面倒な依頼
~アブレンへの旅の途中(第六一話前後)のお話~
「は? アタシたちに、王サマの側妃をアブレンまで連れて行けって?」
父親を通じて新たな王家からの依頼を聞いたオレリアは、このときはっきりとその顔に渋い色を浮かべたことを、今でも覚えている。
「なんで側妃サマがアブレンに行くのさ。あんな危険な国」
「さあな。それは伝えられてない」
「……面倒くさいな。ねえ、それ断りたいんだけど」
まだ父親と二人で旅するのならいくらでも引き受けるつもりはあるけれど、側妃なんてものをやってる人間と道を共にしたくないとオレリアは思った。
オレリアの、側妃に対するイメージなんてアレだ。嫌な意味での女らしさの象徴。特に、今のは元々庶民だったと聞くから余計に。
男を頼って、男に媚びて、そうやって成り上がった女だ。どう考えても過酷な旅を好むような人間だとは思えないし、最悪、手に入れた地位にプライドばかりの高くなった、勘違いの痛々しい女の可能性も濃厚だ。
そんなだからこそ、それに嫌気が射した王はその側妃を友好の道具として、アブレンの王に押し付けるつもりだったりするのかもしれない。いや、それだと余計に戦争勃発か。そこのところは使われ方によるだろうけど、まあどちらにしろ、その女をアブレンまで連れて行く役目を自分が負わなければならないなんて御免蒙りたい。
「ねえ、他の家に頼むように言ってみてよ。ほら、アタシもこれでも女だし、その側妃サマの安全のためにも連れてくのは男連中の方がいいんじゃない? 何かあったときにアタシじゃちょっと頼りないと思うんだよね」
「どの口が言う」
「まあ、アタシもそんな弱いつもりはないけどさ。でも、」
「オレリア。それは多分無理だ」
「なんでさ? 今、空いてるとこ、少しくらいならあるでしょ」
「儂らがいいと国王陛下が直々に指名している」
「は? どうして?」
「さて、な。まあ理由はどうあれ、我らにとって王家の命は絶対だ。一週間後、発つことにしよう」
オレリアとは違い、王家に絶対の忠誠を誓う父親はそれだけ告げ、大きな体を揺らしながら部屋を出て行く。
「……嫌だなぁ。本当、面倒くさい」
残されたオレリアはむぅと不貞腐れながら一人そうぼやいた。
オレリアからすれば、正直言って王家の命なんてどうでもいい。家業は楽しいけれど、実際お目にかかったことのない王になど尽くす義理は感じない。勿論、様々な国を渡り歩くことで、この国の良さは充分に知っていて、だからこそ密偵の仕事には責任感を持っているし、もしもの時だって裏切り者になろうなんて露ほどにも思ってはいないけれど。それでも今回の依頼は何ともイレギュラーだ。
だが、
「……でも、まあ仕方ない、か」
そう、オレリアは諦めのため息を吐いた。
まあ、いいや。
どうせ自分は、その女がどんなのであれ素直に遜るつもりなんてないのだし、とりあえずそれとどんな険悪な関係になろうと、命じられた義務だけ果たせば誰も文句は言わないだろう。
そう、思ったのだ。このときは。
けれど、
いよいよ向かったオードラン公爵邸で、しっかりとした強い意志を込めてこちらを真っ直ぐと見据えながら自分をアブレンに連れて行ってほしいと頼んできたエリカの姿を見て。
自分のそんな考えはただの杞憂だったのだと悟った。
そこには懸念していた甘えも、驕りも、何一つ見当たりはしなかったから。
エリカとの旅は、そう悪いものじゃない。
初めての旅ということで覚束ないところもあるけれど、それでもエリカは必死にこなしていく。
本人曰く、日に日に酷くなっているという自分の姿に嘆きつつもそれでも、この旅がよほど重要なのか弱音は吐かない。
いつも、こちらを煩わせないように頑張ってくれていると思う。
かといって全然大人しいタイプではないらしく、いちいち苦情やらなんやらがやかましくはあるけれど。
そんなこんなで国境を越えて早2か月。
「オレリアー! 花火、綺麗よ。ねえ、一緒にやりましょうよ」
「は? 一人でやれば?」
「それだとつまらないでしょ? 一緒に、ね?」
今日、エリカは立ち寄った街で手持ち花火をねだった。なんでこんなものを欲しがるのかとオレリアが尋ねてみると、今まで一度もしたことがないからだとエリカは答えた。庶民時代のエリカは働きづめでそんなことをする暇もなく、去年は王城にいたこともあって、手持ち花火など目に触れる機会がなく、存在自体を忘れていたのだと。
エリカに促されるまま、オレリアは久しぶりに花火を手に握り、流れる火の粉をぼんやりと見つめる。
父親と、二人きりの旅では絶対にありえなかった光景だ。
「あーあ、もう夏なのね」
「ん?」
ため息交じりに聞こえたその言葉に、オレリアは隣のエリカへと視線を向けた。
「またアイスクリーム食べ損ねちゃったわ」
「アイスクリーム?」
「ええ。レストアの宮廷料理でね、冷たくて甘くておいしい食べ物なんですって。昔、ランベール様に聞いた時からずっと食べてみたいと思っていたのに、陛下ったら自分が甘いものが嫌いな上に、それを作るためにはスルレフ山の山頂から氷をとってこなくちゃいけなくて労力と、莫大な資金がかかってしまうからって、私の食事にも出してはくれなかったの。意地悪でしょう? だからね、今年はドレスを一着我慢してでもアイスクリームを食べられるように陛下にお願いする予定だったのに」
悔しそうに眉をしかめるエリカのその言葉に、けれど、オレリアは“え?”と疑問を抱いて思わず尋ねた。
