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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
67/101

六七、虚構の中で

季節が、一つ、また一つと移ろいで行く。


城内の窓から外を見ると、紅く色を染めた木の葉がはらりと木から離れ風に舞い散っていく姿が見える。薄着になった枝がなんだかとても寒々しい。もうすぐ、本格的な冬が訪れるのだろう。

レストアを出たころは若葉の瑞々しさが美しいばかりだったというのに。


早いもので、私がアブレンの城に戻ってからすでに3か月ほどの月日が経とうとしていた。



「ティア? どうかしたのかい?」


朝食後のお茶を飲みながら外をぼんやりと眺めていた私は、不意に聞こえてきたそんな声に意識を呼び戻されて、はっとテーブルを挟んで正面に座っている兄上へと顔を向け、いつものように微笑みかける。


「あ、ごめんなさい。なに?」


兄上は手にしていたカップをソーサーに戻して、にこりと私に笑みを返す。

カップの中で揺れるのは、レストアでランベールにも振る舞われた、アブレンの甘いお茶。


「今夜、この城に楽師でも呼ぼうと思うんだが、どうかなとね、尋ねていたんだけれど」

「楽師?」

「ああ、これまで私一人だったからすっかり忘れていたが、久しぶりにそれもよいかと思ってね」


兄上のその提案に、そういえば今は静かなこのお城も、私がティアであった頃は常に色んな音楽や歌で溢れていたことを思い出す。

城にはお抱えの楽師たちがいて、私も簡単に楽器の奏で方を教えて貰ったりしていた。


「勿論賛成よ。とっても楽しみ」

「それなら決まりだ。ティアが聞きたい曲があれば言ってごらん」

「そうね……」


その兄上の問いに、私は思いを巡らせる。でも……。


「折角戻ってきたんですもの、アブレンの伝統曲がいいわ。べセラの曲も聞きたいけれど」


そう答えると、兄上は頷いて、「ティアはべセラが一番気に入っていたからね」と笑う。


「ええ。彼の作曲したものはどれも好きよ。軽快で、楽しい気分になるものばかり。でも、べセラのファンだったのは母上だわ。私は影響されただけ」

「そうだった。ならば、ティアと母上の為にべセラも演奏させるとしよう」


そう言って、兄上は傍に居た侍女を呼び寄せ、そのことについて早速指示を出す。


まるで、前世に戻ったような光景。あの頃のように兄上は私を甘やかす。

今日は音楽でも奏でさせようということだったけれど、つい昨日までは私を飾りたてることに熱心だった。着飾ることが大好きだったティアの為にと、山のようなドレスを与えてくれて、それに合う装飾品もたくさん贈られた。兄上の妹として用意された部屋も私の好みに整えられ、庭には、ティアの好きだった花が植えられて。

それに喜ぶ私に、兄上も満足気に笑う。

送るのは、一見、とても朗らかで穏やかな日常。幸せで心地よい兄上の庇護が私を包む。


けれど、


そんな生活を送りながら、同時にその裏にある現実が、私の心に影を落とす。


私は、お茶を一口喉に通しながら、そっと瞳を伏せた。

分かっているから。

本当は、兄上のこの笑顔が、昔のように私が喜んでいるからという理由によるものなんかじゃないということを。

慈しむように細められたその瞳の奥が凍ったままなことだって分かっている。

私の、変わってしまった容姿をまったくと言っていいほどに気にしない、戸惑うこともない、その本当の理由も。


だって、兄上は、私のことを信じているわけではない。


ただ、兄妹という虚構を演じて、兄妹ごっこを楽しんでいるだけ。



――いいだろう。



あの日、牢の中から最期の日の約束を訴えた私に、兄上は足を止めてそう言った。

何かを考えるようにしばらく沈黙した後、昔には決してしなかった皮肉げな笑みを浮かべて。


『君が、ティアのふりをするというのなら、……私はしばし甘い夢に浸らせて貰うとしよう。ただし、これは取り引きだ。もし、その夢が覚めたなら、その時はレストアの未来も無いと思え』


と。


そして、結局私を信じてくれなかった兄上は、レストアへの進軍を完全にはやめはしなかった。いつでもレストアを攻撃出来るのだと脅すように、兵たちをレストアとの国境付近で待機させている。


良い状況ではない。

ふりなんかではなく私がティアなのだといくら訴えても届かない、何も信じないとでも言うような拒絶と冷たさを、その瞳に見せる兄上に、悲しくなる。


それでも、兄上がティアである私を求めているのだけは分かるから、

だから、私はティアとして、今、ここに居る。


だってそうしていれば――。


そのとき、私はふと視線に気が付いて、こちらへなにやら複雑な表情を向ける彼の方へと顔を向けた。

現在の兄上の側近であるまだ若い男。名をギードと言ったか。

彼が、他の城の人々同様、私たちの関係を歪なものだと思っていることは分かっている。

彼にとってこれはきっと、ただの兄上が気まぐれによってはじめた茶番。そして急におかしなことを始めた兄上を心配すると同時に、私を警戒しているのだろう。そんな視線を度々感じるもの。

