ある夜の二人
~建国記念パーティー前(第二八~三十の間)のお話~
おかしい。
絶対におかしい。
とある日の夜、私はなんだか違和感を感じて一度横たわったベッドから起き上がり、ソファに寝そべる陛下へと視線を向けた。
そこにはいつものようにつまらなそうな顔で本を読む陛下がいるのだけれど、なんだかそのページを捲る音が変な気がする。軽快さがなくって、偶に少し手間取るように詰まっている。
よくよく見るとなんだかその手つきもぎこちない気がするし。
うーん、これは――?
私はとりあえず、ベッドから降りて陛下の傍へと近寄り声をかけてみた。
「ねぇ」
けれど本に熱中しているのか、それともわざとなのか、陛下は私の声になんの反応も示さない。
「ねぇ、陛下」
今度は少し声を張り上げて。
すると陛下は面倒くさそうに、とても機嫌がいいとは言えない顔をやっとこちらに向けた。
そこに驚いたような気配が微塵も感じ取れないのは、つまりやはりさっきの無反応はわざとだったということだろう。
なんでこの人はこんなにも愛想というものがないのだろうか? いや、平然と人を無視できるっていうことは愛想以前にそもそも性格がねじ曲がっていると言っていいかもしれない。
そんな風に思いながら批難を込めて陛下を睨みつけてみたのだけれど、陛下は全くそれを気に留めなかったようで、平然と私の顔をじっと見つめ、「何の用だ」と視線だけで問いかけてきた。
そんな陛下の態度を見ているとなんだかバカらしくなってしまって、もう放っておこうかなと一瞬思ったけれど、やっぱりどうしても気になってしまう自分がいて、そんな自分自身に観念してしそのままその場の床に腰を降ろした。
「ねぇ、手、どうしたの?」
ソファから起き上がりそれに腰かけなおした陛下の手を、下から指さしながら問いかけると陛下の眉が少し潜められて、私はやっぱり当たりかとそう確信した。
「痛めてるんでしょ? どうしたの?」
私の言葉にしばらく無言で対峙して、しぶしぶといったように陛下が口を開く。
「……今日、オルスと久々に手合せしたときに軽く捻っただけだ。大したことじゃない」
陛下が右手を軽く持ち上げて、痛めているらしきところを軽く伏せた瞳で見つめながらもう片方の手で軽くなぞる。
その動作はなんだかとても綺麗で思わず見惚れてしまった。ってそうじゃなくて、その時今まで袖口で隠れていた部分が露わになる。痛めているらしいそこは腫れてはいなかったけれど、
「何で手当してないのよ!?」
その手首には包帯一つ巻かれていない。
「……冷やしはした」
まるで子どもが言い訳をするときのような、ぶすりとした顔を私に向けて陛下はそう言った。
でもそんなんじゃなくて!
「なんで固定していないの? 早く良くならないじゃない!」
「……そんなに大げさにするとオルスが気にする」
「あのねぇ……」
私はがっくりと肩を落とした。
私の呼びかけは無視するくせに、オルスに対してはそこまで気遣ってやるって、一体なんだろう。
すごい敗北感だ。
もう嫌だ、この人たち。今までオルスの片想いかと思っていたけれど、充分相思相愛じゃないか。
「別にこれくらいそんなに痛むわけでもないしすぐに治る」
「そう言いながら、明日もその手で執務をするのよね? 字を書いたりするのよね?」
「……」
「もういいわ。私が手当てをしてあげる。確かこの部屋にも包帯ぐらいならあったはずだわ」
「断る」
「大丈夫よ。私、医者の手伝いをしていたこともあったから手当てくらいできるわ」
****
「……というわけだ」
「そういうことだったのですのね。応急セットなんかが出ているものですから何かと思いましたわ」
エリカの侍女頭であり、その実、元はジェルベの母が実家からこの王城に連れてきた侍女で、彼の幼いころからの世話役もしているベティーが納得したように朗らかに笑った。
まだ、日が昇って間もない。彼女の視線の先ではベッドで丸くなったエリカが気持ちよさそうな寝息を立てていた。
そこへジェルベが静かに近づき、くるりと巻いた栗色の髪に指先で軽く触れる。
「手当てを終えたら満足したのか急に眠たくなったらしい。……まったくお節介な奴」
「まぁよろしいではありませんか。お上手ですし」
その髪に触れた手の手首には無駄な弛みもなくきっちりと包帯が巻かれていてベティーはクスリと笑った。
「どうした?」
「いいえ、なんでもありませんわ。陛下」
そんなに文句を言うのならもう解いてしまえばいいですのに。
そう言ったところで、ジェルベのことだ。きっと、“ただ面倒だったから解かなかっただけだ”と不本意そうに顔を背けるのだろう。
けれど、分かってしまうから。
そんな彼がその実、何を想っているのかも、ベティーには。もしかすると本人が自覚している以上に。
だから、願う。
ずっと、こんな日が続いていけばいいのに、と。
どうか、この安心しきった寝顔を見せる彼女が彼を傷つける凶器となりませんように。