「昔って。ねえ、エリカっていつからあの公爵と知り合いなの?」
確か、エリカは庶民だったはずだし、それに、さっきだって側妃として王城に上がる前までは働き詰めの極貧生活をしていたと言っていた。なのに、いつからあの公爵と関わりがあったと言うのか。それを不思議に思ってオレリアが首を傾げて見せると、その問いかけにエリカは“しまった”というように瞳を見開き、その視線を泳がせる。
そして、
「遠い昔からよ」
と曖昧に微笑んだ。それは少しだけ謎めいた笑み。
こういう時、エリカを遠く感じるのは何故だろうか。
よく、分からない。
だから、
「それって、どれくらい?」
と更に深くそう尋ねると、それ以上は答えたくないらしく、静かに首を左右に振るだけだ。
いったい、エリカはどんな事情を抱えているのだろう。
それもまた、このアブレン行きに何か関係があるのだろうか。
けれど、オレリアにはそれを知る権利は与えられていない。
オレリアは小さく息を吐いて気持ちを切り替える。
「でもさ、なんで昔からの知り合いならアイスクリーム食べたことないの?」
「え?」
「え? って。だって、エリカ、昔からあの公爵と知り合いだったんでしょ?」
「そうだけど……。それがなにか?」
「なにかって、オードラン公爵と知り合いだったならさ、なんで毎年恒例のアイスクリームパーティーに行かなかったの? 別に王城で食べなくたって、毎年、公爵が私財を投じてそのアイスクリームとやらを女の子たちに振る舞ってる、あのパーティーに行けば良かったじゃない。エリカだって当然、呼ばれてたでしょう? 女の子なんだから。アタシだって呼ばれてたほどなのに」
「え……。なにそれ……? アイスクリームパーティー? 去年もそれあったの?」
「うん」
「オレリアも行ったの?」
「いや、アタシは断ったよ。公爵邸でのパーティーなんてアタシが行っても場違いだし、なんか痒くなりそうだし」
愕然としたように問い返してくるエリカにオレリアがそう答えてやると、呆然としていたエリカはその顔をゆっくりと地面へと俯けた。そして、「それはいつごろ? 陛下も知ってるの?」と静かにそう問いかけてくる。それに「いつも夏の盛りにあってるよ。王サマがどうかは知らないけど、でも公爵の息子はいっつも王サマと一緒なんでしょ? 知らないはずもないと思うけど」と、オレリアが言うと、なぜかエリカの肩がそのまま小刻みに震えはじめた。
それを見守っていると「陛下なんて」とエリカは小さく呟く。
そして、次の瞬間、その肩の震えは最高潮に達して、
「陛下なんて、大っ嫌いよ!!」
ガバリと顔を上げたエリカのそんな叫び声が辺りに響き渡った。それはなぜかとても悲嘆に満ちていて、悔しくて堪らないといった感じだ。
でも、何故王サマ? たしか公爵の話をしていたのではなかったか。
そんな風に、オレリアが仰け反りつつも疑問に思っていると、眉を吊り上げたエリカが、何故教えてくれなかったのかと怒りを露わにしていてああ、そういうことかと理解した。
何故、エリカがそのパーティーのことを知らなかったのかという疑問は残るが、さしずめそれは王サマにでも故意に隠されたというところだろう。
けれど、
「もう! 絶対に来年は陛下にアイスクリームをねだって頷かせてみせるんだから! 勿論ドレスは我慢しないわ。ついでに花火にも付き合って貰うから!」
大っ嫌いだとさっき言っていたはずなのに、花火は一緒にしたいのか。
しかし、そう宣言したときのエリカが、ただの願望をわめいているというよりも、新たな決意を宣言しているように瞳の光を強くしていて、オレリアはそれを見ながら王家からの依頼を改めて思い出す。
側妃を無事、アブレンに送り届けること。そして、その後の経過を報告すること。
その内容には、帰りのことなど一切触れられていない。
それが、意味することは――。
感じるのだ。極々稀にエリカが零す話の中から。
エリカのくせにと思うけれど。
エリカの王を愛する気持ちも。
エリカのためにと充分すぎるほどの金を用意し、案内兼護衛として女である自分をきっと敢えて選んだのだろう王の些か過保護な心遣いとその想いも。
だからこそ何故、と思う。
何故、エリカは王の元から離れ、王はエリカを手放したのか。
この、エリカのアブレン行きには一体どんな意味が込められているか。
会いたい人がいると言っていたけれど、それは誰?
いつの間にか消えていた花火を見つめたまま、オレリアがそんな考えに呑まれていると、
「まあいいわ」
いきなり隣で、エリカが勢いよく立ち上がった。
そしてまだ残っている花火を握りしめながら、少し離れた場所にいる父親の元へと声をかけて呼びに行く。
「ねぇねえ、ロドリグさんも一緒に花火をやりましょうよ」
さっきまであんなに嘆いていたのにもう何事もなかったように笑っている。そんなエリカの単純さゆえの切り替えの早さになんだか呆れてしまって、その後姿を見つめながら思わずオレリアは苦く笑いを零した。
いっそのこと、エリカが当初の想像どおりの、嫌な意味での女らしさの象徴で、勘違いの痛々しい女であれば良かったのに、とオレリアは思う。
そうすれば、こんな変な情のようなものが湧くことはきっとなかったのに。
「まったく、やっぱり面倒くさいの引き受けちゃったな」
これからのことを想い、胸が痛むのを感じながら。
オレリアのそんな呟きは夜闇に静かに消えて行った。




