八、こちらとあちらの立ち話
あ、陛下だ。
城の中庭で花々と戯れながら優雅に散歩をしていた私は、そこを囲むように通された回廊を歩く彼の姿を見つけてついついうっとりと眺めてしまう。
その相変わらずな美しさはこの庭に咲く花々にも引けをとらないのではないだろうか?
どうやら私の美しい物好きは、物だけに収まらず人にまで及ぶらしいと知った今日この頃。
いいわねぇ。目の保養になるわ。
私はまるで眩しいものを見るかのように目を細めて、そんな彼を視線で追った。
私がプラチナブロンドの輝く国王陛下を密かに観賞し始めてからもうすぐ半年が経つ。
国王と側妃。
つまり夫と妻という関係だけれど、結局私たちは初日の謁見の間での顔合わせ以来、一切関わっていない。
全く用がないわけだしね。
きっとあちらはもう私の存在すら忘れていることだろう。
まぁ、それでもこの生活が保障されているなら全然構わないけどね。
「また見ていらっしゃるんですか?」
後ろを歩いていたマリアが私の視線を辿ってそう訊ねてくる。
私は密かに観賞しているつもりなのだがいつも一緒にいるこの侍女にはもうバレバレだ。
「えぇ、綺麗だからね」
目が勝手に追ってしまうのだ。
若干変態じみている気もするが、まぁそこは許してほしい。
綺麗なものを見ることは心の健康にとっても大切なことなのだから。
私が陛下の方に視線を向けたまま、マリアの問いかけに答えていると、陛下の後ろを歩いていたオルスがこちらの視線に気がついたらしく、私に向かって「あっかんベー」してくる。
あいつは子どもだろうか?
私はオルスのレベルに合わせて「イーッ」と返してやった。
「仲がよろしいんですね」
マリアのおかしそうにクスクスと笑う声が聞こえてきて、私は勢いをつけて後ろを振り返った。
冗談じゃない。
「仲がいい? そんなわけないじゃない」
私は鼻息荒く否定する。
全然顔を合わせない陛下と違って、オルスとはたまに城内で鉢合わせたりする。
そのたびに一方的に何かしら絡んでくるのだ。こういう子どもっぽいやり方で。
あいつは一体なんなんだ。
相変わらず見下されていると言うか、馬鹿にされているというか、敵対視されているというか。
「あの陛下大好きバカが勝手に絡んでくるだけよ」
「でもなんだか楽しそうですわ」
マリアは本気でそう思っているのかにこやかに笑ったままだ。
うーん、なんだか変な誤解をされていることが無性に気に食わない。どうしたものか。
「だから違うってば。あんな二言目には陛下陛下いってる人間と私が仲良くなれるわけないじゃない。あいつだって心外だって怒り出すに決まってるわ」
「オルス様は陛下のこと大好きですからね」
もはやそれは周知の事実なのか、マリアはこともなげに微笑んでいる。
好き? ラブ?
「え? やっぱりあいつそっちの人間? 本人は否定してたけどやっぱり陛下に? もしかして陛下が積極的に妃をとらないのはそのせいなの!?」
まさかの両想い?
それがもし本当ならば醜聞もいいところだ。
私は期待にワクワクと胸を躍らせ、目を輝かせた。
そんな私にマリアは尚もクスクス笑っている。
なんだ、やっぱり違うのか。ちぇっ、面白くない。
「違いますよ。オルス様は陛下の幼馴染だからですわ。好きというか懐いている、という感じではないでしょうか」
「幼馴染?」
それは初耳だ。
あぁ、でも年の頃合いは確かに同じだしそれでもおかしくはないかもしれない。
「はい。陛下とオルス様とアル様、幼いころはこの王城内で4人仲よく遊ばれていたそうです。今ではあまり想像できない光景ですが」
マリアが柔らかく微笑んだ。ちょっと顔が赤い。どうしたんだろう?
「あぁ、なるほど。だからあの3人は一緒に居ることが多いのね」
必ずしもそうではないけれど、陛下が引き連れているのは圧倒的にオルスとアルフレッドの2人であることが多い。たぶん彼らは腹心の部下と言ったところなのだろうとは思っていたけれど、なるほど。そんな裏事情があったわけか。幼いころからずっと一緒だから絶対的な信頼があるのだろう。
2人も文・武、両方から陛下を支えていてバランスもいい。
「あれ? でも4人? もう一人って誰?」
確か、さっき4人って言ったよね?
