ヘリクスの「ランベールと語る昔話」
雲一つない、よく澄んだ青い空に、白い鳩が一斉に放たれる。
同時に鳴り響くのは、祝福の鐘の音。
ヘリクスはその鐘の音を聞きながら、白い花嫁衣装を着た“妹”が伴侶となったレストアの王と共に多くの人々に取り囲まれているのを遠目に見つめていた。
幸せそうに笑うその姿を焼き付けるように瞳を伏せて、ほんの少しだけ複雑な思いをそっと小さな息に乗せて吐き出す。
そんな時、背後の方で芝を踏み、人が近づいてくる気配がした。
「どうかしたかい?」
気配の主が背後からそう問いかけてくる。それが誰のものかは分かっていて、静かに隣に並んだランベールを見ぬままに、ヘリクスは「いや」と首を左右に緩く振った。
どうもしてはいない。ただ、……。そう。ただ、思い返すだけ。
「だけど、少し意外だったかな」
そこで再び聞こえてきたランベールの、どこか苦笑交じりの言葉に。今度は彼の方に顔を向ければ、そこには昔と変わらぬ食えない微笑みを浮かべた姿があった。
「……何が意外だと?」
「ヘリクスが姫をあっさりと手放したことがね。昔は、あんなに男たちが必要以上に姫へ近づかないようにしていたほどだ。だから貴方なら彼女がティア王女の生まれ変わりだと気付いてくれると信じていた反面、今度こそずっと手元にと、そう望んでしまうんじゃないかと、本当は危惧してもいたんだ。ジェルベには悪いと思いながらもね」
「そんなことはしないさ。私は、あの子が泣いてしまうのが嫌だからね。たとえ手放すことになったとしても、幸せを願うよ。あの子の為なら、それでいい」
自分にとってそれが少々不本意であったとしても。
それに対してランベールが感心したように「ふーん」と頷く。
「てっきりヘリクスにとって姫とジェルベのことは面白くないものだと思っていたよ」
「……勿論面白いわけではないけれど」
実際のところ全く面白くなんかない。折角、姿は違えど、大切だった妹がこの世に戻って来たのだ。
それなのに、目を離した隙に……とでも言うのだろうか。ティアがアブレンにではなく、このレストアに生まれ変わって、自分にとっての、ティアとの空白の時間を作ってしまったことを想うとてつもなく気に食わない。
それでも、あの日。
ティアは恨んでいないし兄上のせいではないと言ってくれたけれど、あんな形で死なせてしまったティアの、今度こその幸せを阻む権利などありはしないのだ。
それに、
「“おめでとう”とあの時、あの子は精一杯の笑顔を作って私を送り出してくれたから」
「あの時?」
「私が、彼女とした結婚式の日に」
「……ああ」
過去、妃とした彼女との挙式の日の。今となっては苦痛でしかない記憶のその中で。
「彼女が初めてアブレンにやって来た日から、式の前の日まで、ずっとティアの様子がおかしかったんだ。不機嫌になって、私に近づこうとしなくなって。珍しくふさぎ込んで部屋にも入れてくれない。ティアの侍女たちには私がティアを甘やかしすぎた、当然の結果だと責められる。彼女との結婚をティアが快く思っていないのは明らかで、どうしたものかと思っていたんだけどね」
国の為でもあるし、わかってくれと言い聞かせても、きつく睨み付けてくるばかりのティアが、その裏で一人、“どうしたら良いのか分からないの”と嘆いていると侍女たちから報告を受けながら。ヘリクス自身、どうしようもないその状況にほとほと困り果てて、これは長期戦で懐柔していくしかないかと半ば諦めかけていた式の当日。
もしかすると式に出席することすら拒否するのではないかと思っていたティアが、しっかりと正装を着込んで久しぶりに、部屋から出てきた。
そして、
『おめでとう』
と。『幸せになって』という言葉と共にヘリクスにそう言ってくれた。『私は兄上が大好きだから、やっぱり幸せになってほしいもの』と。
『でも、……私のことも忘れてしまわないでね?』という言葉を添えて。
「どうだい? かわいい子だろう?」
ランベールにそう同意を求めると、ランベールは「ヘリクスとティア王女らしいよ」と小さく吹き出す。
結局、ティアのあの日くれた言葉の通りには出来なかったけれど。
それでも、今、あの日を思い出して漸くはっきりと理解する。
どんな気持ちでティアがそう言ってくれたのか。
だから――、
「今度は、私がその想いを返す番だと思うんだ」
きっと、あの時少しだけ兄離れする決心をしたのだろうティアに倣って。自分もまた、ティアの幸せを願おう。
道を間違え、沢山の過ちを犯してしまったこんな自分だけれど。もう一度、やり直すことが出来るならば。
「……それに、どんなに遠く離れていても、私たちの絆は消えることがないと信じているからね」
「確かに……。距離なんかに消せるはずがない」
そう静かに頷いたランベールに、ヘリクスがふっと笑ったその瞬間、離れた場所からティアの「兄上ー」という声が聞こえてきた。
見れば、ドレスの裾を持ち上げながらヘリクスに駆け寄ってくるところで。
しかし、それはすぐに“走るな”と言わんばかりにレストアの王が腕をつかんだことで阻まれてしまった。
そんな姿を見ながら、
「まあ、それなりに邪魔はさせてもらうけれどね」
と、ヘリクスはクスリと笑みを浮かべる。
幸せは願うけれど、まさか再び会えた妹が、完全に兄離れをしてしまうのはやっぱり寂しいから。
せめてもの抵抗をさせてもらうとしようか。
ティアの隣を譲り渡す、その代わりに。




