〇、始まりの日
過去拍手と活動報告の小話の投稿を始めました。
~第1話直前のジェルベたち~
「見つけましたよ。陛下」
王城の書庫。
静かなその空間に置かれた机の一つに頬杖を突きながら本を広げていたジェルベは、突然遠くから響いた声に顔を顰めて視線を上げた。
見れば案の定、にこやかに、けれど明らかに怒気を孕んだ笑顔を張り付けたアルフレッドがつかつかと足音を鳴らすことなくジェルベの方へと向かってくる。
その姿にジェルベは苦々しく舌打ちをした。
出来ることならばこのまま見つからないことを望んでいたのだが、そう上手くはいかなかったらしい。
アルフレッドはジェルベの前まで歩み寄るとそこで足を止め、片手でジェルベの手元の本をパタンと勢いよく閉じた。
「まったく、こんなところでのんびりと貴方は何をやっているんですか。もうすぐ大臣方がわざわざ秘密裏にお膳立てしてくださっていた側室選定試験が始まるというのに。もう9時ですよ。はやく準備をしてください」
「……だから俺は出ないと言っているだろう」
「そんな言い分が通るわけがないじゃないですか。こちらから募っておきながら肝心の国王が姿も現さないなど失礼です」
「じゃあやらなきゃいい」
ジェルベはそうツンと言い返す。
元々そんなもの、望んでなんかいない。だというのに全くもって勝手な話だ。
けれど、アルフレッドがそれで納得するわけがない。
「中止だなんて、それこそこちらの信用問題に関わってくるではありませんか」
「知るか。そんなもの俺のせいじゃないし、何度も言っているが俺は側室だろうと妃は要らない」
「それでもここまで来てはもう仕方のないことです。貴方ももう子どもではないんですから変な駄々をこねずさっさと諦めてください」
笑顔で脅すアルフレッドに対してジェルベはふんっと無視を決め込む。
「陛下。さあ、急いでください。……陛下?」
アルフレッドの呼びかけに、けれどジェルベはそっぽを向いて動かないことで応戦した。
二人の間に漂うのは静かな緊迫感。
ピリピリと場の空気が張りつめる。
そこへ割り込んだのはもう一人の幼馴染。
「ああ、陛下見つかったのか。心配してたけどこれで一安心だな」
「オルス」
やって来ていたのは気配で感じ取っていた。だからアルフレッドはその声に特に驚くこともなく後ろを振り返ってそのまま加勢を頼む。
「貴方からも何か言ってくださいよ。陛下ったら側室選定試験に出ないだなんて仰るんですよ」
けれどオルスはそれを鼻で笑った。
「いいじゃないか、陛下が望んでないなら出なくても。外を見てみろよ。すごい数の蛾だ。あんなところに陛下を放り込もうなんて、アルこそ正気かよ」
「貴方まで。何陛下の肩を持ってるんですか! しかも蛾って……。せめて蝶と言って差し上げてください」
「蛾で充分だ。あんな奴ら陛下に群がる害虫なんだから」
「オルス……」
駄目だ。オルスに味方を期待することが間違いだったと一つ小さく諦めのため息を吐き出してもう一度アルフレッドはジェルベへと向きなおる。
「陛下。ほら、早く正装に着替えに行ってください」
気を取り直して再び訴えかけるが、やはりジェルベは視線さえも合わせようともしない。
頑として拒否する構えだ。
その様子に苛立ちを募らせたアルフレッドは笑顔のままそのこめかみにいよいよ青筋を立てた。
「陛下? いい加減にしてくださいませんか?」
「……嫌だと言っているだろう。これだけは譲れない」
「ほら。陛下もこう言ってるんだ。どうにかして中止にしろよ。アル」
「何を言っているんですか。もうオルスは黙っていてください」
そう言い放つアルフレッドに再び視線を戻したジェルベは改めて見た彼の姿に、先ほどから気にかかっていた疑問を口にした。
「で? なんでお前はそんなに気合が入っているんだ? アルフレッド」
「何がです?」
ボサボサ頭のアルフレッドが身に纏っているのは黒のローブ。いつもの彼の装いに比べれば随分と質素で乱れたそれ。
「髪が乱れてるのはいつものことだがその服。何故今日は下級文官の衣装を着ている?」
そう問いかけるとアルフレッドは今まで、あくまで笑顔だったその顔を思いっきり顰めた。
「……これもマリアの仕業ですよ。これで権力に寄ってきた女性方の目を欺くのだそうです。まあこちらの方が私としても動きやすいのでいいのですが」
そう言ってアルフレッドは仕方がないとばかりに深いため息を吐き出す。
その様子ににオルスが可笑しそうに笑い声をあげた。
「相変わらず必死だな。で? マリアと言えば今日は何処に配置されるんだ? もしかして今日一日アルの監視だったりするのか?」
「まさか。そんな事されたらこちらが堪りませんよ。彼女には今日はマナー審査員として大広間に入ってもらいます。あの娘は他人には厳しいですからね。きっと良い審査員になりますよ」
「確かに。いっつもアルの女にケチ付けて回って撃退してるからな。果たしてマリアから“優”をもぎ取れる奴なんているのかね」
「さあ? でも今日の対象は陛下の側室候補ですからね。きちんと公正な判定はしてくれるつもりのようですよ」
「ふーん。別に厳しくしてこっちも全部撃退してくれて構わないのにな」
本気でそう思っているらしいオルスが楽しげに笑う姿にアルフレッドはもう呆れるしかない。
「それでは今日の試験の意味がないでしょう。側室を選ぶために今日は女性方に集まっていただいているんですから」
「だから俺は側室は要らないと言っているだろう。どうしてもと言うなら今ここでお前に譲位してやる。お前の側室でも選べ」
「陛下! 貴方はもう!! いつまで我が儘を言うつもりです」
「無理強いは良くないぜ。アル」
「あなた方は……。時間も迫っているというのに」
そう言ったアルフレッドがもう疲れ果てたとばかりに脱力する姿を見ていたジェルベは少し考えて、しぶしぶ深くため息を吐き出した。
「……仕方がないか。でも出るだけだからな。その代わり絶対に合格者はなしだ。いいな?」
「……ええ、もうそれで結構ですよ」
これがジェルベの精一杯の譲歩。
それは分かる。
仕方がない。後の対処が面倒だが、どうせ年寄りどもが喚くだけだ。それは適当に受け流すことにして今は王家の信用のために無事側室選定試験を開催することを優先しようとアルフレッドも頷いた。
それに、とようやく椅子から重い腰を上げるジェルベを見ながら思う。
「それに案外出てみたら“運命の相手”とやらに出会えるかもしれませんよ」
「何だ、その胡散臭いのは。俺は運命なんてものがあるなど思いたくもない」
「でもあるそうですよ? 父が母に良く言っています」
「あのおっさんのことだからなんだか他所の女にも言ってそうだな」
「否定はしませんが。まあ、それを信じさせてくれるような相手が今日見つかるといいですね」
「だから、俺は出るだけだと言ってるだろ」
「はいはい。わかりましたから……」
「……」
書庫の扉がパタンと音を立てて閉まった。
一人の少女の登場により事が思わぬ展開を迎え、ジェルベの取り付けた約束があっけなく反故されるまで後少し。




