける。すると、兄上が「ん?」と返事をした。
「ここはとても素敵な街ね」
「……うん」
暗い闇の中に、周りの家々から漏れる灯りがぽつりぽつりと見える。王城で見ていた時は、キラキラと小さく輝いて見えるだったのに、こうして間近にあると、人々の息遣いを直に感じるようで、どこか温かくて、私はその景色にぼんやりと魅入っていた。
そんなとき、
小さく扉が開くような音が聞こえた。何だろう? と、窓に寄って覗き込むように見下ろせば、さっき夕食を一緒にしたおばさんの旦那さんが裏口から出てどこかへこっそり消えていく姿が見えた。
これから、昼間話していた盗人が出ないか、見回りに向かうのだろう。一緒した夕食の時にもおじさんがその話をしていたもの。
私はそれを理解しながら、同時に、昼間少し気にかかったことに思い出した。
だから、
「兄上。兄上は、あの人のことどう思う?」
私はこの胸に再び広がって来たもやもやの正体を確かめるように兄上を振り返りながらそう尋ねた。
「あの人?」
突然の問いかけに、兄上が訝しげに眉を寄せて尋ね返してくる。
「えっと、あのたくさん子どもを連れてた……そう! ソフィーさん」
「ああ」
「あの人ね、私、なんだか……。はっきり言って嫌な感じだなって思ったの。いい人だっておばさんは言っていたけれど、笑い方がまるでお城で駆け引きをしている貴族たちみたいに嘘っぽくて、好きじゃないなって」
兄上もそう思わなかった? と首を傾げると、私は少しだけ厳しい顔をして。
「ティア。よく知りもしない人のことを悪く言うものじゃないよ」
「ごめんなさい。でも……。兄上だって、気にしていらっしゃったじゃない」
「それはそうだけれど……」
「ほら」
「でもティアが気にすることじゃないよ」
嗜めるような、いつもと同じく何か思うところがあるくせに私を深く関わらせようとしない兄上の態度に頬を膨らませると、兄上は「ほら、もう遅いから今日はもう寝よう」と言って私を誤魔化す。
それでも食い下がるほど彼女のことに興味があったわけではなくて、私は兄上の言葉にハッとして大きく頷いた。
「うん! 一緒に、ね!」
「はいはい」
おばさんに部屋を案内されるとき、兄上と一緒のお部屋がいいか、別々がいいか尋ねられて、私たちは迷わず一緒のお部屋を選択した。
普段ならば、侍女たちの目を盗んでこっそりと部屋を抜け出さなければ夜、兄上の部屋で過ごすことなんて不可能なのに、今日は誰に気兼ねする必要もなく兄上と一緒に眠れるのだ!
こんな嬉しいことなんてないし、それに、なんだかんだ言っても見知らぬ場所で一人で過ごすというのはやっぱり心細いもの。でも、その点、兄上がいてくれれば安心だ。
私が先にベッドに入って「早く早く」と急かすとやれやれと肩をすくめた兄上が隣にやって来て、私はすかさず兄上に抱き着く。兄上はそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
「ねえねえ。明日からはね、海を目指しましょう? 早く見てみたいな。水が大きく広がる光景。青くキラキラ光っているように見えるんだって先生は言っていたの」
「……ティア。だけど、」
「水が寄せては引いていく“波”というのはどんなものかしら。私、船にも乗りたいわ。他の国にも行こうね。兄上」
私がそう言うと、兄上は曖昧に小さく笑う。
初めてのお城の外。
「今日は疲れているだろうから早く寝なさい」と兄上は私を促すけれど。
ずっと憧れ続けた場所にいるという未だにどこか信じがたい現実と、明日からの希望に浮かれた私にはその夜、中々、眠りが訪れなかった――。