その他に陛下と親しくしているらしい人物を見かけた覚えがない。
私が頭を捻らせていると、マリアはサッと顔色を変え、困ったように苦く笑った。
これ以上は聞かないでほしい、そう言っているようだ。
「私の知っている人?」
なんだか意味深なその行動が、さらに私に質問を重ねさせる。
私は身を乗り出して、私よりも低い位置にあるマリアの顔ををジッと覗き見た。
こういう時は他人の気持ち云々よりも自分の好奇心の方が勝るのだ。
うん、我ながらなかなかいい性格してる。
私の勢いに負けたのか、マリアが視線を彷徨わせて、ためらったように口を何度か開けたり閉じたりしてからようやく形のある言葉を発した。
「あの……、」
「ん?」
言いよどむマリアを私はさらに促す。
「もう亡くなられてしまったのですが、陛下のご婚約者様で侯爵家のご令嬢だった方が……」
あぁ。
そういえば側室選定試験の日に情報屋から買った紙にもそんなことが書かれていたっけ。
でも、それは何か言うのをためらうようなことだったのだろうか?
若くしてお亡くなりになったのはかわいそうだけれども、赤の他人の私としてはべつに大したことじゃない。
一応名ばかりでも私が側妃だからマリアは“元・婚約者”の存在に気を遣ったのだろうか?
よく分からない。
それにしてもあの3人の幼馴染ってどんな方だったのかしら? なかなか興味深い。
なんか癖の強そうな彼らの幼馴染だなんて、とんでもなく大変そうだ。
「風が冷たくなってきましたね。中へ入りましょうか」
さらに質問を重ねようとした私に、まるでその話を終えたいようにマリアがそう進言してきた。
「そうね、戻りましょう」
流石にこれ以上嫌がる彼女の口を割らせるのもかわいそうな気がしてきて、続きはまた今度聞き出すことにした。
私の了承にホッと小さく息を吐いた彼女と共に先ほど陛下たちが歩いていた回廊へ進み、そのまま城内へと入った。
しばらく廊下を歩いていると分かれ道になっているところで急にマリアが立ち止った。
そしてちょっと言いづらそうにこちらを見つめてくる。
うるうると潤んだその瞳の持ち主は小動物のようで可愛らしいと思う。
「あの、わたくしちょっと用がありますので申し訳ありませんがエリカ様一人でお部屋に戻っていただいても構いませんか?」
「え? いいわよ。私は一人で大丈夫だから行ってきて」
「ありがとうございます。しばらく戻れませんのでベティーさんにもよろしくお伝えください。ではお気をつけてお戻りくださいね」
私の了承にマリアが少し控えめな口調でそう言いペコリと頭を下げ、私の部屋とは反対の方向へと進んでいく。
私は一人ポツンと残された。
最近はこうやって城内を一人で歩くことも多くなった。
まぁもう迷うこともなくなったしね。侍女たちが心配することもなくなったのかもしれない。
私はそのまままっすぐ部屋へと戻る。
敵の侵入を阻むためなのか入り組んだ城の中を右に曲がり左に曲がりしていると、ようやく私に与えられた部屋へと続く最後の曲がり角までやってきた。
そこでなにやら人が話す声が聞こえてきて私は思わず足を止めた。
「ですから……ぇ……」
ん? なんだ?
どうやら私の部屋の前で話しているらしい。
なんだかあまり穏やかではない空気を察知して私は角から体がはみ出さないように、でもしっかりと声が聞き取れるように出来るだけ近寄って聞き耳を立てる。
すると私の筆頭侍女であるベティーと若々しさを失った男の声が聞こえてきた。
「まったく、オードランの若造にはだまされたものだ。聞けば陛下は一度もここの側室の元へ通ったことがないそうじゃないか。なんのための側室だと思ってるんだ。陛下の気も引けない役立たずならさっさと城から追い出せ!」
「そんなことはありません。どこからそのようなことを聞いていらしたんです」
「まだ嘘を言う気か!」
「嘘ではありません!! ちゃんと陛下はこちらにおいでになられています」
「ほぅ、それはおかしいな。城勤めをしている者たちの話を聞くに一度もその光景を目の当たりにした者はおらんのだそうだが。それどころか言葉を交わしている姿を見た者もおらんそうだ」
「ですからっ!」
「やはり試験で決めたのが良くなかったのかもしれん。こんな状態ならうちの娘の方がもっと上手くやれたであろうに。今からでも遅くない。陛下には……」
私はそこに立ったまま口元を両手で押さえて呆然としてしまった。
まずい。
名ばかりの夫婦なのがバレてるじゃないか!!
アルフレッドが手を回してくれていると聞いていたけれど、人の口に戸はたてられぬ、よね。限界があったんだ。
このままじゃ私は城を追い出される。
まずい、まずい、まずい!!!
なんとかしなきゃ。
また庶民に逆戻りさせられてしまう。
優雅な生活ももうお終いなの? また働き詰めの毎日?
折角、荒れ果てた手が綺麗になったのに!
そんなのイヤーーーー!!
とりあえず陛下だ!
彼に協力してもらうしかない!
なんとかして表面上だけでも取り繕わなければ!
彼にどうにかしてもらわないと私の未来はない。
とにかく陛下に直談判しなきゃ!
私は慌てて身をひるがえし、陛下の執務室目指して一心不乱に走った。