まったく、レストアでのことといい、エリカになってから私はこんなのばっかりだ。ここではまあ、仕方がないけれど。

そんなことを思いながらも、私は彼に取り敢えずにこりと微笑みかける。

すると、そんな私たちに気が付いたらしい兄上が「そういえば」と声をかけてきた。


「ティアは、ギードがフォンシェの息子だと知っているかな?」

「フォンシェ? 確か……、私たちの又従兄弟の?」

「そう。彼の末子だ。どことなく似ていると思わないかい?」


わざわざ兄上がそう尋ねてくるのは、ただ、私がティアについてのあらゆる情報を持っていると思っているからなのだろう。

試している、というよりは、ただそれが当然の話題であるかのように兄上は話しを振る。

だから、私もさもなんてこともないように、それに付き合う。

少し考えるように口元に指を添えて。


「うーん。でも、ギードの方が強そうだわ」


フォンシェを思い浮かべながら答えた私の言葉に兄上は苦笑を漏らす。

あまり鮮明に覚えているわけではないけれど、私より2つ歳上だったフォンシェは色が白くて細くって、そんなひ弱なイメージしかない。逞しいと言うほどでもないけれど、それなりに鍛えていそうなギードとは違う気がする。

ああ、でも。フォンシェの顔を思い出しながら、そう思う。


「フォンシェは結婚できたのね。良かったわ。私、心配していたのよ」

「心配……、ですか?」


ギードがどういう意味かと戸惑うように私に問いかけてきて、私はそれに頷いた。


「ええ。顔の傷が、ね。女の人たちに敬遠されて彼の結婚とかそういうのに影響しなければいいと思っていたんだけれど大丈夫だったようで安心したわ」


眉間から左頬にかけて。記憶にある彼のその傷跡をなぞるように、私は人差し指で自分の顔に線を描く。

深くはないけれど長く出来た細い傷。

ギードはその私のしぐさに思い当る節があったらしく苦笑を浮かべて、何故か眉を顰めている兄上に一瞬視線を向ける。


「ああ。あの、ほとんど消えている、子どもの時に陛下と木の枝で剣術の稽古をしていた時に付けられたという傷ですか。陛下は昔から剣の腕が良かったのですね」

「え? ああ」


そこで私は、“あ”とそれに建前があったことを思い出して、そしてギードの『ほとんど消えている』という言葉に安心して、思わず笑みをこぼしながら敢えて首を横に振った。


「違うわ。それはね、嘘」

「え?」


私の言葉にきょとんとするギードに、私は笑みを苦笑に変えてそこにある真実を詳しく説明する。


「あれはね、私が付けた傷なのよ。木に登ってお勉強をさぼっていた時にね、下を歩いていた兄上とフォンシェを見つけて、声をかけて手を振っていたんだけれど、そのとき突然腰かけていた枝がパキッと折れちゃって。落ちる私を受け止めようとしてくれたフォンシェにその折れた木の枝が掠めちゃってできた傷なの。王女が木から落ちるときになんて、外聞が悪いからって、フォンシェの提案で兄上との剣術の稽古でってことにしてくれたんだけど、まだ秘密にしていたのね。ねえ、フォンシェは元気?」


懐かしい。あの時は、枝が目に入らなくて良かったとはいえ、よりによって顔に傷がついてしまって申し訳なさに流石に落ち込んだ。そんな私を逆にフォンシェは慰めていた。苦肉の策で責任をとると私が言えば、王女の嫁ぎ先をこんなことで決められるはずありませんと思いっきり慌てられて。その焦りっぷりが少し面白かった。結局そこにいた兄上からも言いくるめられて、ちゃんと私が謝罪することで終わったけれど。それから私は彼の顔の傷が治っているかどうか、彼に会うたびに確認していたことを思い出す。優しい又従兄だったフォンシェ。

正常な時間を送っているはずの彼もまた、今はいい歳であるはずだ。彼はどうしているだろう?

それを問う私に、ギードは戸惑いがちに返事をする。


「え、ええ。まだ元気にしています」

「そう。彼にも久しぶりに会いたいわ」


ギードがうろたえたように兄上に視線を向ける。兄上は、そんな私を凝視していて、それに気が付いた私は、兄上ににっこり「お願いね」と笑いかけた。


私を信じてはくれない兄上。

けれど、こうやって少しずつ、少しずつ、兄上の心に沁み入るように私のことを証明すればいい。

そのためにも、私はティアであったころの自分に戻って、そして、昔の話をいっぱいするの。だって、ほら、こんなふうにきっとたくさんあるはずだもの。私たちしか知らない話も些細なところにたくさん転がっている。そんなものを積み重ねれば、きっと信じてもらえる日が来るはずだから。

そんな中で、兄上の傷を癒して、凍ってしまった心を温め溶かすことが出来ればいい。あの頃の、平和を望む兄上に戻っていただけるように、私は頑張るわ。

私は賭けに勝って兄上に話を聞いていただける機会を得ることが出来たのだから、それを充分に活かさなければならない。



だから、

エリカであった心が、何か違和感を訴えてくるけれど、

それでも、


「ティア?」


まるで恐る恐る、そう呼びかけてくる兄上に、


「なあに?」


と、私はティアとして、あの頃と同じ笑顔を向ける。



これが、今、私に出来ること。

今、私がしなければならないこと。




今はただ、兄上の為に。

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